惨劇
ナルトにはたくさんの秘密があった。
里人には暗部だということを隠していた。同期には暗部だということと、九尾のことも隠していた。
ナルトは、火影にも一つだけ秘密にしていたことがあった。
「紅焔……」
森の中で一人呟けば、暗い森の奥から目の冴えるような赤が姿をあらわす。
炎よりも鮮やかで、彼岸花よりも美しい赤は人間ではなかった。纏う雰囲気は人間よりももっと高尚なもので、いうなれば神の雰囲気を持っていた。
「ナルト。大丈夫か……? やっぱりオレが戻った方が……」
心配そうな表情をしている赤の彼の名は紅焔。
正真正銘の九尾の狐である。
「いいって。オレは平気」
今では中忍になったナルトの中に九尾はもういなかった。
中忍試験に受かったとき、ナルトは九尾を解放した。一般的に、人中力は尾獣を解放すると死ぬと言われているが、ナルトは死なない方法を見つけてしまった。
最初は迷った。紅焔をずっとこのままにしておきたいという気持ちが大きかったのだ。
だが、それでも、ナルトは紅焔の幸せを願った。だから解放した。自然に生きる。それが紅焔のあるべき姿なのだから。
紅焔がいないとはいえ、ナルトの力には何の影響もなかった。暗部になれたのはナルト自身の才能と実力の賜物なのだ。
「でも、里でちょっと不穏な動きがあるから、紅焔も気をつけといてくれよ?」
九尾である紅焔が、たかが里人にどうにかされるなど思ってないが、念には念をいれるべきだろう。
ナルトの言葉に紅焔は薄く笑った。
紅焔と別れ、里に戻ったナルトは不穏な空気を感じ取った。
里全体が刺すような緊張感で覆われている。そう、まるで超S級任務の時のような緊張感。
「――ばあちゃん?」
何があったのかと里中の気配を探っていたナルトの目の前にあらわれたのは、五代目火影であった。
本来ならば、こんなところにいるべき人物ではない。
だからこそナルトは驚いた。いつもならば火影の屋敷にいるはず。敵国にでも攻め入られたかとも思ったが、周囲の建物に損傷はない。
じっと目を凝らす。何かの罠かもしれない。
綱手の姿は幻術でも分身でもなかった。間違いなく本物。ただ、その目には涙を溜め、悔しそうに唇を噛んでいた。
ナルトがそれに気づき、後ろに飛びのいたのと、綱手の後ろから木の葉の暗部が飛び出てきたのは同時であった。
「……なんのつもりだ?」
同じ里の暗部に刀を向けられるのは本来ならば抜け忍だけであるが、ナルトの場合はそれに当てはまらない。
ナルトには刀を向けられる理由がある。『九尾』を宿す忌み子だという、ナルト自身にはなんの罪もない理由。
「すまない。すまないナルト……!」
強く噛んでいる唇からは血が滲みでており、その痛みで何とか涙を抑えているような状況であった。
謝る綱手にナルトは微笑んだ。念のためなんのつもりか聞いたが、何故自分に刀が向けられているのかぐらい理解している。
「情報は何処からでも漏れるものさ。だから、ばあちゃんがオレの命と里の命運を計りにかけて、里を取ったってかまわない」
いつかはくることだと思っていたから。と付け加えられ、綱手は唇をさらに強く噛む。
謝っても許されることではない。三代目の思いを、四代目の遺産を、大事な子どもを、裏切ったのだ。
里のためなどと言い訳は許されない。
「殺せよ。それで全てが終わる」
いさぎのいい言葉と共に両腕を伸ばす。無防備。
「それはありがたい。いくらこの数でも、あなたが本気で抵抗したら勝てるかどうか……」
気弱な発言をする暗部はおそらくリーダー格なのだろう。相手の力量と状況判断は的確だ。
ぼんやりと暗部の群れを眺めていると、見知った姿を見つけた。
見知ったとは言っても、仮面をしているために顔はわからない。雰囲気や体格などを見ての判断である。
「サスケ」
その者の名前を呟く。
ナルトが下忍を演じていた時の同期の中で唯一暗部に所属している元仲間。
「……話しかけるな」
昔は同じ班の仲間だったとは信じられないほどの冷たい言葉にナルトは笑うことしかできなかった。
思い出せば、木の葉の里での記憶にろくなものはなかった。
虐げられた記憶。暴力を受けた記憶。涙が出そうな記憶。数少ない喜びの記憶には三代目と紅焔がいた。
三代目が死に、紅焔が体から抜け出した今、ナルトを縛るものは何もなく、死を恐れることもなかった。
ただ、迫り来る死に身を任せるだけでいい。
どこか安らかな気持ちで死を受け入れるナルトを揺さぶる声が降り注いだ。
「こっちを見な。愚かな里人よ」
知っている声。大好きな声。でも、今は一番聞きたくない声。
ナルトが声の方を見ると、そこには闇に紛れない赤がいた。
「紅、焔……!」
何故きたのか問いたかったのか、死を見られたくない意を込めていたのか、ナルトは悲痛な声でその名を呼んだ。
ナルトに呼ばれた紅焔は穏やかな顔をして、暗部に、いや、木の葉の里に住む全ての者に言った。
「我は九尾の狐。九つの尾を持つ災いの象徴」
誰もが動けずにいた。恐ろしさのあまり。そして、あまりにも神々しいその空気に。
「人の悪しき心を引き出し、作物を腐らせ、天変地異を起こす九本の尾」
九本の尾が現れる。
紅焔の髪と同じく赤い尾であった。
紅焔は笑った。
「さあ、その子供ではなく我を殺せ」
目を見開き、口を開け、ナルトは叫ぼうとした。やめろと懇願しようとした。
なのに声は喉で絡まったかのように出てこない。体を動かすこともできない。
最強の暗部といえども、九尾の力には敵わない。ナルトは知らぬ間に紅焔の術中に嵌っていたのだ。
「子供を殺しても我は死なんぞ?」
不敵な笑いに暗部が構える。攻撃を避けるための構えではなく、敵を殺すための構え。
暗部のリーダーはこの場でできるかぎりの思考を働かせ、サスケに紅焔を殺すように命じた。
九尾に特別な憎しみを持たない者に殺させれば、角は立たない。リーダーはある意味では正しい選択をした。
現時点でならば最良の選択だったのだ――。
「御意」
いうとほぼ同時に紅焔に刃を向け、突き刺した。
赤い着物が紅く滲んでいく。刃が突き立てられたのは人間の心臓がある場所。
紅焔は口からも血を流しながら微笑んだ。ナルトに向かって小さく呟いた。
『生きろ』
あまりにも残酷で、優しい言葉。
九尾の血を浴びたサスケをナルトは虚ろな目で見た。
サスケの黒い暗部服を紅く染める血。サスケのお面を紅く染める血。紅焔の血。
「サ、ス……ケ」
ゆっくりと声を絞り出す。
「サスケェェェェ!!」
一度目は搾り出すような声だったのにも関わらず、二度目はハッキリと叫んだ。
腰にある刀を抜き、サスケへたどり着くまでに妨害をしようとした暗部たちを殺した。
サスケの首に刀の刃を当てる。まだ切り落としはしない。
「よくも、よくも紅焔を……!!」
涙を流すナルトをサスケは感情のない目で見返す。
ただ、これが本当のナルトの強さならば、ここにいる暗部全員でかかっても勝てはしないのだろうという真実だけを受け入れていた。
ゆっくりと刀がサスケの首に食い込んでいく。
赤い血が一筋サスケの首から流れた。
「こんなことなら、お前も殺すんだった」
冷たい呟きがナルトの口からもれる。
「お前もうちは一族と死んだほうが楽だっただろ?!」
怒鳴りつけるようにナルトが言った。
何を言われているのかサスケにはよくわからなかった。感情を失くすことも、言葉を受け入れることもできない。
「イタチが懇願するから、助けてやったのに……!」
サスケの中で何かが壊れた。
サスケは必死にナルトの言葉を復唱した。
誰が懇願したんだ? 誰が助けた?
「知らないよな? 真実を!」
サスケはわけがわからず混乱した表情を見せ、ナルトは全てを放棄した顔をしていた。
「うちは一族を滅ぼしたのはオレだよ!」
ナルトは渇いた笑みをもらした。
今となってはどうでもいいことのようにナルトは続ける。
「でも、イタチが懇願したんだ。弟だけは助けてやってくれって。自分が一族殺しをしたと言って罪を被るから、弟だけは助けてくれって。
あのイタチがだぜ? 優秀で、誰にも負けないって顔してたイタチにそこまで言われたんだ。聞いてやらないと罰が当たるよな?」
知らなかった真実に驚きと絶望を隠し切れなかった。
今まで憎んでいた兄が自分を助けてくれていた。一族を殺したのはナルトだった。何故、どうして。
「紅焔を口寄せしたのはうちは一族だったからだよ。
とんでもない一族だよな? 自分たちが呼んだのに制御できなくて、暴走したからって紅焔を殺そうとするんだ」
穏やかな顔で真実を紡ぎ続けるナルトの目はもうサスケを見ていなかった。
ただ、サスケの首に食い込ませるために刀に力をいれるばかりであった。
「なぁ、紅焔は、悪くない、だろ?」
声が震えていた。涙が止まったはずの目から再び涙が零れだしていた。
「かえ、せよ……。か、えし……て、くれ、よぉ……」
そう言ったナルトの体から力が抜け、サスケの首から刀が離れた。
弱々しくサスケの服を掴んだナルトはもう一度小さく呟いた。
「紅焔を……返して、くれよ……」
何よりも。誰よりも。自分なんかよりもずっと大切だったんだ。
END