いつも通りの朝のはずだった……。
「とらぁぁぁぁぁ!!!!!」
うしおは隣で寝ているとらを呼んだ。始めのうちは妖も寝るのかと驚いたが今では当たり前になっている光景。
だが、今はそんな場合ではない。
「んだようし……」
とらはうしおを見て固まった。否、うしおであるらしい生物を見て固まった。
「うしお……か?」
「そうだよ! お前か? 俺をこんなんにしたの!!」
とらに聞くうしおの姿は黒く、小さい角と牙を持った耳の長い妖だった。大きさはイズナぐらいだろうか。とにかく、うしおは人間でなくなっていた。
「あー。そりゃわしのせいじゃねぇ」
頭をかきながら言うとらに紅い目を向けてうしおがもう一度聞いた。
「本当だな? 絶っっっっ対だな!」
りきむうしおの小さな頭を撫でてとらは絶対だと断言した。その目を見てうしおはとらが嘘を言っていないと確信した。
だがだったら、どうしてこんな姿になってしまったのだろうか。
「でも。何だよこの姿……」
呟くうしおをとらが持ち上げた。
「とら……?」
「おめえがそんなんじゃ面白くねぇからな。サンピタラカムイとこでも行こうぜ」
洞爺湖に住む土地神である。確かにサンピタラカムイなら何かわかるかもしれないと、二人は北海道へ飛び立った。
北海道。洞爺湖についた二人はサンピタラカムイを呼んだ。
「おーい! サンピタラカムイー!!!」
うしおが大きな声でサンピタラカムイを呼ぶと、湖から大きな壺が出てきた。そしてその中からサンピタラカムイが出てきた。
「何だうし………」
サンピタラカムイも、うしおらしい妖を見て固まった。
「いったい、何が?」
サンピタラカムイが静かに尋ねた。きわめて冷静を保っているように見えるが、声が震えている。
とらとうしおは顔を合わせてからサンピタラカムイに向き直り用件を伝えた。
「いや、何か起きたらなってて、何か分かんない?」
うしおの質問にサンピタラカムイは一度考える仕草をして、一言。
「すまん……」
その一言で十分だった。サンピタラカムイにもこの原因がわからないということも、それについて悔やんでいることもわかった。
うしおは顔を伏せて一言そうかと呟いた。
「…まあ、一時的なものかもしれん。あまり人目につかぬようにした方が良いじゃろう」
サンピタラカムイの言葉に頷いてうしおはとらの髪の毛の中にもぐって行った。外に出ていると風で飛ばされるらしい。
「またな!」
髪の中からうしおが言うと、とらはあっという間に飛んでいってしまった。
「とら……どうする?」
「しゃーねぇな。お前の親父がいる総本山へ行ってみっか」
とらはまたも凄まじい速さで総本山を目指した。
うしおはとらの髪の中で落とされまいと、必死に髪を掴んでいた。
うしお達の言う総本山とは、光覇明宗のお役目様がいた場所。お役目様亡き今は僧上である和羅が光覇明宗を治め、悪しき妖を退治している。
とらが総本山の屋敷の前に着くと、とらの妖気に気づき法力僧が出てきた。
「…とら……殿?」
法力僧達は次々にとらの名を呼び、喜んだ。
とらは白面との戦いで犠牲になった妖の一人であり、うしおと共に旅をした大切な者でもあった。昔の戦友が戻ってきてくれたことを喜ばない者がどこにいるというのだろう。
「ところでとら殿。うしおは…?」
ようやく現れた紫暮に法力僧達は道を開けた。喜んでいるときも目上の者への気遣いは忘れていない。
紫暮がとらに近寄って聞くと、とらの頭辺りから声がした。
「親父!! ここだ!」
見上げれば変わり果てたうしお……。今まで同様その場に居た全員が固まった。
またかと、半ばあきれ気味でうしおととらは法力僧達の硬直が解けるのを待つ。
どうにか硬直から解き放たれた法力僧達はうしおをジロジロ観察し始めた。
丁度いいくらいの大きさ。長い耳。大きな目。どれを取っても愛玩動物として合格点をとれる代物である。
「…………てめえら……いい加減にしやがれ!!
うしおを可愛がっている法力僧達にキレたとらは雷を盛大に放った。その威力に法力僧達は身をかがめ、悲鳴を上げた。
「おいおい。今の派手な雷と声は長飛丸じゃねーの?」
雷の音を聞きつけて、どこからともなくイズナが現れた。そして怯えている法力僧達に一言告げる。
「おめえら、長飛丸の前でうしおをあんまりかまうなよ?」
あいつの嫉妬は怖ぇからなー。とイズナが言うと、とらがイズナを怒鳴りつけた。
「聞こえてんだよ!」
ついでにもう一発雷を放つが、イズナはさっと避けとらの上のうしおのもとへおりた。
「うしおよ〜。長飛丸を何とかしろよ〜」
うしおの姿にも動じず、とらをからかっているイズナの後ろにぼんやり人影が写った。
「うしお……」
「ジエメイさん?」
そこに居たのはジエメイだった。ジエメイは優しくうしおの頭を撫でる。
「うしお……それはおそらく月の魔力だと思います。うしおは…その……」
ジエメイが言いにくそうにしているのを見て、うしおが微笑んだ。
「良いんだ、俺は妖に近いんだよな?」
うしおの言葉に一瞬、顔をしかめたとらだったが、そのままジエメイの言葉を待った。
「ええ……。ですから、この前の満月でうしおの体が変化したのかもしれません」
ジエメイもとらと同じような思いを胸に秘めているのか、より一層悲しそうな声になった。
「で? どうすればいいんだ?」
うしおの質問にジエメイは少しためらって答えた。
「新月の日まで妖とかかわらなければ……おそらくは」
とらをちらっと見てからジエメイはうつむいてしまった。
「とら…とも……?」
うしおが微妙に涙ぐんで尋ねた。
ジエメイは小さく頷いた。うしおはとらを見上げ、とらは黙ってうしおをおろし飛んで行ってしまった。
「とら……!!!」
うしおは飛んで行くとらを見上げて叫んだ。
気づけばイズナもおらず、うしおは法力僧達に囲まれていた。一体いつの間に消えてしまったのだろうか。
これがとらやイズナの優しさなのだと知りながらも、唐突な別れにうしおは悲しみを隠せなかった。
「親父……」
うしおは紫暮に飛びついた。悲しくて、悲しくてしかたがなかった。
「うしお。十五日……十五日でまた会える」
紫暮の言葉がうしおの心に響いた。
うしおは静かに月を見上げた。いつもならばきれいだと思う月が今夜は憎く思えた。早く月が消えてしまえばいい。
とらと別れてから今夜で十五日目。うしおはずっと総本山の寺院ですごしていた。
正直なところ、ぼんやり外を眺めるしか出来ない日々に飽き飽きしていた。外へ出て妖にでも出会ったらまた新月まで待たなければいけなくなると、深く釘を刺されているため、外へは出られないのだ。
わかっているし、早くとら達と会いたいので外へ出る気はないが、暇でたまらなかった。
「今夜、元に戻れるのか……」
うしおはいつもなら月のある場所を見上げながら呟いた。
真っ黒な体は闇に飲まれているように見える。何処からが闇で何処からがうしおなのかわからない。
だが、そんな体がどんどん大きくなっていった。痛みは感じない。むしろ圧迫されていたものが元に戻るような解放間をうしおは感じ、一人の少年になった。
そう、うしおは元の姿へと戻れたのだ。ずっとつきあってきた自分の体との再会。そしてすぐ後ろに感じた気配との再会。うしおは頬が緩むのを抑え切れなかった。
そっとうしおの肩にそいつは腕を乗せた。久しぶりにうしおはその声を聞く。
「よぉ……。久しぶりだな……」
「ああ。久しぶりだな」
うしおは振り返ってそいつを見た。
金色の毛並みを持つ妖。とらを見た。とらの月のような毛並みを見てうしおは嬉しそうに言った。
「ほんと、久しぶりに月を見た。
………俺だけの月」
うしおはとらに抱きついた。とらもうしおを抱き締めた。
いつもならば恥ずかしくて言えない言葉も、できないこともできた。
久しぶりに見る。言葉を交わす。触れる。二人は二度と離れたくないと思っていただけに、離れたのは辛かった。
そんな二人を物陰から見ている者がいた。
「やっぱりあいつらおもろいわ!!」
それはイズナ。二人の行動を始めからずっと見ていたイズナは密かに笑っていた。
気配を消しているということもあるが、あのとらがイズナに気づかないということは、よほどうしおとの再会に舞い上がっているということなのだろう。
END