暗い世界がそこにはあった。
一寸先は闇。伸ばした手も見えないような世界。
「ゴロー?」
一歩足を踏み出すと、何かを踏みつけた。
粘着性のある気持ちの悪い何かだった。
「気持ち悪ぃ」
踏みつけている何かから足をのけようとした瞬間、クロの足はその何かによって空中へと引きずり上げられた。
「うおっ!」
逆さづりの形になるが、どこもかしこも黒でしかなく、頭に血が上っていることを除けば逆さづりになっていることもわからない。
「どうしてきたの?」
遥か下の方から声が聞こえた。
声の主を見ようとクロが目をこらすが、影も形も見えない。
「魔王を倒せって言われたんだよ」
姿は見えなかったが、その声の主はわかった。
救いたいと思った者の声だ。わからないはずがない。
「じゃあ殺せよ」
「あ?」
抵抗されるだろうとは思っていた。めぐみも鈴木も危険だと言っていたところから、かなり強力な攻撃でもくるのだろうと覚悟していたつもりだった。
しかし、現実のゴローは殺せと言う。
「殺してくれよ」
逆さづりのクロの前にゴローが姿を現す。
口元は笑みを浮かべているにもかかわらず、その目は暗い。
「生き返りたくなかった。この世界は怖いよ」
一筋の涙が零れ落ちた。
「なあ、クロもそうだろ?」
尋ねられ、呆気にとられた。
「んなわけ――」
「ああ」
否定するクロの言葉に、同じ声がかぶさる。
驚き、横に視線を移してみると、そこには逆さづりにされていないクロがいた。
「怖い。この世界は怖い」
「何言ってんだ……」
小さく呟く。
「殺さなきゃ生きれない。
オイラがいるとみんなが死ぬ」
悲しそうな声だった。
無機質な声なのに、悲しそうに聞こえたのは、ここが精神世界だからかもしれない。
「オイラは、オイラは大切な奴を殺しかけた」
その言葉が耳に届くと、目頭が熱くなり始めた。
「な……んで……」
マタタビと再会を果たし、全てに決着をつけたと思おうとしていた。
「絶対に許されない」
「怖いな」
「怖い」
ゴローとクロが言葉を交わすごとに、昔のことを思い出す。
殺したと思ったときの絶望。逃げたときの虚無感。生き延びていることへの罪悪感。それでも死ななかったのは、怖かったからだ。
「生きていたい?」
「苦しい世界でも?」
二人が尋ねてくる。
答えを返せずにいると、沈黙を肯定ととったのか、二人は続けて口を開く。
「ならオレも生きたい」
「このまま、怖いことがない世界で、生きていたい」
生への渇望が言葉には宿っている。
ただ生きたい。
「ここから出て行くなんて無理だ。
だって怖い。世界は怖い。オレを殺そうとしてくる。
オレは何もしてないのに、酷い目にあわされる。まともに生きていけない。
生きていたいから、悪いこともした。そしたらまた酷い目にあわされる。何で? 何でこうなるんだ?
悪循環だ。ぐるぐるぐるぐる嫌なことばかりが回ってる。オレだって普通に生きたいんだ。なあ、普通ってなんだ? オレは普通じゃないのか?
母さんや父さんのことを知らない。汚い部分をたくさんみてきた。まだ子供だ。だけど、生きてる。生まれてきた。
人間だ。普通だ。怖いよ。死ぬのは怖い。怖かった。
痛かった。苦しかった。辛かった。口の中が鉄の味でいっぱいになった。
蹴られたんだ。殴られたんだ。鞭で叩かれたんだ。刺されたんだ。飯も喰えないし、満足に動くこともできない。
チエコが泣いてた。オレを助けようとして叫んでた。でも無駄だった。オレは死んだ。苦しい思いをして死んだ。
やっと解放された。死にたくなかったけど、辛くはなくなった。でも生き返った。辛い。苦しい。助けて欲しい。怖いんだ。外の世界は怖い。怖い。この世界は安心。怖くない。幸せ。でも冷たい。寒い。寂しい。チエコはどこ? オレはどこ? ここにいる。みんないない。オレはいる。外は怖い」
口を挟むことを許さぬスピードでゴローは言葉は垂れ流す。
感情のない声だった。
「クロもそうなんだろ?」
ゴローはクロに尋ねる。逆さづりのクロではない方に。
「やめろ!」
逆さづりのクロは叫んだ。
もう一人の自分が何か恐ろしいことを言うとわかっていた。
「怖い。世界は怖い。あの世界は怖い。怖い。怖い。恐ろしい。
盗賊団に入るまで一人だった。大人は冷たかったし、酷いことをする。痛いこともする。
マタタビに出会って、みんなと出会って、本当に幸せだった。何も怖くなかった。
みんなはオイラに幸せをくれたのに、オイラはみんなに離別を与えた。一番の恩人を殺しかけた。殺しててもおかしくなかった。
酷い奴だ。生きてちゃいけないんだ。わかってる。それでも生きてたかった。みんなの分もって思ってた。本当は怖かった。死にたくなかった。
許されない罪を背負ってるって自分で思って、旅を続けた。世界はやっぱり怖かった。一人ぼっちの世界は怖い。怖いし冷たい。痛い。苦しい。辛い。寂しい。
どこへ行ったって冷たい視線を向けられる。石を投げられて、身ぐるみを剥がされかける。だから殺す。
殺すと赤くなる。赤くなると嫌な物を見るような目をされる。それが嫌だった。でも死にたくなかったから赤くなった。黒くなった。
あの世界は怖い。怖いし冷たい。苦しいし痛い。ここにいたい。ここは静かだ。何も怖くない。真っ暗だ」
またもや感情のない声。自分の言葉で紡がれる冷たく、悲しい言葉にクロは耳を覆う。
「怖いね」
「怖いな」
「……ああ、怖い」
耳を覆っていた手を離す。
「だけど、オイラは一人なんてごめんだね」
その手には一丁の銃が握られていた。
暗い世界に一発の銃声が響く。
to be...