ベルゼブブは屋敷の中でため息をつく。
彼が愛しいと思っている悪魔は気が多い。仮にも付き合っているはずの彼を放って、女に声をかけまくるような悪魔だ。性質上しかたないのだろうと思いつつも、無下にされている気しかしない。
一度、気が多すぎると指摘したことがあった。そのときに返ってきた答えは、彼女達に向ける気持ちとベルゼブブに向けるものは違う。と、いうことだった。
「ベーやんは一等賞。ワシが一番好きな人やねんって。
でもな、大好物ばっかり食べてたら飽きてまうやん? だからワシはこうして別のもんも抓んでんねんって。な? ベーやんのことが魔界一好きやってことはかわらんから」
あの無邪気な笑みを浮かべて言われれば、ほだされないはずもなかった。ベルゼブブもつい、首を縦に振ってしまったのだ。第一、アザゼルはセックスが楽しいやら気持ちいいやらは言ってくれるが、好きという単語は中々口にしてくれない。ほだされても仕方がないだろう。
しかし、今では好きだと言う言葉にいい気になってしまったことを後悔している。あの時、もっと追及し、咎めていればよかった。
手にしていた携帯電話に目を向ける。画面には一通のメールが表示されている。
『ユミと会ったんで遊んできます^^』
思わず携帯電話を握りつぶしそうになる。
何を言っても、今日は休日だ。珍しい休日だ。つい昨日、明日食事にでも行かないか? と誘い、アザゼルはそれを受けたはずだ。だというのにこの仕打ちはなんだ。
ユミという名の女に記憶はないが、アザゼルが持っているセフレの一人だろうことは予想がつく。アザゼルは贈り物ことしないが、セフレには優しく彼女達の言葉を否定することは少ない。一緒に遊ぼうと言われれば、よほどのことがない限りイエスと頷くだろう。
つまり、ベルゼブブとの約束とはその程度ということだ。ポジティブに考えれば、他のセフレとは違い、わがままを言える相手と思われているのかもしれない。それは嬉しくない。まったくもって喜びを感じ得ない事態だ。
ベルゼブブは貴族だ。アザゼルに出会う以前は誰もが彼を持ち上げた。彼が不快になるようなことなどするはずがなかった。
だというのに、アザゼルの行動といったらどうだろうか。媚びることはある。しかし、その裏にある打算や悪徳を隠そうともしていない。そんなところが気に入っているのではあるが、何かが違う。
絢爛豪華なテーブルに伏して考える。
これが嫉妬だということは重々承知している。アンダインの持つ嫉妬とは種類が違うようだが、これが嫉妬でないならば新しい名前をつける必要がある。
「……私の職能は暴露なんですけどねぇ」
暴露とは偽らないことだ。だからこそベルゼブブ自身も己を偽ることはしない。他人に何を言われようとも、己の嗜好を隠す気がないのが何よりもの証拠だ。けれど、アザゼルが相手だと、調子が狂ってしまう。
好きだと言うのにも時間がかかり、あちらこちらに目を向けるなというのにも時間がかかった。一等賞ではなく、唯一になりたいのだと言いだすにはどれほどの時間がかかるのだろうか。そして、それを伝えたところで、どれほどの効果があるのかわからない。効果など殆どないようにも思えてくるのだ。
恋人はベーやん一人! と胸を張っているアザゼルの姿が目に浮かぶ。とりあえずは、想像の中のアザゼルの首を飛ばしておくことにした。
自分の能力を使い、己に対する愛を語ってもらえでもすれば少しは心が軽くなるだろうか。そんなことまで考え始めたが、軽い愛しか紡がれないことは目に見えていた。アザゼルにとっての愛とは毛ほどの軽さしかないのだ。対するベルゼブブの愛というのは重い。これは彼が自惚れているわけでなく、客観的な視点から見た確かな答えだ。
プライドが高いベルゼブブは、たった一つに思いを注ぐ。多数にそれを注ぐというのは愚劣な輩のすることだと思っている節さえある。世界で一番だと胸を張れるものをたった一つだけあればいい。ベルゼブブにとってのたった一つはアザゼルだった。
彼のことをよく知る人物達は、今の現状を見ると目を丸くする。プライドの高いベルゼブブが、恋人に振り回されている。他の女に目を奪われているような輩を愛している。これは魔界を揺るがしかねない天変地異にしか見えない。驚いた顔を見るたびに、やはりこの現状は間違っていると心の片隅で思うのだ。
他愛もないことを思い出しているうちに、現状に驚いた知人の言葉を思い出した。
「お前の性格なら、監禁とかしそうなのにな」
そう言ったのは誰だったのだろうか。
周りは同意していたが、当の本人であるベルゼブブは馬鹿なことを、と思っていた。彼が好きなのは馬鹿で、間抜けで学習能力のないアザゼルだ。監禁して、精神を甚振られ自我を失くしたアザゼルではない。そういった妄想に心が惹かれないのかと問われれば、答えには時間を要するのではあるが。
そう。思っていたのだ。あくまでも過去形だ。
「――それもいいかもしれませんね」
携帯電話を放りだし、席を立つ。部屋の中にある小物入れを開けると、そこには大小様々な鍵がある。彼に由縁のある建物や部屋の鍵達だ。それらを使えば、アザゼルを監禁することなど容易い。
誰とも会わぬように、誰にも会えぬように。どす黒い感情が胸の内からわきあがってくるのを感じた。
限界というものが見えてきている。現状のままでは耐えられない。ベルゼブブは口角を上げる。全てはアザゼルが悪いのだ。監禁され、全てを理解してから許しを請えばいい。それを受けることはないだろうけれども。
金色の鍵を手に、アザゼルを迎えに行こうと、スーツに袖を通す。
「ベーやん! おるー?」
玄関に向かおうとしていたその時、アザゼルの声が先の方から聞こえてきた。放り出していた携帯電話を広い上げ、中を確認してみるがメールは入っていない。ユミとやらと遊ぶのではないのかと思いつつも、得物が向こうから来てくれたのが嬉しかった。ご機嫌な足取りで玄関へと向かう。メイド達もアザゼルのことは知っているので、すでに屋敷の中に彼はいた。
「ビックリした?」
「ええ。ユミとやらと遊ぶのではなかったのですか?」
楽しげに笑っている彼の周囲に、女の姿はない。余計なことをして振られたのだろうかと予測し、知らぬ間に嬉しそうな表情を浮かべる。
「遊んだよ?」
当たり前のことを聞かれたように、アザゼルは目を丸くして首を傾げている。
ベルゼブブは時計を確認するが、メールがきてから三十分程度しか経っていない。ナニをしていたかは知らないが、いくらなんでも早すぎるのではないだろうか。
「やから、はいどーぞ」
じゃじゃーんと、自前の効果音と共に差し出されたのは小さな箱だった。青いリボンが可愛らしく結ばれている。
「……私に、ですか?」
「せやで?
ユミに話聞いて、ベーやんに似合そうなの探してんで」
早く開けて欲しいと体全体で示され、ベルゼブブは恐る恐るその箱を手に取り、リボンに手をかける。
心臓がやけに五月蝿い。お前は胸にあるはずで、頭にあるのではないだろうと、一人胸の中に吐きかける。
「どう? 気に入ってくれた?」
箱の中には、光を反射しているピアスがあった。
全体は金色で、アクセントのように青い球体が端についている。本物の金や宝石ではないが、見た目は美しい。
「ワシのは赤やねん」
そう言うと、アザゼルは自分の耳にピアスをつけた。赤い球体がキラキラと光る。
「おそろい。ワシとベーやんだけの」
細められた目に、ベルゼブブはどす黒い感情が消えるのを感じた。
「ありがとうございます」
これだから、彼を閉じ込められないのだ。
END