マタタビはキッドの兄貴分であれることが誇りだった。わずか数カ月とはいえ、先に生を受けたことは、彼に様々なことを教えるためのことだったのだと思っていた。
「なあ、マタタビ」
この言葉を聞くと、次は何を尋ねられるのだろうかと心が弾む。己の答えられるものであればいいがと、不安もよぎる。
「あれは何だ?」
そう言って指差された物についてマタタビが答える。彼にわからぬ物は、親代わりでもあるグレーに尋ねるのが常であった。
「そっか。ありがとう」
マタタビが答えることができたとき、キッドは顔をほころばせて礼を言う。この瞬間が喜びだ。
理由などない。無条件で愛されることが決まっている。そんな笑みなのだ。少なくともマタタビの目にはそう映っていた。
答えられぬものがあるたび、マタタビはもっと多くを学びたいと思った。キッドの支えになれるような知識を、技術を欲した。幸いにも手先は器用だったので、近くのゴミ捨て場から拾ったものを改造していた。そんな様子をじっと見つめられるのにも慣れた。
「なあ、マタタビ」
またキッドの質問タイムが始まる。
マタタビは動かしていた手を止め、キッドの方へと向き直る。
「どうしたんだ?」
見ればキッドの顔は赤く、熱でもあるかのようだった。
ここ最近は温かく、風邪をひくようなことは何もしていない。性質の悪い風邪でなければいいがと、手を額に当てる。
「あのさ」
わずかに熱いような気もしたが、熱があるとは思えない。
「胸が、すっげードキドキするんだ」
胸を抑え、キッドが言う。
その症状には覚えがあった。マタタビ自身は経験のしたことのない感覚ではあったが、誰かが言っていた。何の症状だったかとマタタビが頭を働かせる。
「これ何だ?」
「――――ああ、それは」
思い出した。いつだったか、子猫に大人が言っていた。
「恋、だ」
「恋?」
口に出して、マタタビは冷や汗が出た。
キッドが恋をした。この群れにはメス猫がいない。となれば、近くで見たのだろうか。どちらにせよ、恋は厄介だ。恋をしたことのないマタタビにとって、それは未知の領域であり、助言ができるようなものではない。これからのキッドの質問に答えることができないかもしれない。
いや、問題はそこではないのだ。
恋をすれば、兄貴分は必要でなくなるかもしれない。
「マタタビ、恋って何だ?」
この質問からすでに答えることができない。
「……わかんねー」
「んじゃ、グレーのおっちゃんに聞きに行こうぜ」
マタタビの尻尾をくわえ、グレーを探して歩きだす。
「おい、尻尾放せよ」
「はーい」
後ろ向きでは歩きにくいと訴えると、キッドはあっさりと尻尾を放す。
一緒に歩いている間も、マタタビは気が気ではなかった。一体どんなメス猫に恋をしたのだろうか。どんな気持ちなのだろうか。キッドは、一匹で行ってしまうのだろうか。
「あ、おっちゃん!」
大きく、しなやかな体つきをしたグレーが見えた。
「ガキども、悪さしてねぇだろうな」
「今日はしてないよ!」
「明日もすんなよ」
顔を合わせればいつもこれだ。
グレーは過保護な面があるが、躾には厳しい。悪戯がバレたときのお仕置きはとても恐ろしい。
「あのさ」
「また疑問か?」
キッドの『あのさ』にすっかり困らされているグレーは苦笑いを浮かべる。
「うん。恋って何だ?」
口にされた疑問に、グレーは目を少し丸くして固まる。
それほど難しいことだったのだろうかと、キッドはマタタビをちらりと見た。
「あー。そうだなぁ」
『恋』と言ってしまうのは簡単だ。だが、定義というものはいまいちわからない。
グレーほど生きても、愛も恋もよくわからないのだ。
「誰かといて、嬉しかったり、ドキドキしたり。そいつがいなかったら寂しくて、悲しい。
そんなもんなんじゃねぇかな」
キッドは目を輝かせた。
「じゃあ、オイラは」
あの嬉しそうな笑みを浮かべて、言葉を紡ぐ。
「マタタビに恋してる!」
一瞬の静けさの後、グレーが大笑いをした。
「そうか。マタタビに恋か!」
幼いゆえの過ちを笑っているのか、ブラコンにも似た恋に笑っているのか。どちらでも構わなかった。
マタタビの頭には、キッドはどこにも行かないという、ただ一つの真実だけが巡る。
「え? 何かおかしいのか?」
笑うグレーに不安を覚えるキッドを、マタタビはそっと抱き締めた。
「いーや。おかしくない!」
「おー。マタタビもキッドに恋してんのか?」
茶化すような口調で言われたが、マタタビは否定しなかった。
これほどまで想っているのだ。これは恋に違いない。
「マタタビ、そうしそーあいって何だ?」
グレーのこぼした言葉にキッドが再び疑問を投げかけた。
END