終幕  膝を落としかけたうしおは、とらに支えられなんとか立ち上がる。
 未だに腹からは血が流れている。いくつか内臓が傷ついているだろう。普通の人間ならばもう助からないかもしれない。
「おい、大丈夫か?」
「……ああ」
 だが、うしおは獣の槍を使う人間だ。
 重傷ではあるが死にはしないだろう。このままただ時間が経つのを待っていれば話はまた別だろうが。
「奴らを消した気分はどうだ?」
 木の上から飛びおり、二人の前に立ちはだかったのは白面だった。
「さ……いあく、だよ」
 歯を食いしばり、絞りだすかのようにうしおが言うが、白面は表情を崩さない。感情を写さない能面のようだ。
「そうか。奴らは嬉しそうだったな」
「し、らねぇ、よ」
 会話をしている間も、うしおの体からは血が流れていく。
 一刻も早く人間のいるところへうしおを連れて行きたいとらではあるが、うしおは白面との会話を望んでいるように思えた。
「生きている。すばらしことだ。
 消える。甘美なことだ。
 どちらが、どうかなど、主が決めることではない」
 白面がうしおへと近づく。とらが庇うように前へ出たが、うしおがそれを押しのけた。
 手を伸ばせば届く距離にまで近づき、うしおの頬に触れる。白面の手は、うしおの頬をつたい、顎へ、首へ、胸へ、腹へとつたっていく。腹から流れる赤い血に触れると、薄く笑い、一言囁く。
「これは我からの復讐だ」
 赤い血が糸を引いて、うしおの腹と白面の指を繋ぐ。
「もう会うこともあるまいて」
 白面が一歩退いて、どこかへ跳躍して消えた。
「……あ、治ってる」
 呆然と消えゆく姿を見ていたため気づかなかったが、うしおの腹に空いた傷が埋まっていた。血ももう流れていない。
「変なとこはねぇか?」
「うん。大丈夫」
「さっき、あのヤローが何か言ってたみてぇだが……」
「……これが、復讐だってさ」
 うしおにもとらにも、これのどこが復讐なのかはわからなかった。
「まあ、変なとこがねーならいい」
「心配してくれたのか?」
 とらの背に乗り、うしおは笑う。
 無理をしているような笑みだった。
「今、ここにはわしらだけしかいねぇぞ」
「うん」
 金色のたてがみに顔をうずめ、うしおは小さく嗚咽をもらした。
 自分という存在がいかに無力かなど、以前の戦いでよくわかっていたはずだった。それでも、今度こそは守れるのではないかと思っていた。
 誰かが苦しまなければいけない選択など、しないつもりだった。
 結果はどうか。彼らは死んだ。ただ生きたかった。それだけのはずなのに。
 とらは振り返らず、ただ黙って背に乗せたうしおの悲しみを受ける。
 どれだけうしおが涙を流そうと、彼らは甦りはしない。彼らは妖怪ではなく、漠然とした意識でしかない。
「泣かないで。君は、優しすぎる」
 涙を流していたうしおの手首から声が聞こえた。
 目をむけると、ブレスレットが薄く光っている。
「きっと、君は泣くだろうね。すべてが終わった後。
 でもね、ボクはそれを望まない。だから、これだけ残させて」
 ブレスレットに小さなヒビが入った。
「笑ってて」
 最後の言葉と共に、ブレスレットが粉々に砕けた。
「――――あ」
 蒼い玉の欠片が散らばり、光も消える。
 声はもう聞こえない。存在も感じない。
「『安定』……」
 それでも見えた。
 笑っている彼らの姿が。

「帰るか」
「そうだな」

 うしおは笑う。
 後悔や、悲しみ、苦しみを背負って、それでも太陽のように笑う。
 それを望んでくれた人が、くれる人がいるのだから。