とある山の中に三匹の妖怪が暮らしていた。三匹の存在は、仲間であるはずの妖怪達ですら、一部の者しか知らなかった。
 近頃では妖怪の存在も公となり、人間との共存も始まっているこの頃では珍しい妖怪であった。
「こら! 潮虎ちょうこ!」
 長い黒髪の少年が小さな男の子を追いかけていた。
 追いかけられている男の子、潮子は少年に決して捕まることのないスピードで廊下を駆け回ってた。走っている最中、長い髪が顔にかからないのだろうか? などと、少年は思っていたが、当の本人はなんの不便もないようだ。
 よく見れば、潮虎と少年の目はよく似ていた。真っ黒で、大きな目。その目の中には強い意思が感じられる。
「へっへ〜。捕まえてみな〜!」
 潮虎は少年に向かって舌を出しながら挑発する。潮虎が少年の方を振り向いた瞬間、潮虎は何かにぶつかった。
 それは壁のような無機質で固いものではなく、暖かく柔らかい生物であった。
「このぐれぇ捕まえろよ。うしお」
 潮虎の首を掴み、猫のようにして持っているのは正真正銘の妖怪。とらであった。
 少年も潮虎も見た目は人間であるのに対し、とらの姿は獣そのもので、どうやっても人間には見えなかった。
「無茶言うなよ……潮虎はお前と同じくらいの速さで走るんだぞ?」
 うしおは心なしか青い顔をして言う。
 とらのスピードといえば電車や車ぐらいならば軽く追いこせる程なのだ。そのスピードについていけと言うほうが無茶である。
「このっ! とら離せ!! 母ちゃんと喋るな〜!」
 首を捕まれた状態のまま、腕を振り回しどうにかとらの手から逃れようとする潮虎の姿は歳相応に幼く見える。
「こら! 親を呼び捨てにしたら駄目だろ?」
 相変わらず捕まれたままの潮虎にうしおが注意するが、潮虎はそっぽを向いてしまった。
 実はこの三匹、れっきとした家族なのだ。
 うしおは元々人間だったのだが、十数年前、獣の槍に魂を吸い取られ獣となった。
 とはいえ、姿や精神面に変わりはなく、変わったことといえば寿命や体の丈夫さぐらいのものであった。
 うしおが獣になる前から共にいたとらとは前々からそういう関係で、うしおが妖怪になった今では二人の妖気から子供が生まれるまでになった。
 そうして生まれたのが潮虎。
 母親譲りの黒い目と笑顔。父親譲りの金髪と能力ちからを持った潮虎は、うしおのことは『母』と慕っているが、とらのことを『父』とは認めなかった。
 そこには、男同士の戦いにも似たものがあるのだが、鈍いうしおはそんなことには全く気がつかなかった。
 ついでに言うならば、うしおの母は存命である。しかし、うしおの母、須磨子はうしおが妖怪として生きていることを知らない。
 うしおが獣になった時にいたのはとらだけで、うしおととらは獣の槍をその場に放置して長の元へ行ったのだ。うしお曰く、獣になったら悲しむだの、騒がれるだの、理由はあるらしいが、その本心はわからない。
 潮虎の存在を知っているのは、親であるうしおととら。そして東西の長だけであった。カマイタチの兄弟はこの事実を知ったら卒倒しそうなので知らせていない。
「どうしてあんな悪戯したんだ?」
 ようやく降ろしてもらった潮虎にうしおが尋ねる。
 悪戯とは、一室を強風で無残な姿にし、さらに雷まで放ったのだ。これを『悪戯』で済ませられるあたり、ずいぶん人間離れしてきていることにうしおは気づいていないだろう。
「だって……俺が強くないと、母ちゃん守れねえじゃねえか!」
 誰かを守るため。黒い瞳が真実だとうしおに訴えかけている。
 この時点でとらはうしおが潮虎を本気で叱れないだろうと諦めていた。
 何事にも真っ直ぐなうしおは何よりも真っ直ぐな言葉と瞳に弱かった。それが実の息子の言葉ならばなおさらだ。
「とらなんてあてにならねえよ! 俺が母ちゃんを守ってやる!」
 後方にいるとらを睨みつけ、潮虎は高々と宣言した。この宣言、とらにとっては宣戦布告以外の何物でもない。
 守られることにうしおは違和感を感じない。ずっととらに守られてきたからだ。そしてそれはこれからも変わらないだろう。だが生粋の妖怪とはいえ、息子に守られるようなマネをうしおはしない。
「そうか……でも、家の中ではするなよ?」
 守られるつもりなどさらさらないうしおだが、潮虎のやる気をわざわざそぐようなマネはしなかった。
「おう!」
 元気に返事をして、潮虎は外へ出て行った。山の何処かで修行でもするのだろう。
「相変わらず甘ぇな」
 潮虎の後姿を見送って、とらはうしおに言った。
 潮虎が生まれてそろそろ六年になるが、うしおがまともに潮虎を叱ったところをとらは見たことがない。
「ならお前も育児手伝えよ……」
 ため息交じりで言い返すうしお。潮虎が生まれてからとらはまともに育児をしていない。まあ、生まれたその瞬間から潮虎はとらを嫌っていたように見えなくもないので、育児をする気になれないのにも頷ける。
 どこからか、雷の落ちる音が聞こえた。


END