あまりにも天気のいい日だったので、ゴローは学校をサボった。後でチエコに怒られることは簡単に予想できたが、それを覚悟してでも散歩に行きたかった。広がる青空はそれほど綺麗だった。
流れる川を横目に、体を伸ばしながら歩く。
頬にあたる風が気持ちいいと感じれるのは人の体だからだ。機械の体を持っていたあのとき、そんなことは少しも感じなかった。今となって考えてみれば、あのコタローが作った体なのだから、そんな些細な欠陥はないだろう。何もないところからのスタートとなったゴローの魂が、風を感じるだけの知能を持たなかっただけなのかもしれない。
難しいことを考えてみても、答えはでない。
ゴローは草の上に腰を下ろした。
見上げた空はやはり高く、綺麗だった。
「なーにやってんだ不良少年」
世界で一番格好いい声に思わず頬が緩む。
「こんなに天気がいいんだ。少しくらいいいだろ。クロ」
振り返って見ればクロは笑っていた。
「ま、オイラには関係ねーけどな」
そんなことを言いながら、ゴローの横にやってきて背伸びをする。
心配はしていないが、放っておくこともできないといったところだろうか。
「本当、綺麗だな」
空を見上げたクロがポツリとつぶやいた。
青い色も、流れる白い色も綺麗だ。
「夕焼けも綺麗だろうな」
「そのころにはチエコのやつがくるんじゃねーの」
「たぶんな」
二人は顔を見合わせて笑う。
ゴローが新しく生まれてきてからも、チエコは相変わらず過保護だった。恋人というよりも、母親と言ったほうがしっくりくる。
そんなところも嫌いじゃないといつだったかゴローは言った。
「ゴロー」
「ん?」
真剣な声をしたクロは悲しそうな瞳でゴローを見ていた。
見たことのない姿にゴローは不安になる。騒がしい友人達の知るクロは、いつも滅茶苦茶で、強くて、優しいオスネコだ。こんな表情をする猫ではない。
「オイラは、お前に見せれたか?」
一瞬、クロが何を言っているのかわからなかった。
「……あ」
思い出したのは機械の体を失ったあの日のことだ。
彼は確かに言った。『いいものを見せてやる』と。
「見たよ」
強いモノに立ち向かう勇気も強い力も見た。
「そっか」
「グレーって、クロにいいものを見せてくれた人?」
人というのが正しいのかわからなかったが、重要なのはその部分ではない。
言いたくないのか、何と言うべきなのか悩んでいるのか、クロは答えなかった。彼が口を閉ざすのならば、何も聞かない。そうしようと思った。
「教えてよ」
だが、ゴローはそこまで大人ではなかった。
聞きたかった。他の誰も知らないような言葉を聞いてみたいと思った。自分に受け継がれたこの意思は、誰から預かってきたものなのか知りたいと思った。
「グレーって言うオスネコがいたんだ」
クロは大空を見上げる。
「オイラが子供の時に世話になったオスネコだ。
強くて、優しくて、でも厳しい。オイラはそんなグレーにたくさんのものを見せてもらった」
戦い方や他人との接し方、生き方までもをグレーから教わってきた。
「なあゴロー」
クロはいつも通りの笑みに、どこか柔らかさを含んで言う。
「お前はそれを誰に渡すんだろうな」
ゴローの胸を拳で軽く叩く。
叩かれたところはじんわりと熱を持った。
「……まだ、わかんねーよ」
「だろうな」
クロ自身、ゴローと出会うまでは考えもしなかったことだ。
「でも、絶対に渡すよ」
「……おう」
歪むことなく真っ直ぐに向けられた言葉と目に、クロは照れ臭そうな顔をする。
「せっかくだしさ。今日はオレと日向ぼっこでもしようぜ」
「若いんだからもっと遊べよなー」
呆れたように言いながらも、クロは草の上に寝そべる。暖かな日差しが体を温めていく。ゆっくりとまぶたが落ちてくるのを感じながら、ゴローはあの日のことを思い出した。
誰よりも格好いい、オスネコの雄姿を思い浮かべていた。
END