ずっと一緒にいると、見たくないものまで見えてくる。
 恋愛模様が一番に上げられる。
 そう。光太郎はできることならば、現実から目をそらしたいと考えていた。
「さくまさん」
「はい、何ですか?」
 この事務所に女性はただ一人しかいない。それこそがさくまだ。光太郎は仕事の打ち合わせをしている二人をじっと見つめる。
 さくまは何を考えているのかイマイチわからない。考えつくのは金のことを考えているのではないか、という程度のものだ。彼女が誰を好いているかは見当もつかない。そもそも、彼女にそのような感情が備わっているのかも怪しい。
 けれど、彼女を雇っているこの事務所の主のことならば予想がつく。彼はほぼ間違いなくさくまのことを好いていた。
 彼女は全く気がついていないようだが、明らかに扱いが違うのだ。それは男女差、種族差だと言うにはあまりにも差が大きすぎる。
「じゃあ、その仕事は任せるよ」
「はい! 頑張ります!」
 さくまができるギリギリの線を見極めるときの真剣な瞳や、彼女のためを思い助言をする姿は、わかりにくくはあるが好意のある女性へのアプローチだ。
 もしも、話がそれだけですむのならば光太郎は現実から目を背ける必要はなかった。何を言っても彼らは人間同士で、アクタベの年齢は不詳ではあるがさくまとそう変わらないだろう。問題は、この事務所には人間以外の生き物もいるということだ。
「さくー。次は何するん?」
「どうせアザゼルさんの能力は役にたたないんで、還ってもらっても結構ですよ」
「えー。何それ酷い!」
 二人のかけ合いを見守るのは光太郎だけだ。
 アクタベが今にもアザゼルを射殺さんばかりの視線を向けている。もう一人の悪魔であるベルゼブブは特に関心がないようだが、アザゼルとさくまが長時間至近距離にいるとさりげなく邪魔をする。
 アザゼルがさくまのことを好きなのもほぼ確定だろう。さくまにちょっかいを出すたび、アクタベに酷い目にあわされているが、アザゼルはめげない。その苛立ちは光太郎にも向くのだ。彼が現実から目をそらしたい理由の一つはこれだ。
 もう一つの理由も上げておくならば、ベルゼブブのことだ。彼はこの事務所の中では珍しくさくまに恋愛感情を持っていない。ならば、何故アザゼルとさくまの間に割って入るのか。答えは簡単だ。さくまではない方に恋愛感情を抱いているからだ。つまりはアザゼルに。
 魔界では両刀であることが当然なのだろうかとも思った光太郎だが、その真実は未だに聞くことができていない。万が一にでも肯定の言葉が返ってきたとき、彼はグシオンとの距離を置くだろう。
 とにかく、この小さな空間で奇妙な四角関係ができていることは確かだ。さらに言うならば、自分が好意を持っているという自覚を持っている者が一人もいない。
 彼らは全て無意識でやってのけているのだ。それゆえに助言もできなければ、相談もされない。相談されたところで面倒なのだが、この一進一退の事態をどうにかすることくらいはできたのではないだろうか。
「はあ……」
 小さなため息を零したところで、心配してくれるのはグシオンだけだ。しかし、彼に相談したところで解決策がでてくるわけがない。光太郎はいつも何でもないと返すだけだ。
「何や悩みでもあるんか?」
 やってきたのは包帯で全身を包んだアザゼルだ。またアクタベにうるさいとグリモアを投げられたのだろう。本当にうるさいわけではなく、さくまと話している声がわずらわしかっただけなのだろうけど。
「いや……うん」
 流石にお前らのことで悩んでいるんだよ、とは言えない。光太郎は曖昧に頷く。
「大概の悩みなんちゅーのは、一発抜いたら吹き飛ぶで」
 そっと渡されたティッシュの箱を投げつける。休日の真っ昼間からこの悪魔は何を考えているのだろうか。エロスのことしか考えていないのだろうか。
 そんなことよりも、ベルゼブブの視線が痛い。この事務所ではろくに会話もできないのだろうか。さくまと話せばアクタベ、アザゼルと話せばベルゼブブ。両者の視線は痛く、いつかはこの身にもその痛みが刻み込まれるだろう。
 想像するだけでも恐ろしい。光太郎は体を振るわせる。
「おや? どうかしたのですか?」
「うわ! 自分顔真っ青やで! 大丈夫か?」
 ベルゼブブの心配そうな声に、アザゼルも驚きの声を上げる。首を横に振りながら、ベルゼブブの瞳をちらりと見る。いつも通りに戻っていた。彼の言葉は本心からなのだろう。何せ嫉妬している自覚がないのだから。
 早く自立しよう。そんなことを誓った昼下がり。
 誓いをあざ笑うかのように、事態は急変化した。この変化が良いか悪いかと問われると答えがたいものがある。
「さく……。お前ちょっと飲みすぎとちゃうか」
 事務所にあったお酒を飲んださくまが酔っ払った。彼女の酒癖の悪さは周知の事実であり、それゆえに止めもしたのだが彼女は止まらなかった。すでに赤く紅潮した頬は泥酔していることを表している。
「うーるさーい! ちょっとくらいいいじゃないれすかぁ」
「いやいや。もうちょっとって度合い越えてますやん……」
 文句を言うアザゼルが気に入らなかったのか、さくまは彼の顔をしっかりと掴む。何をされるのかわからないアザゼルは目に見えて同様していた。
「うるさいお口は――」
 誰も予想だにしていなかった行動。
「こうですよ」
 唇が重なっているように見えた。
 少し長いじかん重ね、アザゼルの顔から手を離す。アザゼルも驚いたのだろう。いつもならば舌の一つや二つ入れそうなものなのに、呆然とさくまを見るばかりだ。
「あはっはっは! アザゼルさん変なかおー」
 笑ってるのはさくまだけだ。事務所の中は絶対零度の冷たさだ。
「ワシ、さくのことす――」
 何かを言おうとしていたアザゼルの頭にグリモアがめり込む。
 悲痛な叫び声と共に、彼の体は絞りきられた雑巾のようになってしまった。
「さくまさん。今日は泊まっていってもいいから。寝なさい。すぐに」
「ふえ?」
 隣の部屋に誘導されていくさくま。どうにか回復しようと呻いているアザゼルには、ベルゼブブからの鉄槌が下る。
「何で?! 何でベーやんまでワシ虐めるん!」
 アザゼルの心からの叫びをベルゼブブは無視する。
「……わかった!」
 絶対にわかっていないだろう。そしてほぼ確実にその考えはおかしな方向を向いているのだろう。
「ベーやんもさくのこと好きなんやろ!
 そういえば、ワシとさくのこといっつも邪魔してたもんな! ワシらはライバルやな。どっちが先にさくの処女奪えるかしょうぶばっ」
 最後まで言うことなく、アザゼルの首が中を舞う。
「キミは本当に馬鹿ですね。呆れますよ」
 各々が自分の気持ちに気がついたようだ。
 これは一歩前進したということなのだろうけれど、この先に待っている騒動を思うと胃が痛くなる光太郎だった。


END