太陽対混沌
これからのことを考えていると、獣の槍が激しく響いた。
同時に、とらも戦闘態勢に入る。うしおも背筋から凍るような悪寒を感じ、身を低くする。
木の枝の折れる音。風の音。土を踏みしめる音。川の流れる音。
「……見つけた」
木々の間から現れたのは、黒い着物に身を包み、青にも黄にも赤にも見えるような黒い瞳を持った黒面だった。その表情は狂気といっても間違いではないほど歪んでいる。
黒面の表情を見たうしおは、未だかつてない恐怖に襲われた。
白面と対峙した時とは比べ物にならないような悪寒に、足が震える。あの時は、恐怖を打ち砕くだけの怒りがあった。怒りと憎しみを消し去った後は仲間がいた。
だが、今のうしおにはどれもない。
黒面は直接誰かを傷つけたわけではない。まだ何もしていないと言っても過言ではないはずだ。
仲間は大勢いるが、今回の戦いに加わる仲間というものは存在しない。誰も巻き込みたくないという気持ちが強い。
「と、ら……」
知らない間に、とらに寄り添っていた。
体は無意識のうちに安全な場所へ逃げているのだろう。
「気をしっかり持ちやがれ」
うしおを叱咤するとらの声も、どこか固い。
あのとらも恐怖するのだと思うと、うしおはどこか心が軽くなった。
槍を握り締め、黒面を睨みつける。
「主らは、知っているか?」
歪んだ瞳を二人に向け、黒面は尋ねる。
「青と、黄と、赤を混ぜれば、どのような色になるか」
上手いかどうかは別にして、うしおは絵を描くことが好きだった。とうぜん、絵の具などと触れ合う機会も多い。青と、黄と、赤を混ぜればどのような色になるのかも知っている。
「――黒」
目の前にいる男のような黒色になる。
黒面は満足気に口角を上げ、己の胸に手を当てた。
「『安定』の青。『理性』の黄。『力』の赤。『存在』の黒」
一瞬、黒面は綺麗に笑う。
歪んでいない。純粋な笑みだった。
「それが一つになった」
次の瞬間には再び歪んだ笑みに戻る。
「これで、もうおかしいことなどない。我らは一つなのだから」
赤い青年が言っていた。白面が言っていた。黒面は不自然な存在なのだと。
願うのは普通の生き物のように仲間が欲しい。認識されたい。そんな他愛もない願いなのに、それが叶うことはない。
「殺してやるのが、救いなわけねぇだろうが……」
自分の無力さを噛み締める。
殺される前に殺す。今の現状ではそれが一番正しいように感じた。
「甘ぇ考えは捨てろ」
黒面から目をそらさず、とらは言う。
「わかってるさ。わかってる」
最後の言葉は自分に言い聞かせるような風だった。
相手が動けば、こちらも動く心積もりで構えているというのに、黒面は一向に動こうとしない。ただ、歪んだ笑みを浮かべてうしおととらを見ている。
「何なんだ?」
二人は黒面に攻撃されずとも、その圧迫感だけで精神力を消耗していく。このまま睨みあいが続けば、どちらが不利かなど考える間でもない。
「我は不自然な生き物ではないだろ?」
不敵な態度は崩さない。なのに、その言葉の端々には願うような響きがある。
「………………」
自然な存在だと言ってやれば、黒面は満足するとわかっていた。だが、黒面は自然な存在には成りきれていない。全ての色が不安定に混ざりあい、どの色にも成りきれていない。
それが今の黒面の姿だ。
「あんたは、不自然だよ」
絞り出すような声に、黒面の目が見開かれ、周りの木々達までもが殺気に怯える。
「何故だ。何故だ。何故だ!」
気づけば、黒面はうしおの手を一まとめに掴み、うしおの瞳の奥を覗いていた。
目にも止まらぬ速さという言葉が陳腐なものに聞こえるほどの早さだった。
「我は『存在』している。『力』がある。それを抑える『理性』もある。全てを『安定』させることもできる」
他とは絶対的に違う存在ゆえに狂ったのか。負から生まれたがために元から狂っていたのか。どちらにせよ、黒面は狂っている。
できることならば助けてやりたいと思っていたうしおの心に、影ができた。
「てめぇ!」
とらが黒面に向けて爪を振り下ろす。爪は肉を引き裂きはしなかったが、うしおを黒面の手から解放した。
「おめぇもぼさっとしてんじゃねぇ!」
怒鳴られ、うしおは再び黒面に目を向ける。
狂ったように笑い、狂ったように頭を掻き毟る。うしおの知っている黒面でなければ、黄や赤でもなかった。
「バラバラのもんを、無理に一緒にしたから均衡が崩れてやがるのさ」
もはやアレは黒面ですらない。
「せやで?」
不意に、ここにあるはずのない声がした。
十七話