何となく暇だったクロは近くを通りがかったチエコをからかった。そしたら当然のごとく喧嘩になった。いつものこと。いつもの光景。そのはずだった。
「クーロー!」
「へっへーん」
超能力で周りの物をクロにぶつけようとするチエコだが、クロはそれを軽々と避けてしまう。それもいつも通りだったのだが、一つだけ今日は違うところがあった。
「今日のあたしは機嫌が悪いんだから!」
チエコの機嫌が最悪だったということ。
いつもならば多少の手加減はあるのに対し、今日はまったく手加減なし。フルパワーで攻撃をしかけてくる。
「よっと!」
それでもクロの素早さには勝てないのか、チエコの攻撃がクロに直接当たることはない。
元々悪かった機嫌がさらに悪化し、怒りと不満が頂点に達したチエコはクロ自身に超能力を使った。それは本人が意図してしたものではなく、ついカッとなってやったといわれる類のものだった。
「――っ!」
表面上はなんら変わりないクロだったが、ダメージは確かにあったらしくその場に膝をついた。
「……ざまぁ……みろ……」
自分が何をしたのか、いまいち理解できていなかったが、クロに片膝をつかせたという真実が目の前にあることにチエコは満足していた。先ほどまでの鬱憤も全てクロにぶつけたおかげで、今では気分がスッキリしている。
クロに片膝をつかせたということに喜びを感じたチエコはクロの横まで近寄った。
「どう? 何か言うことある?」
チエコの質問にクロは答えない。
「…………何? どうしたの……?」
普段のクロならば、開き直りなり、罵倒なり、ここで何か言葉がでてくるはず。だがそれがない。
気絶でもしているのかと思いクロを覗き見るが目は開いている。
ふいに、クロがチエコの方を見た。首を抑えて。
「――――」
口をパクパクさせるが、声は出ていない。
「まさか、声が出ないの……?」
否定して欲しいという気持ちでチエコが呟いた。だが望みも虚しくクロは首を縦に振った。
驚きとショックのあまり頭の中が真っ白になってしまったチエコとは裏腹に、クロはすぐに落ち着きを取り戻しじっくり何かを考えて走りだした。
「ど、どこに行くの?」
思わずチエコがクロの後を追いかける。
クロは当然目的地を言わないがその道のりには見覚えがあった。
「あ……! 剛博士! 剛博士のところに行くのね!」
どこか体に異変があるのならば、クロの体を改造した張本人に直させればいい。
チエコは自分よりもずっと前を走るクロの首が縦に動いたのを見た。
普通の人間ならば寄りつきもしないであろうゴミの山の中に剛達は住んでいる。
ゴミだらけで、道らしい道もないようなところではあるが、チエコもクロも慣れたもので、迷わず一直線に剛の研究所という名の家へ向かった。
ふわりといい匂いが漂ってくると、あともう少しで剛達の家につく。クロは足をさらに進める。
「はぁー」
ボロ小屋の前ではため息をつきながら鍋に火をかけ、中身をぐるぐる回している猫型のサイボーグ、ミーがいた。
いつもならばミーのため息の理由を聞いてやらないわけでもないクロだが、今はそれどころではない。
クロは素早くミーの傍まで駆け寄り、何の前置きもなくミーの体を前後に揺すった。
「ちょっ……! クロ、何するんだよ?!」
当然のことではあるが、ミーには何故自分が前後に揺すられているのかさっぱりわからない。
「はぁ……はぁ……。ミー……君……」
クロの足に何とか追いつこうと必死に足を動かしていたチエコがようやく姿を現し、ミーに事情を説明し始めた。
「何か……声が……出ない、らしい…………の」
息を整えつつだったので途切れ途切れのものだったが、ミーにはそれで状況も、その重大さも十分に伝わった。
「クロ、ちょっと口開けてー」
火を消してクロに向きあったミーはクロに口を開けるよう促した。クロも早くこの事態をどうにかしたいのか、素直に口を開ける。
ミーはクロとは違い、表情というものがないのでわかりにくいのだが、ミーは真剣にクロの口の中を見ている。チエコは直るのかどうか不安げに二匹の様子を見つめる。
「あ〜。なんか色々切れてるみたい……」
「直せないの?」
ミーが困ったような声色で言うので、チエコの不安はさらに増した。
「いや……剛くんなら直せると思うけど……」
「……そういえば、剛博士は?」
いつもならばそろそろ出てきてもおかしくないはずなのだ。
「今はコタロー君達と旅行に行ってる……」
悲しそうな声。どうやらミー君は一人でお留守番をしているようだ。おそらく先ほどのため息もそのためのものなのだろう。
「…………」
何故置いてけぼりをくらったのかとかいろいろ聞いてみたかったが、これ以上ミーをへこませるのは可哀想だと思ったチエコは口を噤んだ。
微妙な空気になってしまったが、クロがミーの肩を叩いて『それでオイラの声は?』とジェスチャーで伝えてきたことによって、話題が戻った。
「ミー君は直せないの? クロの顔が半分なくなったときもミー君が直したんでしょ?」
チエコが言っているのは、ゴローが暴走したときのことだ。
暴走したゴローによって顔を半分吹っ飛ばされたクロの顔を確かにミーは直した。
「う〜ん……。あれはあくまでも応急処置みたいなものなんだ……」
ミーやクロのようなサイボーグにはいざというときの処置法がプログラムされている。基本的な構造はクロもミーも似たようなものなので、前回ミーはクロに応急処置をすることができたのだ。
「それに、あの時は中から順に組み立てれたけど、今回は内部だけだし」
中だけを直そうとすると、必然的にクロの口からミーの腕を入れなければならない。それも複数の腕を。
正直、ミーもクロもそんなグロテスクな光景はみたくないし、実行したくもない。
「じゃあ、剛博士はいつ帰ってくるの?」
「……わかんない」
絶望的な答え。
チエコは目の前が真っ暗になった。クロ達と出会い、ゴローと生活して、自分の力の危険性を知った。自分の持つ力は誰かを守るための力にしようと思った。
それなのに、自分はクロを『破壊』した。
このようなことを言ってはいけないと思いつつも、チエコは今回の犠牲者がクロで良かったとも思ってしまっていた。クロだから声が出なくなる程度ですんでいるのだ。
もしも、これが生身の者だったら……。
恐ろしい考えに思わず涙が出た。
「……チエコちゃん……」
涙を流すチエコにどう接していいのかわからず、困っているミーの横を通り、クロがチエコの前に来た。
「…………クロ?」
ポロポロと涙を流しながらクロを見るチエコはいつもと違い弱々しい。クロはそんなチエコの額に指を近づけた。
「――っ!」
クロの指を見ていたチエコが声にならない叫び声を上げた。チエコは額を手で抑えてどうにか痛みを和らげようとする。
何が起こったのかを簡潔に表すなら、クロがチエコにデコピンを喰らわせたのだ。
「ク〜ロ〜!」
人が心配しているのに、人が反省しているのに、そんなことを全て無駄に思わせるような行動にでたクロにチエコは怒りをあらわにした。
チエコは超能力でその辺りのゴミをクロへ向けて放り投げ、クロは笑ってゴミを避けた。
「…………クロも素直じゃないなぁ」
傍観者となったミーは一匹呟いた。
生まれ持っての力のせいで悲しんでいるチエコをクロは励ましたかったのだろう。だが今は声がでない。いや、例え声が出たとしてもクロは同じような方法で励ましただろう。クロは素直ではない。
上手く励ませないのから忘れさせてやりたいと思うのだろう。だからあんな不器用なことしかできない。
「チエコちゃーん!」
そろそろ日が暮れ始めてきたのでミーはチエコを止めた。
「今日のところはそろそろ帰ったほうがいいよ」
ミーの言葉にチエコは少し躊躇しつつも頷いた。
「でも……」
クロは一体どうなるのだろう。チエコは尋ねた。
「剛くんがいつか帰ってくるかわからないし……。あ、そうだ!」
何かいい考えが浮かんだらしいミーはチエコに言った。
「剛くんが帰ってくるまでクロがここにいればいいんだよ」
表情がないミーだが、表情があったならきっと嬉しそうに微笑んでいるのだろう。それくらいミーは嬉しそうに言った。
ミーの提案に、不満気な視線を送ったクロだが、どうせ声が出ないままでは普通の猫のフリをすることも難しいので、そうするしかないということはわかっていた。
「そうね。じゃあ、私がマタタビ君に伝えておいてあげるわ」
チエコはミーの考えに賛成し、クロと同じ家に住んでいるマタタビにこのことを伝えておいくと言い、帰って行った。
「気をつけてねー」
日が完璧に暮れたわけではないが、辺りはもうずいぶん暗い。
「大丈夫よー」
薄暗い中、チエコの姿は消えた。
「…………」
「…………」
チエコが帰り、二匹の間には沈黙が生まれた。
クロは喋れないし、ミーも何を言っていいのかわかりかねているといった風であった。
「あ、ご飯食べる?」
何か喋らなければずっとこのままかもしれないと思ったミーは思いきってきりだした。
ミーの料理が美味いことは誰でも知っていることなので、クロも素直に頷く。
「じゃあシチューを温めなおすね」
口のないミーは一体どこで食べ物を食べるのだろうかなどど考えつつ、クロはミーの後ろを歩いた。
不意に、足の力が抜けた。
「クロ?!」
すぐ後ろでクロが崩れ落ちる音がしたので、驚いたミーが叫んだ。
「大丈夫か?!」
心配そうに声をかけるミーにクロは口パクで一言伝えた。「痛い」と。
「……もしかしたら、足の神経をつかさどる配線も傷ついてるのかもしれない……」
もしそうだとしたら下手に動かないほうがいい。下手に動いて配線が切れてしまったらとんでもないことになるかもしれない。
とは言うものの、ずっとこの場にクロを置いておくわけにもいかない。ミーは考え抜いた末に、クロを背中に背負った。
「――――?!」
声は相変わらず出ていないが、雰囲気でクロが驚いているとミーはわかった。
「じっとしてろよー」
金属でできている体は重いが、車一台くらいならば軽々と持ち上げるミーにはたいした重さは感じられない。ミーは足取り軽く家へ入って行った。
「はい。ここに座る。あとはボクがシチューを持ってくるまで待つ。わかった?」
テーブルの前に座らせられたクロはバツが悪そうな表情をしつつも頷く。
クロが頷くのを見て、ミーはシチューを温めるためにコンロに火をつけた。すぐにシチューは温かくなり、いい匂いが部屋中に充満する。
いい具合に温まったシチューを器に入れ、スプーンを手にミーはクロが座っているテーブルに戻った。
「はい。あーん」
シチューを一杯掬って、ミーはクロに向けた。
クロは一瞬何が起こったのか理解できていないようだったが、すぐに事態を飲み込み顔を真っ赤にした。
眉間に皺を寄せてミーからスプーンを奪い取ろうとする。おそらくそのくらい自分でできると言いたいのだろう。
「ダメだよ」
いつになく真剣な口調でミーが言う。
「今、クロの体の中は小さな傷でいっぱいかもしれない。もしかしたら腕も足と同じようになるかもしれない」
少しでも可能性があるのならば体は動かさないほうがいいとミーは主張する。
声が出たのならクロはミーの主張に異議を唱えただろう。だが今のクロはそれができない。キツイ口調で主張されてしまうとそれに従うしかないのだ。
「だから、これ食べて早く寝るっ!」
まるで母親みたいだと、軽く現実逃避をして目の前のスプーンからクロは目を逸らす。
「……無理やり口を開けられたい?」
クロは素直に口を開けることにした。
ミーは真剣だった。それはもう恐ろしいくらいに。その証拠にミーの背中からは無数の腕が出ていた。
渋々口を開けるクロだが、どうも照れくさい。顔が赤くなるのがわかるが、どうにも落ち着けない。
「はい。ごちそうさま」
ようやく器に入ったシチューを食べ終えたクロはやっと一息ついた。
「すぐ寝るのは体に悪いし……。何かする?」
器を流しに置いたミーがクロに尋ねるが、当然クロは答えることができない。
「……なんか、クロが喋らないと調子が狂うなぁ」
クロは口数が多いというわけではなかったが、ずっと黙っているような猫でもなかった。
「……………………」
沈黙。片方しか喋ることができないのだから、当然のことなのだが、やはり普段は喋ることのできる者同士が同じ空間にいるというのに言葉を交わさないというのはどこか違和感がある。
「……寝よっか」
「…………」
先ほどの言葉はどこへ行ってしまったのか、ミーが呟いた。クロも沈黙に耐えられなかったのか静かに頷いた。
ミーは布団を一式敷いた。布団を敷いたミーはクロを抱き上げ、そっとクロを布団の上に転がした。
「おやすみ」
「…………」
二人は同じ布団の中に並んで眠りについた。
真夜中、不意に目が覚めたミーは隣にある塊に驚いた。
「あ……そうか」
つい忘れていたが、クロと一緒に寝ていたのだった。
「…………」
ミーはジッとクロを見た。隣にいる自分が起きたと言うのに、一向に目覚める気配を見せないクロは警戒した様子もなく眠っていた。
一度は敵だった。いや、今でも自分達は敵同士のはずだ。命をかけて戦ったこともある。いつ寝首をかかれてもおかしくないはずなのだ。それなのにクロは警戒しない。
信用されてるわけではないだろう。だが、全然信用されていないわけでもないらしい。
ミーは今日のことを少し思い返した。照れたように顔を赤くするクロ。背中に感じたクロの重み。どれもこれもいつも通りの日常では見れなかったものだろう。
「……ずっと、このままでも……」
無意識に呟いた。
このままずっと喋れなくてもいいではないか。ずっと一緒にいればいいではないか。そんな思いがミーの胸をかけ巡った。
「……何言ってんだろ」
だがすぐにそんな思いは消え去った。
喋れないクロなんてクロじゃない。第一、ずっとこのままということは剛達が帰ってこないということだ。そんなのは嫌だ。クロだって喋れない、動けない。そんな生活はゴメンだろう。
「寝よ……」
きっと寝起きだからこんな変なことを考えるんだと、ミーは自分を納得させて再び眠りについた。
クロは鳥のさえずりで目を覚ました。
どうやら朝になったらしく、扉代わりの布から朝日が差し込んでいる。
「ミーくーん」
少し離れたところからよく知っている声が聞こえてきた。
案外早く不便な生活から抜け出せるようだと安心したクロはミーを起こした。
「ん……。なにぃ……?」
まだ眠そうなミーの頭に頭突きを喰らわせた。
「っ〜〜〜〜! 何だよぉ……」
寝起きに頭突きを喰らい、かなりのダメージを与えられたミーは頭を抑えてクロを見た。
「ミーくーん」
さらに不満を述べようとしていたミーの耳に最愛の人の声が聞こえてきた。
「剛くん?!」
予想以上に早い帰宅に嬉しい驚きを感じつつ、ミーは外へ出た。
朝日と共にこちらへ向かってくる影は確かに剛達のものであった。
「ただいまー!」
「おかえりー!」
お互いの姿を確認するや否や二人は互いに駆け寄り抱き締めあった。
「博士ー。待ってくださいよ〜」
後から追いかけてきたコタローの姿を確認して、ミーは家の中に入るクロのことを思い出した。
「剛くん。実はね……」
ミーはことの顛末を剛に話した。
「え〜。クロちゃんが?!」
クロが大好きなコタローはミーの話を聞いてすぐさま家の中へ入って行った。
「それで……ミー君はクロを直して欲しいんだね?」
剛自身はそれほどクロを直したいとは思わない。もちろん、壊れかけているクロを目の前に直さないというほど心が腐った者でもない。剛はミーがなんと答えようがクロを直すつもりだった。
「……うん」
静かに頷いたミーを見て剛はミー自身が気づいてないであろう気持ちに気づいた。
伊達に長く生きていない。
「そっか。それじゃ、さっそく始めようか」
「うん! ありがとう。剛くん」
「ミー君の頼みだもん」
二人は仲良く手を繋いで家の中へ入って行った。
家の中ではすでにコタローがクロのきぐるみを脱がし、簡単なチェックを行っていた。
「どうだい?」
「う〜ん。中の配線がボロボロですね」
「プログラムは?」
「たぶん大丈夫だと思います。あ、でも少し傷ついてるかも」
二人はクロを手術台に置き、クロの体を分解し始めた。
クロの体の中はミーが思ったよりもボロボロで、腕の配線もあと一歩で切れてしまうところだった。傷ついていたのは主に配線だけだったので、修理は思ったよりも早く終わった。
「あー。あー。一日ぶりのオイラの声だな」
修理が終わったクロは喉を抑えて自分の声を確認していた。完璧に直ったのか、足の痛みもなくなり、声も以前と変わりなく出た。
「よかったな」
ミーが言うとクロは笑ってまあな。と、答えた。
END