縁側には二匹の猫がいる。
一匹は体を丸くして寝ており、もう一匹は足をぶらつかせながら空を見上げ座っていた。座っている猫は明らかに普通の猫ではない。穏やかな日差しを反射するボディは、誰の目から見ても金属でできていることがわかる。
眺めるだけならばわからないだろうが、体を丸くしている猫の毛並みもおかしい。自然の柔らかな毛ではなく、ナイロンでできた糸で作られている毛が彼を覆っている。正確には包み込んでいる。
金属の体を持つ猫、ミーは度々この家を訪れていた。彼が、傍にいると強く誓っている剛のもとを離れてやってくる場所はここくらいのものだ。
家の主は、この家に住むもう一匹の猫と共に今でお茶を飲んでいる。障子が閉められているので、あちらからは二匹のことが見えない。
「なーんでお前はここに来るんだよ」
目を閉じたままクロが問いかける。声は幾分か抑えられており、障子の向こう側にいる人達を意識しているようだった。
潜められているとはいえ、ミーは言葉を聞き逃さない。彼の持つ聴覚は、本来の猫が持つそれよりも鋭い。
「別にいいだろ?」
「良くねぇから言ってんだよ」
二人は顔を合わせず、己のしたい体勢を変えようとしない。片や目を閉じ、片や空を見上げている。日頃の二匹を思えば、不気味といえる程静かな空間がそこにはある。
暴れることもなく、日々大工として活躍しているマタタビに怒られるようなこともしていない。何とも穏やかで、一般的な日常を当てはめることのできる光景だろうか。
クロの言葉を最後に、縁側には鳥の囀りだけが聞こえている。
「――今だから言うけどさぁ」
静寂の中、ミーが言葉を発した。その声の色がやけに真剣で、けれども過去を懐かしむような部分も見せるから、クロは渋々片眼を開けた。彼の目に映るミーは相変わらず空を見上げている。
剛といるときには見せないような、雰囲気をまとって座る姿は絵になる。普段とのギャップもあいまって、彼の人気を作り上げているのだろう。
話を聞くのだから、ミーと同じように座った方がいいのかもしれないが、クロは丸くなった体勢のままだ。目を開けたという部分で、話を真面目に聞いているという意思表示として受け取ってもらう。元より、それほど気を使いあうような仲ではない。適当でいいのだ。
「お前のおかげで剛君が昔みたいに戻ったよ」
彼の言う「昔」をクロは知らない。それがどれほど昔の話なのかも知らない。少なくとも、幾多のニャンニャンアーミーを作り出せる程の期間が彼らにはあったはずだ。もしかすると、「昔」というのはクロが生まれる前なのかもしれない。
他人の過去を詮索するような趣味はないが、始めて会ったときにミーは剛に助けられたと言っていた。発明をしてもほとんどがロクなものではないあの科学者が、何をどうしてミーを助けることができたのかは気になるところだったりする。
時間というものは、様々なものを変化させる。クロの知らぬ剛がいたとしても、何ら不思議ではない。ミーの言う「昔の剛」のことなどわかるはずもない。彼が知っている最も昔の剛は、世界征服を企んでいるものの、爪が甘いマヌケだ。
クロ自身が知らぬからと言って、ミーの言葉を疑うようなことはしない。彼が剛は良い人であった。などと、嘘をつく必要はないし、つまらない小細工をしてくるようなことはしないオスネコだ。剛と一緒になってクロを苛立たせることはあるが、彼一匹でそのようなことをなした記憶はあまりない。
「いつからか、手段を目的と勘違いしてた。剛君も、ボクも……」
閉じることのできない目が伏せられたような気がした。
「どんな剛君だってボクは守る。どんな剛君だって大好きだ。
でも、あのままの剛君だったら、きっといつか傷ついた。剛君自身が」
種族の壁も貧富の壁も、すべてを壊そうとした剛は、心優しい人間だった。そのために世界征服を掲げ、真っ直ぐに進んでいたつもりだった。道が曲がっていたことに気づかず進み続け、いつしか道を外していたことになど気づけなかった。
けれど、いつかは気づく日がきたはずだ。己が突き進んでいたのは道ではなく、血と壁にまみれた獣道であったことに。後ろを振り返って、始めてその結果に気づく。次に絶望するのだ。嘆き、謝罪を口にし、心に癒えない傷を作ったに違いない。
「ありがとう」
そこでようやく、ミーはクロを見た。
クロの片目とミーの瞳孔のない目が、互いを映しあう。
「本当は、ボクが守らなきゃいけないんだけど。
でも、お前のおかげで、剛君が泣かずにすんだ」
どんな褒美よりも、剛が笑えている世界。ミーが欲しているのは常にそれだ。
クロにはミーの気持ちがよくわかる。手段や状況は違うが、彼もまた、ミーと同じプライドを持って生きている。サイボーグである身が完全に故障してしまうか、生身である守るべき対象が死ぬまで、欲するものは変わらない。
「だから、一緒に来ないか?」
微笑むような声だった。
「……バーカ」
「馬鹿とは酷いなぁ」
クロは体を起こして軽く背伸びをする。ほとんどが金属でできている体が軋んだ音をたてる。定期的にメンテナンスをしているとはいえ、独学と直感による技術だ。一度、本職の者に見てもらうべきなのかもしれない。問題は、周囲の科学者にロクな人間がいないことだ。
「今さら何を言い出すかと思えば」
鼻で笑いながら言う。
昔、それこそ、出会ったばかりの頃は、よく仲間になれと言われていた。元々、クロはそのために生身の体からサイボーグへと改造されたのだ。
「あの野郎も、最近じゃ世界征服なんてほざかなくなったじゃねーか」
「必要なくなったからね」
「なら、なんでオイラを誘うんだ」
仲間とも、知りあいとも違う独特の距離感を保ったままでも問題はないはずだ。今になって、クロを身内に引きこむ理由はない。
クロは怪訝をそうな表情を浮かべて問いかける。
「その方が、楽しそうだから、かな」
二人の間に水を差すような者はいなかったが、それができる者がいたならば、ミーの声色がクロとそっくりであったことを指摘しただろう。
変わったのは剛だけではない。ただ忠実に守ることだけを遂行していたミーも、また変わっていた。無情な戦い方は楽しむものに変わり、黙して守るのではなく共に支えあうように変わった。
それが良い方向なのか、悪い方向なのかを決めるのはミー本人だ。
「ボクと剛君と、コタロー君、それと、クロで世界征服したら、きっと楽しいと思うんだよねぇ」
「チエコやゴローが怒ってきそうだな」
肩をすくめる。
きっと、ほとんど全員が文句を言うに違いない。
そんな楽しいことに混ぜてくれないなんて、と。
「確かに。
じゃあ、みーんなで世界征服しようよ」
誰一人欠けることのない世界征服はきっと幸せそのものだ。そして、それが本当の理想だった。
「断る」
「えー」
クロはスッパリと拒否の言葉を述べる。
気侭な彼は誰かの下につくことも、同じ目標を持つこともない。日々、日向ぼっこをしながら過ごせればそれで満足なのだ。
「お前らだけでしてろ」
別段、止めるつもない。
「ちぇ。わかりましたよ。
剛君とコタロー君とで世界征服しちゃうもんねー」
「そうしろ」
縁側から飛び降りたミーは、軽く跳躍して塀に足をかける。玄関から入ってこないのは、今に始まったことではないので、クロは何も言わない。
そのまま地面に着地するべく、体の重心をずらして塀の向こう側へ行く。
「まぁ、何かあったら来いよ」
ミーの体が消える寸前、ポツリと零された。
「オイラはずっとここにいるから」
その声はどこか笑っているように聞こえた。
END