ミーが倒された。
そんな話をコタローから聞いたとき、クロは内心焦りながらも冗談交じりな言葉を吐いた。敵はまたまた復活したデビルだったそうだ。寄り代を己で作り出したあの悪魔は、かつてとは比べ物にならないほどの力を手に入れたらしい。
「キッド。行くぞ」
「ったく。ミー君も油断したんだろ」
呆れたため息をどうにか作り上げ、マタタビと共に剛の小屋へと走る。その間、クロは胸がざわめくのを抑えられなかった。表情にこそ出さなかったが、嫌な予感を拭い切ることができない。不安に惑う胸を忌々しく思いながら、ゴミに囲まれた小さな小屋へたどりつく。
いつものような穏やかさはそこにはなく、慌しい雰囲気があった。
「ミー君……」
クロは目を見開き、中の光景を必死で受け入れようとした。
様々なパイプにつながれた体。ボロボロになり、中の配線が見える体。もとより命の概念がわかりにくい体だ。剛かコタローが、ミーは死んでいると言ったのならば、それは真実であるとしか思えなくなるような惨状だった。
あらかたの処置は終えているのか、部屋の端では剛が一人蹲っている。
「大丈夫なのか?」
立ちつくしたまま動かないクロに代わり、マタタビが尋ねる。生身である彼には、ミーが生きているとは正直なところ、思えなかったのだ。
「うん。今のところは、ね」
かつてクロがサイボーグ風邪にかかったときも、こんな風だったとコタローは零した。それはつまり、今は生きているが、その後はどうなるかわからない。と、いうことだ。
「クロちゃん。ボク、悔しいよ! ミー君が、こんな……こんな……!」
大粒の涙を零し始めたコタローを視界にいれ、クロは拳を固く握る。
腹の底から、何かがざわついた。脳が今と過去を混ぜてクロに伝える。
これは仇討ちだ。
大切な仲間を傷つけられたのだから、報復するのは当然ではないか。誰もいかぬというのならば、己がそれをするべきだ。
ボロボロになったミーと、いつか見た灰色の猫が重なる。このままでは駄目だと言う誰かの声も、クロには届かない。
「キッド!」
遠くからマタタビの声が聞こえた。それをクロが認識したときには、彼はすでに小屋から抜け、デビルがいるであろう場所へと走り出していた。頭の中には、生きているとは思えないミーの姿がぐるぐると回る。
いつものガトリングを腕に装着し、何者も寄せ付けぬ形相で駆け抜けた。
「殺してやる。殺してやる。殺してやる!」
猫が出し得る速さではなかったが、この町の人間は今さらそのようなことは気にしない。クロが呟き続けている物騒な言葉に気がつくこともなく、いつも通りの少しばかり刺激がある平凡な毎日を過ごしていく。
町を抜け、ただっ広い敷地へと出る。不法投棄されているゴミがある程度で、他には何もないその場所にデビルはいた。
ゴミに腰をかけ、優雅にクロを待っていた。
「よぉ。クロちゃん」
ミーによく似た姿で、ミーにはない口角を上げる。
「オレ様からのプレゼントはどうだった?」
胸糞の悪い笑みを浮かべ、耳障りな笑い声を出す。それがどうしてもクロは許せなかった。いや、デビルが指を動かすことすらクロは気に喰わなかった。
「てめぇ……。ぶっ殺す!」
ガトリングから弾が放たれる。轟音と共に土煙がたち、デビルの姿が隠れていく。手ごたえなど感じる暇もなく、クロはただただ撃ち続けた。幸い、銃弾ならば腐るほど持ってきているので、弾切れを起こす心配はない。火薬の匂いと轟音と、視界を遮る砂埃。ここが戦場だと言われれば納得できてしまう光景だ。
その中で、頭に血が上っていたクロは肝心なことを忘れていた。
デビルは死なない。そして、空を飛ぶ。そんな単純で、簡単なことが頭から抜け落ちる程度には、怒りを燃やしていたのだ。
「案外熱血猫だよなぁ」
それに気づいたのは、デビルの嫌な声が頭上から聞こえてきたときだった。
しまったと、後悔してももう遅い。上を見上げれば、人を小馬鹿にした笑みが映った。
真上から羽を広げたデビルが剣を向けて落ちてくる。このままいけば、クロの串刺しができあがることは間違いない。だが、もはや避けられる距離ではなかった。剣を出してはじくことも当然できない。
できることといえば、少しでもダメージを軽減するために、片腕を差し出すくらいのものだ。
歯を食いしばり、その時を待つ。唯一の抵抗とばかりに、目は閉じず、真っ直ぐにデビルを見据えた。力を失わぬその瞳にデビルはさらなる笑みを浮かべる。被虐的で、正しく悪魔である笑みだ。
デビルの剣がクロの腕を切り捨てる。その寸前だった。
クロの視界を赤が覆った。
「んだよ……。邪魔すんじゃねぇ」
不愉快そうな声が聞こえる。
「そりゃどーも。すまなかったな」
苛立った声も聞こえた。
赤がゆっくりとクロの視界から消えていく。赤は、マントの色だった。
「マ、マタタビ……」
マントの向こう側にいたマタタビは、ステルスブーメランでデビルの剣を受け止めていた。ただし、元々が遠距離用の武器であるため、上手く受け止めきることができず、顔の端に傷ができていた。
赤い血が一筋流れる。
「な、んで」
震える声で尋ねてみると、マタタビはデビルをはじき飛ばし、クロと向き合う。そこに浮かんでいた表情は怒りだ。怒気を隠そうともしない憤怒が見てとれる。
彼は目をえぐったときでも、これほどの怒りは見せなかった。始めてといっても過言ではない怒りに、クロは思わず後ずさる。本能的な恐怖がぬぐえない。
「貴様は」
マタタビの声も震えていた。悲しみや不安からではないことはわかっている。
「貴様は、昔から、何一つ、成長しておらんようだな!」
頬に痛みを感じたのと、マタタビの顔がぶれたのは同時だった。
殴られたのだと理解した。
「一人で突っ走るな! 無茶をするな! 頭に血を上らせるな!」
軽く涙目になっているのは、機械でできているクロを殴った痛みからだろう。その証拠とばかりに、マタタビの手は赤く腫れあがっている。
「いつまでも弟分のつもりか!」
「……悪かった」
殴られ、怒鳴りつけられ、クロの頭に上っていた血が落ちる。
そして、昔から何一つ変わっていなかった己に嫌気がさした。もしも、マタタビが途中でクロを力づくで止めにかかっていたとしたら、もう片方の目まで奪っていたのかもしれない。
「貴様にも言いたいことはある」
俯いたクロを放って、マタタビはデビルを睨みつける。
「んだよ。
オレ様、お前のせいで気分が超萎えたんだけど」
肩をすくめる仕草に、マタタビは目を細める。忌々しげなその表情は、クロほどではないがデビルを楽しませる。他者からの悪意ほど彼を悦ばせるものはない。
「胸糞の悪い挑発だ。
貴様は拙者がぶち殺してやる」
言葉と同時にブーメランを投げる。ステルスブーメランがデビルの首を刎ねる寸前、彼は背中の大きな翼を広げ、空へと舞い上がる。
「言っただろ? オレ様は萎えちゃったんだよ。だから」
デビルは地面で彼を見上げているクロを目に映す。彼以外の者は、デビルにとって不要なものでしかない。
「またな。クロちゃん」
悪寒が走る声だ。
楽しげで、残忍で、嫌な声だ。
「次、同じことをしてみろ」
クロを守るようにマタタビはデビルの視界に割り込む。
「どんなことをしても、貴様をミンチにしてやる」
「そりゃ楽しみだ!」
心底楽しげな笑みを浮かべ、デビルは空の彼方へと去っていく。
残されたのはわずかに残る硝煙の匂いと二匹の猫だけだ。
「今回のことは、悪かった」
「反省したか」
「……おう」
気まずげに目をそらしながら、クロはやはりマタタビに敵わないと心の内で呟いた。
END