再会はいつも突然で、表面上は冷静な彼の心はいつも混乱していた。
「やあネコ君。いや、キッド君」
 そう言ってクロに手を振っているのはどこかで見た覚えのある赤いボディのサイボーグだった。クロの記憶が正しければ、彼は砂漠で自分が壊したはずだ。仮に、奇跡的に生きていたとしても、あの世界とこの世界は別物。ここにいるわけがない。
「よお、久しぶりだな」
 笑って手を振り返したが、クロの頭は混乱したまま。
「本当に長かったズラよ」
 笑顔のままクロに近づいてくるバイスに、クロは無意識のうちに後ずさりした。
 バイスの最期を見届けたのは確かに自分だ。ならば今目の前にいるのは幽霊だとでも言うのだろうか。
「……オイラにもわかるように説明してくれんだろうな?」
 バイスが近づいた分だけ後退しながらクロが問う。
「もちろんズラ」
 バイスの本当の姿を知っているクロとしては、バイスの笑顔はとうてい信用には及ばなかったが、今の状況を説明できそうな奴がバイスしかいないのもまた事実だった。
「ボクはあの時確かにキッド君に壊された。でも、ボクには『自動修復システム』が搭載されてたズラ」
 あの世界の技術はそうとうなものだった。あれほどの技術を持っているのだから、バイスの言う『自動修復システム』なるものが作られていてもなんら不思議ではない。だが、それでは何故バイスがこの世界にこれたのかという疑問が残る。
「あの世界にはたくさんの金属があったズラ」
 クロの疑問を読み取ったかのようにバイスは続けた。
「タブーが無くなった今、ボクはあの世界に必要とされない存在になったズラ。だから、ボクはこの世界にこれる装置を作ったズラ」
 いつの間にか距離を詰めていたバイスはクロの手を取り、どこか甘さを含んだような声で言う。
「君に会うために」
 邪気のない無垢な笑顔はバイスの気持ちをそのまま表しているようで、クロはないはずの血が顔に上がってくるように感じた。
「………………」
 わずかな体温しかないはずの体が、熱く火照ってきたように感じていたクロは動くこともできず、ただバイスを見つめることしかできなかった。その間もバイスは笑顔を崩さずクロの手を握り締めている。
 時間の感覚がなくなり、周りの景色さえも、クロは無に感じ始めた。
「キッド?」
 音も何もなくなってしまったのではないかと思っていたクロの耳に音が届いた。
「あ…………」
 バイスに手を握られたまま、振り向いたクロの瞳に映ったのは茶色のトラ猫が映った。
「君は……誰ズラ?」
「……貴様こそ誰だ」
 フジイ家の庭はあっという間に一触即発の空気へと変わった。
「ボクはキッド君の友人ズラ」
「キッ……?!」
 まさか自分以外にクロのことを『キッド』と呼ぶ者がいるとは思っていなかったマタタビは体中の毛を逆立てた。
 『キッド』はいわばクロの罪の証。クロを傷つけるだけの刃。それでもマタタビがクロをキッドと呼び続けるのはそれをクロが望むから。それなのに、クロが自分以外にもキッドの名を呼ばせる存在がいる。
 そんなことはマタタビには関係ないはずなのだが、マタタビは己の心の中にドロドロしたものが生まれるのを感じた。
「拙者は――――!」
 何か返さなければならないと思ったマタタビは口を開くが、何を言えばいいのかわからなかった。
 昔は兄貴分だったが、今はそんなことを言える間柄ではない。ならば幼馴染とでもいうのだろうか。だが、それも何か違った気がする。今、何故クロの傍にいるのかと考えると、それは復讐のためであり、クロの横にいてやるためでもあるのだが、それを言葉にするとなれば難しい。
「……腐れ縁だ」
 口を開いたまま次に続く言葉を言えないマタタビに代わってクロが答えた。
「…………」
「始めましてズラ。ボクはバイスズラ」
 クロの言葉が間違っていないため、否定することができないのだが、どこか不満の残る答えに沈黙したマタタビにバイスは笑いかけた。いや、嗤いかけた。それもクロにはバイスの表情が見えないようにうまく。
「拙者はマタタビだ」
 明らかに笑っているバイスに、マタタビは頬を引きつらせつつも自己紹介をする。
「バイスはあの砂漠の世界でナナを攫った奴だ」
 クロの言葉にマタタビの苛立ちはさらに増していく。
「ボクを倒したのは君だけだったずらよ」
「別に、てめぇのためにやったんじゃねーよ」
 それは真実だ。クロはバイスがタブーを守り続け、自分を壊してくれる人物を待っていたなんてことは知らない。
「それでも、ボクが救われたことに変わりないズラ」
 バイスは相変わらず笑みを崩さない。
「……拙者は木材を取りに行く。家を壊すなよ」
 これ以上ここにいてもしかたがないと思ったマタタビは当初の目的を思い出し、家の敷地から出て行った。フジイ家の敷地にはバイスとクロが二人っきりとなった。
「まあ、ここにきたってことは、お前は戦うために作られた存在じゃなくなったんだろーな?」
 戦ったときに聞いた。何故戦うのかと。バイスは戦うために作られたからだと言ったが、そんな心持ちでここへきたのなら、覚悟してもらうしかない。
「もうそんなこと思ってないズラよ」
 何だかんだ言いつつも、他人のことを思ってくれるクロの優しさにバイスも笑みをさらに深くする。
「使命に縛られていたボクはもういないズラ。君が壊してくれたズラ」
「……あっそ」
 照れ隠しにそっぽ向いてしまったクロは少し可愛かった。
「君は……どうしてボクに『キッド』という名を教えてくれたズラ?」
 それはバイスがずっと気になっていたこと。
 クロの仲間達はみんな彼のことを『クロ』と呼ぶのに、クロはバイスに『キッド』と名乗った。しかも、マタタビの様子を見る限り、その名前は偽名ではなく、クロの大切な名前だということがわかる。
「お前はオイラに勝てるくらい強かったからな。オイラに勝ったら名前を教えてやるって約束だった」
 正確にはバイスに向けた言葉ではなかったが、クロはその約束を守ったのだ。
「それに……」
「それに?」
 付け足すかのように呟いたクロにバイスが尋ね返す。
「じーさん達がつけてくれた『クロ』も今じゃ本当の名前だけど…………。オイラはやっぱり『キッド』なんだ」
 始めてついた名前がやはり忘れられない。これからどれだけの時を生きようとも、それは変わらないだろう。
「オイラは絶対信用できねー奴以外にはそっちで名乗るつもりだぜ?」
 意地悪げに笑うクロを見てバイスは首を捻った。
「でも……ナナちゃんも他のお友達も、みんなクロちゃんって呼んでたズラよ?」
「オイラはあいつらに一度も名乗った覚えはねーぜ?」
 剛は近所の評判を聞いて、クロの名を知り、ミーは剛から聞いた。
 コタローやロミオはクロの噂を聞いて、ナナはクロの見た目から『クロ』と呼び始めた。
 つまり、クロは一度も自分で『クロ』と名乗ってないのだ。
「君は意地悪ズラ」
 出会ったときのことを思い出しながらバイスは微笑んだ。クロは出会ったあの日から何一つ変わっていない。
「でも嬉しいズラ。
 ボクは、君に認めてもらえたズラ」
 だから……。とバイスは続ける。
「次はタブーじゃなく、君を守るズラ」
 クロはぽかんと目を丸くしてバイスを凝視する。
「……べ、別にオイラは守ってもらう必要なんてねーよ」
 そう言ってクロは家の中へ入って行った。
「ボクはずっと物言わぬタブーを守り続けてきたズラ。守ってもらわなくて言いという君を守るなんて、とても楽しくて、簡単なことズラよ」
 バイスの呟きは誰にも聞かれることなく、風と共に消えた。


END