悪魔に魂を売れば、この世のすべてが手に入る。そんなことを信じていた人間がいた。
 そんなことを語るのは、クロが知る唯一の悪魔。デビルである。あまりにも安直なネーミングだが、彼は今の名が気に入っているらしい。
「お前もオレ様に魂を売ってみないか?」
 デビルが笑う。
「オイラは今のままで満足だ。
 第一、お前が素直に人の言うことを聞くとは思えねぇよ」
 クロの言葉に、デビルはさらなる笑みを浮かべる。
「せーかい。
 さすがクロ。オレが魂を捧げた奴だ」
「お前の魂なんてもらった覚えねぇよ」
 毎日のように家に訪れ、世間話をするだけ。以前のように喧嘩を売られなくなっただけマシだと考えるようにしているが、ミーや剛以上の頻度でやってこられると煩わしい。
 煩わしい以上に気になるのは、デビルのクロを見る目だ。
 憎しみでも、敵対心でもない。一番近いものをあげるのならば、クロの育ての親であるグレーが向けていたものとよく似た瞳をクロに向けている。その瞳に見つめられると、クロはどうにも居心地が悪い。やっかいなのは、無碍にすることのできないということだ。
「受け取ってもらえてねぇけどな、オレ様は確かに捧げてんだよ」
 自然な動作で肩に腕が回される。
「うっとうしいな」
「おっと。冷たいねぇ」
 苦笑いをするデビルを見ていると、心が痛む。
 こんな奴に罪悪感を感じる必要ないと頭で思っても、心は同じことを思わない。
「なあ、お前は何をくれる?」
 まっすぐな瞳がクロを射抜く。
「……オイラは何もやらねぇよ」
 冷たい言葉を吐く。
 悪魔に魂を売ればすべてが手に入るらしい。
 ならば、悪魔の魂を買うためには何を捧げなければいけないのだろうか。
「一つ、欲しいもんがあるんだ」
 回していた腕を解き、青空を見上げる。
「何が欲しいんだよ」
 開けられた間にクロが思わず尋ねる。
「……お前だよ」
 向けられた瞳は優しいものではなかった。
 飢えた獣という比喩がちょうどいい。
「やらねぇよ」
 獣の瞳を見つめ返す。
 頬に伸ばされた手は払わず、ただデビルの瞳を見つめ返す。ここでそらしてしまうわけにはいかない。
「あ、そう」
 気の抜けた声が放たれると、瞳はまた優しいものに戻り、伸ばされた手は下ろされた。
「いいぜ。それでも」
 一歩後ろに下がり、デビルは両の手を広げる。
「オレ様は今までたくさんもらってきた」
 クロの想像よりもデビルは長い時間を生きてきたのだろう。余裕のある笑みから人生の長さがうかがえる。
「だから、オレ様はそれを全てお前にやる」
 長い時間で得てきたものを受け取るにはどれだけの時間が必要なのだろうか。
 機械の体が壊れるまでに、それを全て受け取れるかはわからない。
「全部お前にやったら、次はお前をもらう」
 絶対だ。とデビルは続けた。
 真剣なデビルにクロは笑いかける。
「……楽しみにしてるぜ」
 まだしばらく時間はかかるだろう。
 その時間の間に二人の関係は何か変わるのかもしれない。
 デビルがクロに向ける瞳をクロが向け返したとき、このやり取りは終わりを告げる。
 それまでの間、クロはひたすらに享受する。どれだけ受け取れるのか楽しみだ。


END