客人  毎夜、やってくる客人に、シカマルは胸を高鳴らせる。
「……またいたのか」
「嫌そうな顔するくらいなら、ここを通らなきゃいいだろ」
 この会話をかわしたのも、もう何度目だろうか。
 シカマルの家にある大きな木に、その客人はやってくる。
 黒装束に、顔を隠すためのお面。客人のことでわかっているのは、穏やかで冷たい声と、風になびく短い金色の髪だけだ。
「下忍が睡眠不足で任務失敗したら可哀想だからな」
 表情は見えないが、声が笑っている。
「この時間にこなきゃ寝てるよ」
 不貞腐れたような態度になっていることは自覚しているが、どうにも自分の感情を抑えきれない。
「そうか? 一昨日、オレがこなかったとき、思いっきり寝不足だったみたいだけど?」
 小馬鹿にするような口調に驚かされる。
 客人の言っていることは正しい。実際に、一昨日は寝不足で班の足を引っ張ってしまった。
「何で、知ってるんだ」
「オレは暗部だからな。情報が命だよ」
 情報が命と言っても、大事なのは敵や他国の情報であって、内部の情報ではないはずだ。
 見張られているようで、気分が悪い。
「んー。企業秘密ってことで」
 大人の余裕を見せつけてくるが、シカマルは客人が自分とそう変わらない歳であることを知っている。
 聞いたわけではないし、言動も雰囲気も、年上のように感じる。それでも、どことなく同じ匂いを感じるのだ。
 こんな奇妙な客と知りあったのは、一ヶ月ほど前。次の日が休みだということもあって、本を読み耽っていると、気配を感じた。里の中なので特に警戒もせず覗いてしまったのが始まり。
 目の前に広がったのは、赤い血を流し、木の根元に背を預ける暗部の姿だった。
 大声を出さないように気を引き締め、暗部の傍に寄ろうとすると、上から声が聞こえた。それが、客人だ。
 木の根元にいたのは抜け忍だったようで、危うく殺されていたかもしれないとのこと。里の中でも安心はできないと痛感させられた出来事となった。
 次の日の夜、何となく客人のことが忘れられなくて外を眺めていると、昨日の木の上に彼が現れた。そして、現在にいたる。
 ほぼ毎夜会っているが、特に暗部との会話らしいものはしていない。していることといえば、同期の仲間達ともできそうな雑談くらいのものだ。
「ああ、そうだ」
 去り際に、客人が言った。
「うずまき ナルトには近づくな。これは警告だ」
 いつもよりも冷たい声に、シカマルは喉を詰まらせる。理由を聞くこともできなかった。
 ナルトが里の大人から嫌われているのは知っている。大人達が嫌うから、子供達までナルトのことを毛嫌いしている。
 そういう面ではまともと思われる両親を持っているシカマルからしてみれば、とても馬鹿らしいことだった。悪戯はするが、説教ですむ程度のものだ。あそこまで嫌う理由にはならない。
 両親が、周りが嫌っているから、自分も嫌いになる。あまりにも浅はかな考えだ。
 誰もが自分のような思考回路を持てるわけではないと自覚しているが、それにしてもあまりな環境だと思う。
 アカデミー時代は、いつもシカマルやキバ、チョウジと一緒にいた。他の者達のほとんどはナルトと関わりたがらなかった。時々、殴り飛ばしてやりたい衝動に駆られたが、ナルトがいつも笑っているのでぐっと堪えた。
 あのナルトの笑みがなければ、アカデミー生は十単位で消えていただろう。もちろん、シカマル達の手によって、だ。
 憧れているというわけではないが、好意を抱いていた相手から、あんな言葉を聞きたくなかった。
 どうせならば、守ってやれと言って欲しかった。
「くそっ……」
 やり場のない感情に、シカマルは拳を握る。
 勝手に好意を抱いていたのはシカマルで、裏切られたような気持ちになったのもシカマルだったが、気持ちを抑えることはできない。出会って数ヶ月の客人よりも、長年の友人であるナルトの方がずっと大切なのだ。


 あの言葉を聞いた後、シカマルは客人を待たないようになった。同時に、ナルトと接触することが多くなった。己の気持ちを裏切った客人への当てつけのような行為だった。
「最近、シカマル変だってばよ?」
「あ? そ、そうかぁ?」
 ガラにもなく焦ってしまう。
 ナルトは人の感情に敏感で、油断するとすぐに心の内を探られてしまう。
「う〜ん。やっぱり変だってばよ!」
 顔をぐっと近づけて、シカマルの目を覗きこむ。
 蒼い瞳に吸い込まれそうになった。
 よく見てみれば、ナルトの髪と客人の髪はよく似ていた。長さは若干違うものの、色や、質などそっくりだ。
「いのと喧嘩でもしたのか?」
 真剣な声に、肩を落とす。
 幼馴染で、親同士の縁も深いからか、シカマルといのはよくセットにされる。
 いのはサスケ一筋だし、シカマルは色恋は面倒だと思っているだけに、お互い周囲からの認識には不満がある。
「あのなぁ〜」
「はは、冗談だってばよ」
 もちろん、ナルトはそんな感情をよく知っていた。知っていながらも、こうして話題に出してくるところあたりに、悪戯小僧の面影を見る。
「――でも、あんまりオレの傍にいないほうがいいってばよ」
 耳もとで、シカマルだけに聞こえる音量で囁かれる。
 その声色が、あの日の客人を思い出させた。
「お前……なにを……」
「何でもないってばよ! んじゃーな」
 いつもの明るいナルトに戻り、手を大きく振って去っていく。
「あ、待てよ!」
 制止の声をかけてみるが、ナルトは止まらない。
 放っておくという手もあったのだが、シカマルはそれを追いかけてしまった。
「――ッ?!」
 背後から後頭部を殴られた。
 気配を全く感じなかったので、忍であろうことは予想できる。しかし、相手をつきとめる前にシカマルの意識は闇へと沈んだ。



 闇の中から意識を浮上させたシカマルが真っ先にしたのは、現状の把握だった。
 顔を動かさず、視線だけで周囲の様子を見る。
 暗く、土の匂いがする。さらに、肌寒い温度。里周辺にいくつか存在する洞窟であることは間違いなさそうだ。
 人の姿は見えない。が、声は聞こえる。耳をすませてみると、声が吐き続けているのは呪いのような言葉だった。
「死んでしまえ」
「早く消えて」
「お前のせいで」
「何で生きてるの」
「殺してやる」
「価値もないくせに」
「気持ち悪い」
「死んで償え」
 ありきたりな悪意の言葉。だが、その言葉に含まれる感情はすさまじい。
 怒りや悲しみ、憎しみだけでは表しきれない。人の価値を否定し、確実に殺そうという悪意を持って吐かれている。その言葉自体が、何らかの力を持った呪文のように聞こえる。
 直接言葉を向けられているわけでもないのに、シカマルは身震いがした。
 普通の人間が、これほどまでの負の感情を持てるのだろうか。この言葉を向けられている人間は、正気でいられるのだろうか。
 助けてやらなければならない。相手のこともわからないはずなのに、シカマルは使命感を胸に宿す。
 幸い、体は普通のロープで普通に縛られていただけなので、縄抜けの術で簡単に呪縛から逃げ出すことができた。
 敵には忍もいるようなので、気配を消して、慎重に足を進める。まずは敵がどの里の者か、人数は、呪いを浴びせられている者は誰か。それらを知る必要がある。
「…………おいおい。嘘だろ……?」
 シカマルの目に映ったのは、忍とは縁遠い一般人の姿と木の葉のマークが描かれた額宛をしている忍の姿。そして、呪いと暴力の中心にいるナルトの痛々しい姿だった。
「同じ里の奴が、何で」
 全身から力が抜けていくのを感じた。
 同じ里の仲間。そのはずの者に裏切られた。いや、裏切られたのはナルトであって、シカマルではない。
「もしかして、あの人も……」
 客人の本当の姿をシカマルは知らない。ゆえに、一般人と紛れていたところでシカマルにはわからない。
 一瞬の落ち込みの後、シカマルは自分を奮い立たせる。
 何がどうなっているのかは、後で考えればいい。今の任務は、ナルトを救出することだ。
「ナルト!!」
 声を出し、注意を一瞬こちらへ向けさせる。忍の者だけにクナイを投げつける。
「シカ……」
 注意をひきつけている間に逃げてくれないかと期待したが、弱々しいナルトの声から、それは無理だと判断する。
 シカマルの実力では、目の前にいる忍達を倒せない。どうにか、二人とも逃げ延びてハッピーエンドにはならないだろうか。
「……なんで、だよ」
 覚悟を決め、頭を働かせていたシカマルに、強い声が聞こえた。その声は、先ほどまで弱々しく見えていたナルトの口から出ている。
「黙って見てろよ! 近づいてくるなよ! わざわざ警告したのに!」
 体の傷が嘘のようにナルトは立ち上がり、シカマルを怒鳴りつける。
「ナル――」
 意味がわからない。何から聞けばいいのかわからず、とりあえず名前を呼ぼうとした。
「この化け狐がぁ!」
「あの傷でまだこんな風な口がきけるなんて!」
「汚らわしい!」
 ナルトの名を呼ぶ声を大人達の声が遮る。
 再びナルトに向けられる呪いと暴力。しかし、今のナルトは暴力を甘んじて受け入れるような状態ではなかった。
「お前らもお前らだ」
 拳を受け流し、腹に一撃決める。
「シカマルを巻き込む必要なんてなかっただろうが」
 殴られた男は地面へと倒れる。
「オレは一人だっただろ」
 近くにいた忍の髪を掴み、後ろへ倒すと同時にその背中に膝を打ち込む。
「オレを殺すだけじゃ飽きたらないのか」
 忍の背中から嫌な音がした。おそらく、これからは日常生活もままならないだろう。
「何とか言ってみろよ!」
 怒声と共に放たれた殺気に、シカマルを除いた全員が腰を抜かす。
「ナルト……」
 ようやくのことでシカマルがそれだけ言うと、蒼い瞳がシカマルを映す。
「お前も、何でオレに付きまとった。警告しただろ」
「警、告……」
 思い出されるのは、数日前の客人との会話。
『うずまき ナルトには近づくな。これは警告だ』
「え、じゃあ、お前が……」
 そんなわけがないと否定すると同時に、優秀なシカマルの頭脳が、今さら気づいたのか? と、シカマル自身を馬鹿にする。
 同じ金色の髪。不思議と下忍の任務時のことを知っていた言葉。どことなく感じていた自分と変わらない歳。
 ただでさえ、アレほど綺麗な金色の髪は他にないのだ。もっと早くに気づいてもよかった。
「そう。毎夜毎夜会ってた暗部はオレだよ」
 ニコリと笑ったナルトは、見たこともない印を組み、どこからか出した札にチャクラを送る。
「さあ、おねむの時間だ」
 チャクラを受けた札は、周りに薄桃色の煙を撒き散らす。
 煙を吸った者達は次々に倒れていく。最後に倒れたのはシカマルだった。
「『忘却香』オレのことなんて忘れてしまえばいいさ」
 優しく笑ったナルトは、シカマルを抱き上げる。
「お前と夜に話すの、結構楽しみにしてたんだからな」
 巻き込みたくないと思うほどに。


「どうかしたってば? シカマル」
「なあ、ナルト、お前ってもしかしてさぁ――」
 気づくまで後何秒?



END