悲しみ  夜は暗部として暗い生活を、昼は下忍として明るい生活を。
 二つの対照的な生活でナルトは身も心も疲れ果てていた。
『ああ、またきたのか』
 毎日のように現れる刺客。
 名家の子供たちを狙ってきているその暗部は強いそして数も多い。だが、その強さと数を持ってしても、ナルトの強さには遠く及ばなかった。
 敵を倒すのは簡単だが、毎日戦うのは辛い。その上、最近の上忍たちは敵の存在に気づいていながらも、いつものように謎の暗部が倒してくれると何の対処もしなかった。
 今日も部下達を避難させることもなく、攻撃態勢をとることもなかった。
「名家の子供を渡してもらおう」
 だが、いつもとは違った。
 密かに敵を倒してくれる暗部が現れなかった。いつも気配を感じさせないからいるのかいないのかわからなかったが、刺客がこうして目の前に現れているのだからいないのだろう。
 油断していた。謎の暗部が敵を始末してくれることが当たり前になっていたからこその油断。
「皆下がって!」
 慌てて上忍達が下忍達を避難させる。
 下忍の子供達は敵の殺気を感じたためか、上手く動かない手足を必死に動かす。
 だが、敵は甘くなかった。何人かを囮に上忍を避け、敵は下忍の子供達に迫ってくる。殺されることはないだろうが、優しくしてくれるわけもないのだ。
 全員が覚悟を決めて目をきつく閉じる。
 耳に金属音が聞こえたが、誰も目を開けることができなかった。
 目を開けたら誰かが血まみれかもしれない。先生達が倒れているかもしれない。そんな恐怖からの行動であった。
「何で……?!」
「まさか……!」
「嘘だろ……?!」
 恐る恐る目を開けた下忍達が見たのは血まみれで倒れている敵。
 確実に死んでいるであろう血の量に、吐き気がした。
 だが、何よりも吐き気を誘ったのはその死体に囲まれている子供の姿。金髪碧眼のよく知った姿だが、まったく知らないようなその少年はどんなに考えてもナルトであった。
 頬に付いた血を拭って、下忍達の方を見る。
「大丈夫?」
 ニッコリと笑っているのに、恐ろしすぎた。
 血溜りの中であんな風に笑われても、狂気にしか見えないのかもしれない。
 ある者は涙を流し、ある者は吐いた。そしてある者は射殺さんばかりに睨みつけた。
「俺はみんなを傷つけないよ? 皆を守りたいだけなんだ」
 困ったように眉を下げて微笑みながら、ナルトは一歩ずつ皆に近づく。
 下忍達は身体を小さくし、身を寄せ合っている。
「それ以上俺の部下に近寄るな」
 ナルトと下忍の間に割って入ってきたのは上忍カカシであった。
 いつもとは違う恐ろしい声色にナルトは歩みを止めた。
「カカシ先生。俺もカカシ先生の部下だよ?」
 首を小さく傾げながらカカシに近寄ろうとするナルトであったが、カカシがクナイを向けたので改めて立ち止まった。
「何が『先生』だ……。このバケ狐め!!」
 カカシの言葉に薄っすらと涙を溜めるナルトだが、他の者はそんなことを気にしてはいなかった。
 下忍たちは騙していたと口々に罵り、上忍たちはナルトの罪について語った。ナルトは九尾で絶対悪である。アレほどの悪はないのだと語る姿こそまさに狂気であった。
「……俺は、九尾?」
 悲しげに、痛そうに、ナルトが尋ねる。
「何を言っている?! 当たり前だろ!!」
 カカシの発言に、ナルトは何かを諦めたような表情をした。
 ナルトは目を静かに閉じた。
 ゆっくりとした動作で腹を撫でた。その様子を見たカカシはチャンスだといわんばかりに刀を巻き物から出し、駆けだした。
 ゆっくりと目を開けたナルトの前にはカカシが迫っていた。これほど近づいていても、避けようと思えば避けられたのだが、ナルトは避けようとはしなかった。
 刀がナルトの胸を突き刺し、ナルトの鼓動を止める。
 カカシはそれを刀越しに感じ取り震えた。
「先生…! やりました……! 先生を殺した愚かなバケ狐をこの手で……!!」
 今は亡き師に伝えるかのようにカカシは呟いた。
 刀を掴んだままの手は今にも天に向かって突き出されそうな勢いであった。
 下忍達もカカシの心境がわかるのか、嬉しそうに笑っていた。つい先ほどまで仲間であった者が死んでいるというのに……満面の笑みだったのだ。
「ああ……。本当に愚かだ」
 声が聞こえた。恐ろしいほど低く、それでいて聞き取りやすい声。その声が何処から聞こえてくるのか、全員が辺りを見回した。そして気づいた。
 刀に胸を刺されている少年からその声は出ているのだと。
 カカシは確かに感じた。ナルトの鼓動が止まるのを。他の者は見た。ナルトの心臓に刀が突き刺さったのを。
 だがナルトであった少年は言葉を発していた。動いていた。カカシの刀を掴み、胸から引き抜こうとしていた。
「本当に化け物か……!」
 カカシは刀を引き抜き、少年から離れる。
 混乱しているカカシ達は気づかなかった。その少年がナルトであるはずがないと。
 少年の目は紅かった。ナルトの目は蒼い。
 少年の口からは牙が見えていた。ナルトには牙がない。
 少年はあまりにも禍々しかった。ナルトは禍々しくなどない。
「ああ、わしは化け物だ。……『九尾の狐』だからな」
 ニッコリなどではない。ニヤリと笑う九尾。
「認めたか!!」
 カカシを筆頭に、全員が九尾を罵倒する。
 その声すらも心地よさそうに九尾は聞いていた。
「久々だな……小僧以外の人間を見るのは、声を聞くのは」
 楽しそうに目を細めた九尾は、同時に一筋の涙を流した。
 九尾の涙にその場にいた全員が驚いた。
 止まることなく流れ続ける涙。悲しみ。哀れみ。喜び。悔しさ。そのどれともとれる涙。
「貴様らはあまりにも愚かだ。わしが……『九尾の狐』がこの小僧に抑えられていたとは知らずに、唯一わしを止められる者を殺してしまったのだからな!」
 目を見開いた九尾の瞳は、確かに怒りと憎しみに染まっていた。
「何を言ってるんだ……?!」
 わけがわからないと叫んだのはキバであり、サスケであり、シカマルでもあった。いや、全ての者が叫んだのかもしれない。
「愚かな貴様らに説明してやろうか……?」
 威圧感。それだけで、全ての動きを封じてしまった。
 言葉も、風も、呼吸すらも止められてしまったように感じる。
「わしはあの小僧の中から出ることはできなかった。どんなに願っても、どんなに小僧を脅しても!
 もしも出られたなら、木の葉を滅ぼしてやると決めていたわしを小僧は出すわけにはいかなかった! あの小僧は……誰よりもこの里を愛していた!!
 だからこそ辛い修行も耐え、強くなった! だからこそ悲しくて、心がどれほど傷ついても戦った! だからこそこの里は今も存在している!
 だが、小僧にも限界はあった。力が足りない。里を守れない。小僧はどうしたと思う……?」
 熱く、叫ぶように話していた九尾が尋ねるように言った。無論答えなど期待してはいない。
 今の状況で喋れる者はいないし、仮にいたとしてもまともな答えは返ってこないと知っていたのだ。
「わしに契約……いや、賭けを持ちかけてきよった! わしが賭けるものはこの力。小僧が賭けるものは……命。
 あの賭けは小僧が圧倒的に有利だった。わしが力を貸す。小僧は木の葉の者に殺されたときわしに身体を与える。ただし、木の葉の者以外に殺されたときは、わしが小僧のふりをして木の葉を守る……そんな賭けだった。
 小僧のことは気に入っていた。あそこまでの仕打ちをされておきながらも、まだ里のために戦えるあの精神は美しかった。
 だが小僧は死んだ。木の葉の者に殺されて。だから、この身体はわしのものだ」
 身体を抱きかかえるようにした九尾はうっとりとした表情をしていた。
 うっとりとしているのに、悲しそうな瞳を見た何人かは気づいた。
 気づいた者は諦めた。生きて帰れるはずがないと。
 気づかぬ者は次の言葉で知ることになる。
「ナルトを殺した主らをわしは許さん」
 知らぬ間に強く刀を握っている手。無機質になっている瞳。
 全てを知ったとき、意識はなくなった。

 ああ、愛してたんだ。誰よりも何よりも。死んでしまった彼を愛していたんだ。

 全てを知った者もナルトを殺したことを後悔していなかった。
 何も知らなかった者は何も思わなかった。
 木の葉が消えて、ナルトの身体を持った九尾は去って行った。
 ナルトの身体に寿命が来るまではこの姿のまま。それだけが九尾の心を支えていた。
 死んでしまったナルトの魂は当然ない。だが、心は身体の中に残っていた。
 目を瞑り、身体の中に意識を集中すると聞こえてくる。
「俺、疲れた……」
 疲れた。もういい。そんな負の感情ばかり吐露するナルトの声が九尾は苦手であった。どうにかしてあの前向きで、強い精神を取り戻してほしかった。
「ナルト。もうお前を傷つける者はいないのだぞ……? たのむ……戻ってきてくれ」
 紅い瞳から溢れる涙は止まらない。
 蒼い瞳からも涙は溢れていた。
 悲しさに溢れた二人。一人静かに涙する身体は二人分涙を流す。
 九尾は動いた。食料を求めているのだ。身体が死んでしまったらナルトは本当に死んでしまう。
 それだけはダメだ。
 もしもナルトが死んでしまったら。また大切な者が死んでしまったら。
 もう自分を止められないとわかっていた。
 死ぬまで。何一つなくなるまで暴れ続けるのだろう。
 どうせ死ぬならばナルトと死にたかった。だが九尾は自分が死ぬ術をわかっていなかった。
 九尾は自殺できない。九尾は簡単には殺せない。
 共に死ぬことはできないのだ。だからこそ今は共にいたかった。
「ナルト。綺麗な花が咲いている」
「ナルト。今日は暖かいな」
「ナルト。どうして返事をしてくれないのだ……?」


END