私の友達が死にました。正確には殺されました。悪魔の命とも言えるグリモアを回収され、私の目の前で消えました。
しっかり抱き締めたはずなのに、今は彼の感触さえ思い出せないのです。
「ごめんな、ベーやん」
彼の最期の言葉だけはしっかりと覚えています。こんな言葉を覚えているくらいなら、彼の感触や笑顔を覚えていたかった。
ただただぼんやりとしている私の隣で、さくまさんが涙を流しています。モっさんが死んだときも彼女は泣いていたな、とつまらないことを思い出しました。付き合いの短かったモっさんの死を嘆くことができる彼女は、最も付き合いが長いアザゼル君の死をどのように感じているのでしょうね。
もう、私には何も感じることができません。せめて、貴女だけでも彼の死を悼んであげてください。
「さくまさん。泣いている暇があるなら、次を考えるべきだ」
「わかってますよ。でも、アザゼルさん……」
アクタベ氏の言葉を聞いても彼女は泣き続ける。それが少しだけ羨ましく感じたものです。
「ベルゼブブさんは悲しくないんですか」
震えた声でそう尋ねられました。ドブスな顔を見ると、心なしか笑えそうになります。本当に笑うことなんてありはしないのですけれど。
「そうですねぇ」
悲しくない?
そんなわけねぇだろうがクソ女が。
「だからこそ、泣けないのかもしれませんよ」
友人だった。大切な悪魔だった。それが消されちまったんだぞ。感情が全て消し飛ぶくらいには悲しいんだよ。
いえ、違います。これはきっと悲しみではありません。これは憎しみ。腹の底から、どのような本能にも増さる憎しみが込み上げてくるのです。
「アクタベ氏」
この憎しみを解消するための、唯一の方法が欲しくて恐ろしいあの方に声をかける。いつもと同じ無愛想な面をしていても、その内面が悔しさでグチャグチャしていることくらい、私はお見通しです。
苛立った瞳を向けられても、もう恐ろしくもなんともありませんでした。
「天界へ行く方法はご存じですか?」
彼がわずかに目を見開く。あのような顔を見たのは始めてでした。わずかに生まれた優越感を拾い上げ、最後の笑みを浮かべてみせるのです。そして言葉を紡いでいく。
「全て殺します」
王の力を持って。
アザゼル君を殺した天使を見つけ出して、惨殺してやるのです。見つからなければ見つかるまで、他の天使を惨殺してやるのです。そうしたら最後には神のクソヤローをぶち殺すのです。そうやって天界を滅ぼしたら、最期は私が私を殺して終わるのです。
そうまでしないと、私の中のこの感情は収まらないのです。
何をどうしたところで彼は戻ってこない。ならば、悪魔的に残虐に全てを終わらせればいい。
アクタベ氏がゆらりと私に近づき、耳元で小さく囁きます。それはまさに悪魔の囁きで、ゆえに私には救いの囁きだったのです。
「ありがとうございます」
いくらグリモアがここにあったとしても、天界へ行けば私は死ぬでしょう。さくまさんもそれをわかっているのか、先ほど以上に涙を流す。ただでさえ見れない顔だというのに、そのような顔をするものではありませんよ。
安心なさい。彼の仇は必ずとってみせますよ。ご所望とあらば最期の前にあの天使の首をここへ持ってきましょう。きっと、それくらいしかもう私にはできないので。この事務所は最悪の労働環境でしたけれど、楽しかったですよ。
「ベ、ベルゼブブさん!」
元の姿に戻るため、天界へ向かうために魔法陣を使い魔界へ還ろうとすると、さくまさんが叫ぶように私の名を呼んだ。
「カレー。カレー作って待っていますからっ!」
「……それは、楽しみにしています」
きっとそこに感情は浮かんでいなかったでしょうけど、最後くらいは優しい言葉をかけてあげましょう。
「あなたのカレーは魔界でも見ないくらい絶品ですからね」
それだけ言って、私はあるべき場所へ還りあるべき姿へと戻る。
さあ、するべきことは決まっています。私は一人、教えていただいた言葉の通りに天界へと足を運ぶ。
「き、貴様、悪魔か!」
「そうですよ」
軽く腕を振るだけで首が飛ぶ。クソ野郎共でも血は赤い。彼と同じ色をしているのが何となく気に食わなくて、見かける天使を端から惨殺していく。一瞬の断末魔が心に染み渡る。満足感はありません。
けれど、赤い血と匂いを嗅ぐたびに彼のことを思い出せるのです。笑った顔も、困った顔も、泣いた顔も、怒った顔も、最期の感触も。
「さあきなさい。ぶち殺してやりますよ!」
殺して、殺して、殺した果ては背後からの衝撃と痛み。やはり神にはたどりつけませんでしたか。残念です。
無残に散った天使の中に、彼を殺した天使はいたのでしょうか。私は彼の仇を取れたのでしょうか。暗くなっていく視界の中で、私は彼に会いました。無音になっていく世界の中で、彼の声を聞きました。
「アホやな、ベーやんはさくやアクタベはんとおったら良かったのに」
アホは貴方ですよ。何が悲しくて、あの悪魔よりも悪魔なアクタベ氏のところにいなければならないのですか。それくらいならば、キミのいるどこか遠くの世界へ逝きますよ。
今、私は満たされているのですよ。
END