海に行こうと誘われた。
白面との戦いが終わり、一つ季節が変わったところだった。
「いいぜ」
正直なところ、あまり気が乗らなかった。行こうと誘われた場所が、とらと行ったあの海だったから。
いつか帰ってくるだろうとは思うが、それがいつになるかはわからない。
「あんた、大丈夫なの?」
心配した麻子が話しかけてくる。
「大丈夫だって」
それに笑って返した。
泣いていてはとらに馬鹿にされる。帰ってきたときに、笑って久しぶりと言ってやりたいのだ。
「大丈夫」
最後の一言は、自分に言い聞かせるようだった。
天気は快晴。海水浴日和だ。
「けっこう人いるなー」
「まあ、シーズンだからね」
これから忙しくなるということもあって、みんなで騒げるのは中学最後になるだろう。それは共通の思いのようで、かなりの数が集まった。
友人の友人がなどざらにいて、名前も知らないような奴と笑いあっている。
当たり前の日常だが、うしおはこんな風景を見るのが好きだった。自分達が守ったものに誇りが持てる。
「なあなあ! 早速、海に行かね?」
一人が言いだすと、みんなが賛同する。
「じゃあ、着替えて更衣場前に集合な」
荷物を持ち、更衣場に向かう。
「女子、どんな水着かな?」
「真由子さんはワンピース型かな」
「いや、案外――」
男子の勝手な予想にうしおは加わらず、さっさと水着に着替える。
よく面白みがないと言われるが、女子についてコソコソ話すというのは、どうにも格好がつかない。
「早く行こうぜ」
「え、うしお早いな」
まだ着替えていない男子達が、慌てて着替えだす。
「てかさ、うしお肩どうした?」
うしおの友人が、肩を指差して言う。
あるのは、切り傷や火傷などではない。抉られた傷だった。
「え? えっと……」
戦いの中でついた傷は、獣の槍の力によってほぼ完治している。しかし、とらに喰われた肩は未だに傷痕が残っている。
友人達に注目され、居心地悪くなったところに、女神の声が聞こえた。
「ちょっとー。男子まだー?」
「あ、今すぐ行くー!」
男子の視線から抜け出すように、うしおは駆けて行った。
「女子より遅いってどういうことよ!」
「ごめんって」
何人かの女子が、うしおの肩を見て驚く。
あまり話したこともない相手に、傷のことを聞くことはしなかった。黙っている女子に遠慮して、男子も傷のことには触れなくなった。
「泳ごうぜー」
「ビーチバレーとかは?」
「かき氷食べようよー」
人数は多いが、自然と友人同士で好きなことをし始めるため、いくつかのグループに別れた。
「みんなできたのになぁ」
そうぼやいた者もいたが、宿へ帰れば、男女の部屋が違うだけになる。盛り上がるのは就寝時だろう。
「うしお君はどうするの?」
「ちょっと泳ごうかな」
軽く運動をして海へ飛びこむ。
波を感じながら泳いでいると、この海は沖縄のあの海とつながっているのかと思う。
妖怪達が岩となった場所。母、須磨子がずっといた場所。大切な友が死んだ場所。
海の水は、少ししょっぱかった。
「うしおくーん」
海岸に戻ると、みんなが集まっていた。
「どうしたんだ?」
「この子迷子なんだって」
見れば、小さな男の子がいる。
目には涙を浮かべ、母親を求めている。
「お母さんを探してあげよう」
「ああ、いいぜ」
別れて探した方が早いので、一人が男の子と一緒にこの場で待機することにした。その一人を決めるのは公平にジャンケンで決めることになった。
「ジャンケン……」
「――――あ」
かなりの人数でジャンケンをしたというのに、一人がストレート負けをした。
「じゃあ、うしおよろしくね」
「早くしてくれよ」
男の子の隣に腰を降ろし、友人達を待つ。まだ不安げにしている男の子を見ると、何か優しい言葉でもかけてやるべきなのだろうと思うが、口下手なうしおにそれを求めるのは無茶だった。
泣くなと強く言えないのは、母親がいない不安をうしおも知っているから。
「お兄ちゃん、その肩、痛い?」
気まずい沈黙に波紋をうったのは、心配そうな声だった。
「え?」
指差された場所を見ると、そこには喰われた肩がある。
「痛い?」
「……痛くないよ」
あのときのことを思い出す。
痛かったのは肩ではなかった。
「痛かったのはここだから」
少し悲しそうな笑みを浮かべ、うしおは胸を叩く。
「母さんはね、痛いとき、こうしてくれるよ」
小さな腕をうしおの背にまわし、男の子は優しくさすってくれる。
「大丈夫だよ」
いつだったか、とらは小さい子供は様々なことに敏感だと言っていた。その意味が今になってわかる。
「ありがとう」
心にあった傷が、じんわりと癒えていくのを感じた。
END