一日目の授業が全て終わり、潮虎は始めてできた友達と廊下を歩いている。
潮虎の始めての友達の名は麻実といった。名前の由来は親のから一文字ずつもらっており、潮虎と同じ由来であった。
麻実は妖怪にも人間にも隔てなく接することのできる明るい人間であったため、一部の人間からは疎まれていたが、大抵の妖怪や人間は麻実のことを好いていた。
潮虎も親譲りの明るさと、行動力を見事に発揮し、すぐに周りと打ち解けた。
「学校って面白いな!」
潮虎がうしおによく似た笑みを見せる。
「勉強がなかったら最高なんだけどね〜」
運動が大好きな麻実は椅子に座っておとなしく勉強するのが好きではないらしく、苦笑いをしていた。
確かに。と、同じくじっとしているのが苦手な潮虎も同意した。
二人の性格からして、嫌いなことは放棄したり、ぶち壊したりしそうなものだが、二人の先生はかがりである。
麻実はもちろんのこと、出会い頭でその恐ろしさを見せつけられた潮虎はけっしてかがりには逆らわなかった。潮虎や麻実だけではない。クラス全員が常に静まりかえっているのだ。
「何の話をしているの?」
潮虎と麻実の後ろから現れたのは、他ならぬかがりであった。
かがり先生は怖い。他のクラスは騒いだりしていてもそんなに怒られない。などと話している途中だったので、二人は身を固くした。
恐る恐るといった風に振り返ってみると、予想とは違い、微笑んでいるかがりがいた。
「な……なんでもない」
引きつった笑いを浮かべながら潮虎が返すと、そうなのと笑ってかがりも返す。
「実は、潮虎君のお母さんに言っておいて欲しいことがあるの」
一体何なのだろうと、首を傾げる潮虎にかがりは一枚のプリントを渡した。
「本当は私が家庭訪問に行かなきゃいけないのだけれど……」
潮虎が住んでいる所は遠い山奥で、そう簡単に訪問できる場所ではない。
いくら妖怪とはいえ、教師としての仕事も山のようにあるかがりが、たった一人の生徒のために遠くまで足を運ぶことはできなかった。
行けないのならば、来てもらう。それがかがりの考えであった。
「いつでもいいから、都合のいい時間聞いておいてくれる?」
かがりの言葉に潮虎は首を縦にふる。
「それじゃ、よろしくね」
潮虎の頭を撫でて、かがりは職員室へ向かって行った。
かがりの姿がみえなくなって、二人はほっと胸を撫で下ろした。
「そうそう」
胸を撫で下ろした瞬間に、職員室からかがりが顔を覗かせる。
「先生は、あなたたちのことを思って厳しくしてるのよ」
笑っているかがりの手からは煌く刃が見えていた。
麻実と別れ、一人空の散歩を楽しみながら家に帰った潮虎は学校がどんなものかうしおに話した。
授業は退屈だけど、クラスの奴らは面白い。先生は怖いけど、皆に好かれている。
一通りのことを話し終えた潮虎はかがりから受け取ったプリントのことを思い出した。
「あっ! 母ちゃん。これ、先生から」
渡されたプリントには懇談にきてほしいと言うことが書かれていた。
「懇談か……」
まだ人間として生きていた時のことを思い出しながらプリントを読む。
「でな! 先生がいつならいい? って聞いてた」
うしおがいつ学校に来てくれるのだろうかと、わくわくした雰囲気を身体中から発している潮虎を見て、うしおは自分も昔は親父が懇談に来るとき同じようにして笑ったと思い出していた。
結局、懇談にきてくれたのは親父ではなかったが……。
「じゃあ、明後日の2時に行くって言っておいてくれるか?」
「えー。明日じゃダメなのか?」
不満気に抗議する潮虎だが、明日伝えて明日行くというのはいくらなんでも非常識だろう。
「だーめ」
ダメといわれてしまっては何も言えない潮虎は小さくため息をついた。
そんな潮虎の頭を撫でているうしおをとらは不満気に見ていていた。
『学校』や『常識』のこととなると、とらは手も足も出ない。学校のことを楽しそうに話している潮虎とそれを嬉しそうに聞いているうしおの間にとらは入れない。
うしおが人間だったときも、そして今も学校というものはとらから楽しみを奪っていくものであることに変わりはなかった。
次の日、潮虎は山のふもとまで歩いていくというような失敗はせず、家の外から空を飛んで学校へ向かった。
「あっ! 潮虎おはよー!」
学校の近くに降りた潮虎を見つけ、麻実が駆け寄ってきた。
満面の笑みを浮かべている麻実に潮虎も同じく満面の笑みであいさつを返した。
「潮虎のお母さんいつくるの?」
「明日の二時だってよ」
今日来たらいいのに……と不満気な呟きをもらす潮虎の背中を麻実を叩いて励ました。
「いいじゃない。楽しみは後に取っておいた方がいいって私のお母さんも言ってたし!」
朝から明るい陽の気を身体中から漂わせている麻実のすぐ傍にいるのが辛かったのか、潮虎が一歩分麻実と距離をとる。
潮虎に距離をとられた麻実だったが、クラスに妖怪も多いので、朝から陽の気を浴びるのは辛いのだろうとわかっていたので気を悪くすることはなかった。
二人は一歩分の距離を保ったまま教室へ入って行った。
かがりが来ていない教室は他のクラスと同じく騒がしい。本来、聴覚の優れている潮虎には耳を抑えたくなるほどの騒音だが、ある程度音を遮断しているため何とか普通にしていられる。
SHRの始まりを告げるチャイムが鳴り響くと共に、クラス中が沈黙する。徐々にではなく、一斉に静まるため、一瞬耳が悪くなったのかと錯覚してしまいそうになる。
「皆さん。おはようございます」
沈黙の原因。かがりが笑顔で現れた。
「おはようございます」
全員がかがりにあいさつを返す。日ごろの教育の賜物というやつだろう。
それからかがりは簡単な連絡をして、一時間目の用意をするように言った。
「先生」
潮虎が一枚の紙をかがりに差し出した。
「ちゃんと伝えてくれたのね。ありがとう」
潮虎の手からかがりは紙を受け取り、日時を確認した。
いよいよ懇談の日。うしおはやや緊張気味であった。
うしおは親として先生と会ったことは今までに一度もない。いや、こうして潮虎が生まれてくるまでは一生親として先生と会うことはないだろうと思っていた。
先生と会うのは『母親』なんだと、うしおは考えていたのだ。だが、うしおかとら。どちらが母親だといわれれば必然的に母親はうしおになる。
「じゃあ……いってくるな」
長い髪を上の方で束ね、ポニーテイルにしたうしおがとらに言う。
学校に行くうしおを、やはりとらは面白くなさそうに見ていた。微塵も隠そうとしない不満気な表情にうしおは苦笑いをした。
「とら。また……二人で散歩にでも行こうぜ」
潮虎には悪いけど、たまには潮虎のことも学校のことも、何もかも忘れて妖怪として過ごすのも悪くないだろうとうしおは笑った。
両親や友のもとから離れたうしおが一番変わったところ。それは少し自分勝手になったところ。妖怪色に染まってきたということだろう。
「……しかたねえなぁ」
言葉とは裏腹に嬉しそうな表情。
この場に潮虎がいたなら、とらとよく似た不満気な表情を見せていることだろう。
「おとなしく待ってろよ?」
潮虎に見せる笑みとはまた違った優しげな笑みを浮かべたうしおはとらの額に軽く口付けをした。
予期せぬ事態に固まってしまったとらとは違い、うしおは自然な動作でそのまま家を出た。
「…………余計なとこまで妖怪じみてきやがった……」
仄かに顔を赤くしたとらは頬杖をついてため息をついた。
今日はうしおが来る。潮虎は楽しみにしていた。
今日は潮虎の親が来る。麻実も楽しみにしていた。
そして、麻実の親も密かに楽しみにしていたりもする。何故ならば、麻実に潮虎という子供のことを聞いた麻実の母親はあまりにも知っている少年に似ていたので、一度親の顔を見てやると意気込んでいたのだ。
有限実行。気になったらとことん調べる性質の麻実の母親は、古くからの友達であるかがりに頼み、潮虎の親が来る日を聞き学校の中に入れてもらった。
「あれが麻実の母ちゃん?」
「うん。よく似てるでしょ」
麻実の言うとおり麻実と母親はよく似ていた。一体父親の遺伝子は何処にいったのだろうかと思うほどの容姿であった。
強そうな瞳も全身から漂っているオーラも同じといっていい程のもので、背丈をあわせれば双子にみえてもおかしくないだろう。
しばらくすると、麻実の母親は何処かへ行ってしまった。
何処へ行ったのか潮虎が麻実に尋ねてみると、お手洗いじゃない? と返ってきた。
『お手洗い』の意味が潮虎はよくわからなかったが、とりあえず頷いておいた。
「潮虎」
そうこうしているうちに、うしおがやってきた。
着物に下駄という古めかしい服装だが、妖怪の親となればそのくらい不思議でも何でもない。ただ、麻実には納得も理解もできないことが一つだけあった。
「ねえねえ。お母さんなの?」
うしおを指差しながら麻実が潮虎に聞く。
潮虎は当然だろ? と麻実の質問を肯定する。
麻実の認識では、お母さんというのは女のことをいう。今まで見てきた妖怪の母親も、見た目では男女の区別がつきにくいとはいえ、全員女であった。
うしおは見た目普通の人間で、男女の区別はハッキリとつく。そう。どうみても男。
「…………ふーん」
麻実はお母さんの認識を改めた。お母さんというのは男でも女でも関係ないと。
子供ならではの柔軟さか、妖怪と付き合ってきたための柔軟さかはわからないが、器の大きさはたいしたものだ。
男が母親だとやっぱり不味いだろうかと思っていたうしおだったので、潮虎の友達らしき女の子があっさりと受け入れことに一安心した。
この調子ならどうにかなるかもしれないと思い直し、潮虎の担任が待つ教室のドアを開けた。
「失礼します」
言葉と共に開けられたドアの向こうに見えた一人の女性の姿にうしおは固まった。
流れるような長い黒髪にも、優しげであり鋭いその眼にも見覚えがあった。
「…………」
無言のままうしおはドアを勢いよく閉める。よほど力を込めたのか、ドアが大きな音をたてて揺れたが、ドアの音を麻実の脳が感じる前にうしおは潮虎をわきに抱えて走り出していた。
潮虎が不思議そうな顔をしてうしおを見上げるが、うしおにも自分の行動が理解できていなかった。
今まで隠していたとはいえ、先日空屋敷に出向いて潮虎のことを話したばかりではないか。逃げる必要はない。
だがうしおの本能が告げる。見つかってはいけない。捕まってはいけない。
かがりの方も我に返ったのか、凄まじいスピードで間合いをつめてくる。いくらうしおの方が先に走り出していたとはいえ、速さでカマイタチに勝てるわけがない。
怒った時の女ほど怖く、恐ろしいものはない。
うしおの周りにはいつも強い女ばかり集まっていた。力こそ弱くとも、全員強い意思を持っている。そこに涙や途切れんばかりの言葉が加われば、まさに最強。
「…………っ!」
逃げていたうしおの前に現れたのはまた別の女性。しかも、また見覚えのある女性であった。
長い間会っていなくともわかる。長い年月を共に過ごしてきた幼馴染。
「麻子……」
「うしお……」
前に麻子、うしろにかがり。うしおはもう逃げられない。
to be continue……