何が起こったとか、何でとか、そんな疑問は無意味だった。何が起こっても不思議ではないのだから。
「……お前、誰だ?」
「オイラはキッドさ。クロ」
 クロの目の前にいるのは幼い頃の自分。そう、まだクロがキッドと呼ばれていたころの姿だった。
「……剛くん。どういうこと?」
 クロとキッドを見ていたミーが隣にいる剛に尋ねる。今回も剛の発明品が原因だったのだ。
「おかしいな〜。姿をコピーするだけの発明だったんだけど……」
 頭をかく剛を視界の端に捕らえたクロは即座に剛を足で潰した。
「ああっ! 剛くんが!!」
 ぺらぺらになってしまった剛をミーが慌てて支える。いつもならば文句の一つでもクロに言うところだが、今はそれどころではなかった。
 今、一番混乱しているのは間違いなくクロなのだ。
「そんな目で見るなよ。な?」
 キッドは明るく笑った。
「…………」
 クロは答えない。
 目の前にいる自分が怖くてしかたがなかった。
 まだ何もしていない真っ白な自分。いや、すでにその手は血で染まっていたが気づかなかった。大切な者を全て失うまで自分の手の色も知らなかった。
「ク、クロ……」
 ミーが恐る恐る声をかける。
「あんたミー君だよな? オイラ、キッドってんだ。よろしくな」
 反応しないクロに代わってキッドがミーの傍へ近寄る。差し出された手をミーが握ろうとしたが、その前にクロがキッドをつき飛ばした。
「〜〜っ。なにすんだ」
「――――!」
 痛そうに頭をさするキッドにクロは何か言おうと口を開いたが、言葉がでなかった。代わりに涙がでそうになったような気がしたが、それをぐっと押さえ込んだ。
「んだよ! お前おかしいぞ?」
 キッドが言う。
「お前がいることこそがおかしいだろっ!」
 クロが言い返す。
「そうか? 別に、オイラが表にでたっていいだろ?」
 純粋な笑顔が痛い。
 純粋なんかじゃない。ただ馬鹿なだけだ。何も知らないだけだ。
「なあ、町に行こうぜ!」
 黙ってしまったクロを放ってキッドは走りだした。
「あっ。待てっ!」
 町に出る。それはダメだ。絶対にダメだ。クロの心が叫ぶ。
 まだ二足歩行に慣れていないキッドは四足歩行で走っている。それがせめてもの救いなのだろうかと思いつつ、クロはキッドを追った。



 町は平凡なところだったが、キッドはドキドキしていた。
「クロの友達いるかな?」
 キッドにはクロの記憶はない。あるのはあのカラスとの戦いまでの記憶。あれから自分に何があってここにいるのかは知らない。だが、ここでクロに友達がいるのは知っている。
「クロの助?」
 のんびり道を歩いていたキッドを見つけたのはめぐみだった。
「クロの友達か?」
 近寄ってくるめぐみにキッドが尋ねたが、めぐみは返事をしない。
「あれ? 違うか。クロの助より小さいし、人間の言葉が喋れないみたいだな」
 キッドは人間の言葉が話せなかった。それだけ必死に話しかけてもめぐみには『ニャー』と聞こえるだけ。
「……ま、面白いし、クロの助に見せてやるか」
 笑いつつキッドを抱き上げようとしためぐみの手は何者かによって弾かれた。
「――っ。……クロの助?」
 クロはミーの時と同様、キッドが今の仲間に触れられることを拒んだ。理由はわからない。
「なんだよ! なんで邪魔するんだよ!」
 キッドが眉間に皺を寄せながら言うが、クロは返事をしない。
「ちくしょうっ!」
 キッドは小さな爪を出し、クロと対峙した。
「何だよ! 言いたいことがあんならハッキリ言えよ!」
 怒鳴るキッド。黙るクロ。同じ姿の二匹は真逆の姿を見せた。
 キッドは退かない。相手が大人で、サイボーグで、到底勝ち目などないと知っていながらも退くことはしない。自分が、負けることなどないとどこかで思っているから。
 クロは闘わない。相手は自分自身で、生身で、純粋無垢に見えるその体は真っ赤に染まっていると知っている。自分は、汚れているということは昔思い知った。
「何だこの騒ぎは?」
 静かに対峙する二匹の耳に声が届いた。
「マタタビ……」
「マタタビっ!」
 呟くように声の主を呼ぶクロと、嬉しそうに声の主を呼ぶキッド。
「……キッドが二匹?」
 目を見開くマタタビにキッドが駆け寄っていく。
「違う、違う。キッドはオイラ。あっちはクロ!」
 マタタビに駆け寄っていくキッド。クロはその姿を見て、昔を思い出した。優しく暖かい記憶ではない。冷たい、血の記憶。
「――近づくなっ!」
 クロの怒鳴り声にキッドは立ち止まり、振り向いた。その表情は怒り。
「んだよ。さっきから……」
 別にクロの嫌がることをしようとしているわけではない。ただ、自分のすることをクロが嫌がる。キッドはもう我慢できなかった。
「オイラがそんなに気に喰わないのかよ!」
 クロは気づいてしまった。
 どうしてこんなにもキッドが怖いのか、どうしてキッドが他の者と触れるのが嫌なのか。
「ああ、気に喰わねぇ!」
 罪を突きつけられているような気分になるからだ。
 愚かさを見せつけられるからだ。
 穢れを知られるような気がするからだ。
 だから、キッドが嫌いだ。
「消えろぉぉぉ!」
 クロが剣を手にとり、キッドに立ち向かう。
「消えねぇよ!!」
 キッドは銃を手にとり、クロに応戦しようとした。
「馬鹿者っ!!」
 だが、両者の戦いはマタタビの怒鳴り声によって中断を余儀なくされた。
「貴様らいい加減にしろ! こんな町のど真ん中で喧嘩を始めよって! 町の者が迷惑してるだろうが!」
 マタタビは二匹を引きずって人気のないところまで歩いた。
「……キッドとクロに別れた経緯はわかった。だが――」
「だってクロが喧嘩、売ってくんだもんよ」
「………………」
 喧嘩をするなと説教をするマタタビにキッドは反論し、クロは黙ったまま何も喋らない。
 マタタビはクロが何を考えているのか手に取るようにわかってしまった。無表情で黙っているときのクロは、決まって自己嫌悪と自虐的考えに囚われている。
「受け入れることだな」
 マタタビはクロの耳もとで小さく囁いた。
「過去はもう変えられん。なら、受け入れろ」
 冷たいようにも聞こえるが、マタタビの言葉は正論で、クロは何も言い返せなかった。
 恐れていては始まらない。受け入れなければならない。自分の罪を、無知を。
「ああ。だよな」
「……? 何の話だ?」
「まあ、いいではないか」
 ため息と疑問と微笑み。三匹の生活は始まったばかり。


END