それは偶然だった。
それは偶然という仮面を被った必然だったのかもしれない。
たまたま、男は学校の近くに住んでいた。
たまたま、その日は雨だった。
たまたま、少年は傘を持っていなかった
たまたま、少年の相棒は先に帰った。
たまたま、男と少年は出会った。
たまたま、少年は――――刺された。
たまたま、人通りが少なかったので少年は死んだ。
英雄が死んだ日
少年は、うしお君というらしい。その子の死体は死後数時間で発見された。
雨で流されたのか、周りに血の跡は見当たらなかった。
体は冷え切っていて、生者の温もりなどは微塵も感じられない。そこにあるのはただの抜け殻。
彼の父と母は涙を流して息子の体を抱き締めてあげている。そんなことをしても無駄だということはわかっているだろうに。
彼の父は老いていて、母は若い。不釣合いだとは思うが、きっと幸せだったんだろうな。
ある日、うしお君が死にました。
それを私達が知ったのはその日の夜でした。私と麻子は急いでうしお君の家へ向かいました。できることならば、悪い冗談であって欲しいと願いながら。
でも、真実はあっけなく私達の希望を打ち砕いてしまいました。
うしお君は確かに死んでいて、冷たくて、色が白くて、そして、そして――!
…………うん。少し、落ち着いたほうがいいよね。
白面を倒し、日本を救った英雄だったのに。人間をずっと助けてきたのに。うしお君は人間に、殺されました。
おばさんは声を出して泣いていました。ようやく、一緒に暮らせるようになったのに、うしお君がいなくなってしまったなんて……あんまりよ。
おじさんは黙って泣いていました。とらちゃんは、ただだまってうしお君の顔をじっと見つめていました。とらちゃんも無理しないで泣けばいいのに。
うしお君はたくさん刺されて、たくさん血を流して、ゆっくり死んでいったそうです。
誰よりも『生』が似合う人だったのに。たくさんの人に看取られて死ぬのがよく似合う人だったのに。うしお君は独りぼっちで遠くへ行ってしまった。
次の日、うしお君のお通夜が開かれました。
たくさんの人が、妖怪が、急なことだったにも関わらずきてくれていました。
うしお君がお世話になった人。うしお君に助けられた人。うしお君の友達。うしお君の大好きだった人達。私が知らない人もたくさんいたけど、きっとうしお君の知り合いなんだろうな。
こんな凄いお通夜、きっと有名人でもないよね?
ああ。あの少年はとても愛されていたんだろうな。
羨ましい。
あんな子供にはこんな大勢の人がお通夜にきてくれている。焼くときにはもっと人がいるかもしれない。今だってこんなにいるのに。関係のない男が入っても気づかないくらいに。
うらやましい。
オレはあの子供よりもずっと長く生きてきて、仕事をして、社会の役にたった。でも、誰もオレの通夜なんてこねぇ。
ああ、あの子が羨ましい。
憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。羨ましい。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。羨ましい。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い――――!
死ねよ……って、もう死んでるか。ははは…………。
オレは思ったね。
死んじまいたい。
あの馬鹿が死んだ。雨が降りそうだったからわしは先に帰ってた。雨で血の匂いなんてものはなかった。殺したのは人間だったから妖気も感じなかった。
わしになんのことわりもなく死にやがるなんざぁ…………思ってもみなかった。あの馬鹿に似合うのはわしに喰われるか、大往生だと思ってた。
帰りが遅いと心配し始めた須磨子と一緒にうしおを捜しに行って始めて知った。
もう、うしおは動かねぇし、喋らねぇってことを。
うしおの横には槍が落ちてやがった。
おい、獣の槍。お前はあいつを守るんじゃなかったのかよ。妖怪からずっと守ってたじゃねぇかよ。人間からも、守りやがれ。
人間の一匹や二匹、殺しやがれ。
うしおの通夜には人間も、妖怪もやってきて、どいつもこいつも涙を流していた。
うしおの体からはもう何一つ感じねぇってのにな。
別に悲しみなんてわしは感じていなかった。
ただあるのは虚無。
わしはただじっとうしお見ていた。そうすれば何か変わるとでも思ってたのかもしれん。
そんな時だ、ふとわしの鼻にかすかな血の匂い。わしが見てる奴の、血の、匂い。
わしは捜した。匂いのもとを。そして見つけた。憎しみと、妬みと、狂気の混ざった嫌な気配の人間。わしを含め、この場にいる誰もが気づかなかった。いや、今もわし以外は誰一人気づいちゃいねぇ。
奴は少し笑って去って行った。
わしの中で何かが生まれ、わしを動かした。殺す。殺す。殺す。殺す。
奴の匂いをたどってわしはうしおが長年棲んでいた家を後にした。もう、戻ってくるつもりはない。
わしが奴を見つけ、奴の前に姿を現すのにそう時間はかからなかった。幸いなことに、周りは暗く、人通りはない。わしはニヤリと笑う。奴は目を見開く。
目を見開いている奴に向けてわしは爪を振り下ろした。ためらいなんてものはない。
赤い血が飛ぶ。一撃でなんて殺さねぇ。何度もふりおろし、少しずつ皮と肉を削いだ。赤い血が何度も、何度も飛ぶ。
わしが赤く染まる。奴が笑う。
死ぬ直前に奴は言った。
「死ねた」
奴があまりに幸せそうに死んでいきやがったから、肉を潰し、骨を砕いた。奴がここにいたという証拠は血だけ。
こんな奴、人間……いや、生き物でもねぇ。どんなに『死にてぇ』っつっても、最期には『生きてぇ』って足掻くのが生き物だろうが!あんな風に殺されて、笑う生き物なんていねぇ!
ちくしょう……。あんな奴、槍で一突きにしてやればよかったんだ。
うしお君のお通夜の途中、とらちゃんがいきなり怖い顔になって出ていった。
とらちゃんの出ていったあとには冷たい空気が残って、妖怪のみんなは震えていた。ボソボソと『誰かが死ぬ』とか『おそろしや……』と言う声が聞こえる。
私にはとらちゃんをとめられない。…………止められたとしても、止めないけど。
だって、多分、とらちゃんは、うしお君を殺した犯人を見つけたんだと思うから。
犯人へ与えるべき罰は彼が一番よく知っている。
死刑なんて、甘すぎる。