女ばかりが襲われる事件が起こっていた。
 警察の方ではまったく手がかりを掴めていなかったが、光覇明宗の者達はその犯人も手口もわかっていた。
 いや、手口などない。相手は妖怪なのだ。手口など必要ない。ただ殺せばいいだけなのだ。
「というわけで、頼む」
 手をあわせる紫暮の前には実子であるうしおがいた。
 とてもじゃないが機嫌がいいとは言えない表情をしているうしおに、ものを頼むのは非常に勇気が必要であった。だが、紫暮は頼まないわけにはいかなかった。
 例えそれが、ただでさえ悪い機嫌を悪化させるような内容だったとしても、だ。
「へぇ。で、俺に、女装を、しろと?」
 表面上だけ笑顔を作るうしおは怖かった。今までうしおを育ててきた紫暮がいうのだからよほどのものだろう。
「その、だな……。須磨子はお役目様としての仕事があるし、日輪も別の任務でいない。純や他の女もそうなのだ……」
 妖怪との戦いが多い光覇明宗には女が少ない。女手が足りなくなるのは自然なことなのだが、今までは何とかやってこれた。
 しかし今回は上手くいかなかった。
 そして光覇明宗の上層部が出した苦肉の策。それがうしおの女装なのだ。
 幸か不幸か、うしおは母親である須磨子に似た顔つきをしているし、獣の槍を使っている時は髪が長い。女物の服を着せればそれなりの女に見えるだろう。
「頼む!!」
 もう一度手をあわせる紫暮の姿を見て、うしおは渋々ながらも了承してくれた。
 うしおの様子から、説得には時間がかかると予想していた紫暮は呆気にとられていたが、嬉しい予想外だったので深く追求しないでおいた。
 了承の理由を深く追求するならば、機嫌の悪さの限界を超えただけという話し。簡単に言えば自棄になっているということだ。
女物の服は麻子と真由子に買ってもらった。
 無論、何に使うかは言っていない。
 服を受け取った紫暮は不機嫌度MAXのうしおに手渡した。
「…………」
 あのうしおは黙って奪いとるかのように服を受け取る。普段の明るい雰囲気はどこに消えてしまったのだろうか。
「はぁ……ここにとら殿がいなくて良かった」
 この場にとらがいれば、うしおの女装を笑い、うしおの機嫌をさらに悪くすること間違いなしと思い呟いた言葉だったのだが、この言葉が紫暮に危険をもたらした。
 紫暮が呟いた直後、襖から鋭い刃が伸びてきたのだ。
「とらが……なんだって?」
 鋭い刃は獣の槍の刃だったようだ。
 穴の開いた障子から見えるうしおの目が恐ろしい。
「……な、んでも、ない」
 精一杯気力を奮い立たせて言った一言に満足したのか、うしおは紫暮から目を離した。
 どうやら『とら』は禁句だったようだ。
 深いため息を一つつくと、紫暮はさっさと退散した。
 これ以上恐ろしい目にはあいたくない。
 うしおが女物の服に身を包んだら事件現場の近くに連れて行く。それだけすれば後はうしおに任せればいい。
 槍を持っているうしおならば、囮役をすると同時に退治役もしてくれるだろう。
 可愛らしい服に身を包んだうしおは小さい背のおかげか、案外普通の『女の子』に見えた。
 こんなときで泣ければ「みぞれちゃん」とでも呼んで、からかってやりたいところだが、紫暮はまだ死にたくなかった。
 恐ろしいうしおの雰囲気になんとか耐え抜いた紫暮はうしおを予定の場所まで連れてきた。
 日もだんだん暮れてきて、辺りはすっかり薄暗くなっている。これならば妖怪もすぐに出てくるだろう。
「では、頼んだぞ」
「…………」
 まかせとけといつもなら返すうしおだが、やはり今回は返さなかった。
 服にあわせて履いた底の高いブーツに足をとられながらもうしおは優雅に歩いて行った。
 地面につきそうなくらいの髪が人の注目を浴びるが、それも一時のこと。すぐに人はいなくなり、うしおと茂みに隠れている紫暮だけになった。
 近くのベンチに座り、おとなしく妖怪の出現を待っているうしおだったが、一向に現れる様子のなくイラつきを見せ始めた。
 周りの者をその眼光だけで殺せそうなうしおのそばに妖怪も近寄りたくないのかもしれない。
 かと思われた。
「へっ! こんなとこで女がなにしてんだぁ?」
 妖怪はうしおの様子などお構いなしに現れたのだ。
「やっときたか……」
 だが、うしおがゆらりと立ち上がり、これ以上ないくらいの殺気を妖怪に向けると、無意識の内に後ずさった。
 恐怖を感じている。その事実は妖怪の腹を立たせるのに十分過ぎる事実であった。
「認めるかっ!!」
 人を殺すために備わっている爪をうしおに向け振り下ろす。
 当然うしおは後方に避けようと地面を蹴ったのだが、いつもとは違う靴にうしおは体勢を崩してしまった。
 体は重力にしたがい地面へ落ちていく。もう立ち上がることも後方へ避けることもできない。獣の槍を突き出すことさえできないのだ。
「うしお!」
 うしおの殺気に固まっていた紫暮がようやくのことで動いたときには妖怪の爪がうしおの目の前に迫っていた。
 それでもうしおは目を閉じない。目を開いたまま、妖怪の動きをしかと見極めている。もしかしたら避けられるかもしれない。とりあえず頭と心臓を守ればどんな重傷を負っても獣の槍が治してくれる。
 死ななければいいのだ。
 獣の槍を握り締め、次にくる痛みにそなえた。
 痛みが来る直前、うしおと妖怪の間に金が割り込んできた。
「何やってんだ? うしお」
 間に割り込んできたのはやはりとらであった。
 妖怪の頭を掴み、後ろにいるうしおを見ているとらにうしおはいつもの笑みを見せなかった。
 見せたのは鋭く光る眼光。
「――っ!?」
 さすがのとらもうしおの眼光には恐れをなしたのか、口を噤んだ。
 だが、とらの恐怖はそれだけではすまなかった。
 うしおがとらごと妖怪を突き刺そうとしたのだ。
「何しやがんだ!」
 ぎりぎりのところでとらは槍を避け、結果的に妖怪だけが槍に刺された。
 上空に逃げ、怒鳴っているとらをうしおはさらに睨みつける。今のうしおには御仏も修羅も勝てないだろう。
「なんで、帰ってきたんだ?」
 地を這うような声は今の姿には似つかわしくない。ないのだが何も言えない迫力が今のうしおにはある。
「鳥妖のところに行けよ」
 命令にも取れるその言葉の中には確実に嫉妬の色が見え隠れしている。
「ばっ! 違ぇっつってんだろうが!」
 うしおの怒りの理由を察したとらが慌てて反論するが、うしおは聞く耳を持たない。
 すっかり場の空気に置いていかれた紫暮は呆然と立っていることしかできなかった。
 話しの全貌が全く見えていない紫暮であったが、うしおととらの口喧嘩から大体の内容が見えてきた。
「昨日だって鳥妖にほいほいついてったじゃねぇか!」
「だからあれは酒を飲みに行っただけだろ!」
「今日も誘われたんだろ?! 行ってこいよ!」
「おめぇがまた厄介事に巻き込まれてるんじゃねぇかと思って帰ってきてやったんだろうが!」
「俺一人でも何とかなるんだよ!」
「何言ってやがる! 現に今さっき危ねぇ状況だったじゃねぇか!」
「んだと?! あのくらい平気だ!」
 要約するならば、昨夜妖怪退治をした後にうしおととらは鳥妖に会ったのだ。
 昔とらに助けられたと勘違いしている鳥妖は酒を飲むという建前を作りとらを誘ったのだ。
 酒好きのとらはそれにあっさり乗った。家も近かったこともあり、うしおはその場で降ろされ、飛び去って行く鳥妖ととらの後姿を見送るはめになったのだ。
 朝になってとらは帰ってきたが、今日もどうかと誘われており、昼頃から誘いに乗って出かけていたのだ。
 それが気に喰わないのがうしお。
 昨日は置いていかれるわ、今日は黙って抜け出されるわで気分は最悪。そこに女装まで頼まれたのだからこれまでにないほどの殺気を見せたのも無理はない。
「長飛丸様〜」
 そこにやってきたのは、さらに話をややこしくするに違いない鳥妖であった。
「ばっ! くんじゃねぇよ!」
「ほら、鳥妖が呼んでるぜぇ?」
 口ではとらに行けと言っているのに、うしおは槍をしっかりととらの方に向けて行くなと脅していた。
 一体どうすればいいのかわからないとらであったが、とりあえず今逃げるのは不味いと考えた。今逃げればさらにうしおの逆鱗に触れること間違いない。
 たった数刻飲んでいただけだったはずなのに、どうしてこんなことになったのか。とらにはわからなかった。


END