貴族であり、相応の実力を持っているベルゼブブに喧嘩を売る者は早々いない。対して、下級悪魔であるアザゼルは喧嘩を売られることも売ることも多い。だが、たかだか淫奔とはいえ、職能を持っているアザゼルはそこいらの悪魔には負けない。
 そのおかげで、今では舎弟のような者達もいた。
「何やねん!」
 とはいえ、アザゼルから滲み出る三流臭さが抜けるわけではない。近頃は人間界にいることが多いので、アザゼル自身すっかり忘れてしまっていたのだが、魔界を歩いていると絡まれることも多い。
 今日も突然後ろから突き飛ばされた。怒声を上げ、周りを見ると四、五人の悪魔が見える。
「……何や。ワシとやろうっちゅーんか?」
 指を鳴らして相手を威嚇する。負けるつもりはないが、多勢に無勢という言葉がある。この状況はまさにそれだ。相手もそのことをわかっているので、アザゼルの威嚇などものともしない。ただ小汚く笑っているだけだ。
 残念なことに、今日はただ散歩をしていただけなので、近くに味方はいない。
 負けずとも、何発か殴られることくらいは覚悟しなければならないだろう。それでも恐怖を感じないのは、あの悪魔よりも悪魔らしいアクタベのお仕置きにくらべたら些細な痛みだとわかっているからだ。
 相手が殴ってくるのを避け、相手の腹に拳を叩きこむ。予想以上に弱い奴らだと確信し、アザゼルは思わず口角を上げる。この分ならばそう多くの痛みを得ることもないだろう。横から襲いかかってくる敵の攻撃を避けては拳を振るう。そんなことを続けている間に、先ほどまで腹を抑えてうずくまっていた者が再び立ち上がる。
 力はそれほどないようだが、中々にタフなようだ。
 現状では痛みを得ることは少ないが、このまま長期戦に持ちこまれてしまえば、アザゼルが不利になるのは火を見るより明らかだ。
「なっさけないのぉ。こんなけの人数がおって、こんなもんかい」
 一種の強がりを見せる。これで一人でもビビッて消えてくれればと願いを込めてみるが、それが上手くいったためしなどないわけで、喧嘩をふっかけてきた者達はニヤニヤと笑っている。
 心の中で、デスヨネー。と、アザゼルは涙を流す。たまの休みに散歩をした結果がこれでは、何とも報われない話だ。しかし、ここで逃げ出すのも悪魔としての沽券に関わる。アザゼルも腹を括る。どうころんでも負けることだけはありえない。
「こいや」
 カウンターを狙った方が相手にも隙ができる。アザゼルは相手を挑発する。
「覚悟しろや!」
 ただし、カウンターが狙えるのは一対一のときの話である。同時に四方から攻撃されれば、痛みによって照準がずれる。
 腹、顔、胸、足。それぞれから痛みが伝わる。思わず膝をつきかけたが、根性で何とか耐える。今の状況で膝をつければ、間違いなく袋叩きにあうだろう。アザゼルは素早く相手の包囲網から抜け、一人の背中を蹴る。
 思わず地面に伏した男の背中を何度も踏みつけ、顔を蹴る。すぐに仲間達が男を助けようとアザベルを殴りにかかる。
「何をしているんですか?」
 次はどうしてやろうかと、アザゼルが考えていたときだった。あまりにも場違いな声が聞こえてきた。冷静で、喧嘩などしたこともないような声だ。
 その場にいた全員が声の主を確認しようと顔を向ける。
「……ベーやん」
 そこにいたのは、ベルゼブブだった。呆然とするアザゼルと違い、彼を襲っていた男達は顔を青くする。ベルゼブブの存在を知らぬ者は魔界にいない。また、彼がアザゼルと一緒にいることが多いというのも、多くの悪魔が知っていた。
 男達はアザゼルとチラリと見る。その体には、いくつものすり傷や殴られ痕がある。誰がどう見ても、男達がアザゼルをリンチしていたと見るだろう。
「何を、しているのかと聞いているんですよ」
 微笑を浮かべてはいるが、目が笑っていなかった。
「す、すみませんでしたー!」
 このままでは命が危ない。とっさの判断により、男達は一目散に逃げ出した。
「ふむ。骨のない悪魔ですねぇ」
 逃げる悪魔の背を黙って見送る。追ったところで得することはない。
「何でベーやんがこないなとこにおんねん」
「私がどこにいたっていいでしょうが」
 彼もまた、つかの間の自由に心を躍らせて、散歩に出てきていたのだ。アザゼルが男達に囲まれているのを発見したのはただの偶然にすぎない。
「そうか。まあ、助かったわ」
「キミは姿に似合わず戦いには向いていないのだから、ほいほい喧嘩を買うものじゃないと学びなさい」
「わかっとるわ」
 わかっているのならば、先ほどの光景は何なのかとベルゼブブはため息をつく。
 実をいうと、アザゼルを助けたのは始めてではない。いかにもな外見をしているからか、下級悪魔と立ち位置が近いからか、アザゼルはよく喧嘩を売られていた。仲間がいるときならばともかく、一人の時でもほいほい買ってしまうのが彼の悪いところだ。
 放っておいたとしても、最終的にはいつもアザゼルが立っている。しかし、顔や体には無数の傷痕を残すこととなる。それがベルゼブブは何よりも気に喰わないのだ。
「あっちこっちに傷を作って」
「男の勲章やないの」
「はいはい。とりあえず、私の家にきますか? 手当てくらいならしてあげますよ」
「え、ほんま?」
 少し優しくすれば、悪魔らしい尻尾を揺らしてついてくる。昔なじみの友人が相手とはいえ、警戒心がなさ過ぎるのではないだろうか。
 ベルゼブブという男は優しくない。先ほどの男達が作った傷の上から、さらに深く大きな傷をつけてやりたいと思っているくらいには。
「まったく。あなたを虐めていいのは私とアクタベ氏くらいのものなんですからね」
「え、なにそれ怖い」


END