中学校時代の文集というのは、どの世界でも恐ろしいものだ。アザゼルはあの黒歴史とも呼べるものが表舞台に出ることがなくて良かったと心の底から安堵の息を漏らしていた。
 絶望にとらわれていた人間達もさくまの気転によりどうにか解放された。
「そういえばアザゼル君」
「なんや?」
 事務所の中で雑誌を読みながら会話が続けられる。すでにさくまは帰宅してしまっているが、本日は事務所での居残りとなった。隣の部屋にはアクタベがいるが、たかだか隣の部屋で会話をする程度のことで殺されるとは思わない。もしかすると、そのような事態が起こりうるかもしれないが、今はそうでないと信じたい。
「君の中学の文集なんですがね」
「わー! もうええやないの! ベーやんまでワシを絶望させたいん?!」
 中学校といえば、アザゼルとベルゼブブはまだ同じ学校だった。当然、アザゼルの文章をベルゼブブは見たことがあるし、今も屋敷を探せば出てくるだろう。
 恥ずかしさから顔を赤くしたり、絶望から顔を青くしたりするアザゼルは見ていて面白い。意地の悪い笑みをベルゼブブは浮かべながら、その様子を眺めていた。
「で、そろそろ話の続きをしてもいいかね?」
「やめいっちゅーねん!」
 落ち着いた頃合いを見計らってベルゼブブが言った。
「いやね、私もよくは覚えていないのですけれど」
 プリチーな姿をしているが、目が笑っていないことに気がついた。アザゼルは思わず後ずさる。
 嫌な沈黙の中、ベルゼブブの手が光り、奇妙な音をたてていた。
「君、魔界の王になりたいんですよね?」
 口角だけが上がっている。
 アザゼルは思わず失禁してしまいそうになるが、そのようなことをした場合のベルゼブブを想像し、尿道に力を入れた。
「そ、そんなん昔の話やんかー。心の狭いこと言うたら嫌やでー」
 軽く流してしまおうと、震える声でどうにか軽いノリを作り出す。
 意外なことに、ベルゼブブは攻撃のための力を止め、小さく頷いた。
「わかってますよ。
 第一、君なんかが魔界の王になるなど、魔界が三回転半して天界と入れ替わったって無理な話ですから」
 アザゼル自身、自分にそのような能力がないことは自覚している。だが、明らかに人を見下した笑いを浮かべられては、どうにも収まりがつかない。
 手の平に己の武器である性槍セクスカリバーを喚び出す。
「それは試してみなわからんなあ!」
 ベルゼブブに向かって一直線にそれを振り下ろす。槍先がベルゼブブを貫く前に、アザゼルの腕が宙を舞い、首が飛んだ。
「やっぱりねー」
 予想通りの結末とはいえ、流れる涙は止まらない。
 とりあえず、アザゼルは自分の腕と首を回収してからベルゼブブの隣におとなしく座る。
「やっぱり、ベーやんは強いなぁ」
 自分とは違うのだと改めて思う。
 間違っても自分の職能を忌むことはないし、弱いものだと思うこともない。だが、こうして見ると家柄や職能の差というものが明確になってしまう気がしてならない。
「当然でしょう」
 偉そうに胸を張るその姿に、アザゼルは再びエクスカリバーで挑んでやろうかとも思ったが、先ほど切られたばかりなのでおとなしくしていることにした。
「そうだアザゼル君」
「ん?」
「魔界の王妃にならばしてあげてもいいですよ」
「おー。王妃か、それもええなー」
 条件反射のように答えてから、自分の発した言葉をよく噛みしめる。
 王という言葉に妃という言葉をつけて王妃だ。その言葉の意味は見ればわかる。
「……いやいやいやいや。
 ベーやんどないしたん? 熱でもあるんか? 糞の食いすぎか?」
 額に手を当てると、触れるなと言わんばかりに切り落とされる。
「またかい! ワシ、こんな役ばっかりやー」
 落ちた腕を拾いあげてベルゼブブに文句を言う。
「私の高尚な趣味にケチをつけるからですよ」
「いや、この際それはどーでもええわ」
 腕を切られているのだから、どうでもいいことはない。しかし、この程度ならば日常茶飯事ともいえるので、それ以上のことを追及するためにも腕とベルゼブブの趣味に関する話題は切り捨てた。
「ベーやん、王妃って意味わかっとる?」
「少なくとも君などよりは教養があるつもりなのだがねぇ」
 真剣な目立った。思わず指を突っ込んでやりたくなるくらいには真剣だった。
「教養はあるか知らんけど、男女関係についてはワシのほうがよっぽど知識あるわ。
 なあ、結婚やら恋人やらは異性同士でするんやで。ワシもベーやんも男やろ? ほんま自分、どうしたん」
 プリチーな姿であっても、本来の姿であっても、片方が女に見えるなどということはまったくない。どちらも立派な成人男子だ。
「アザゼル君は淫奔を司っているわりに、性に関する視野が狭いんですね」
 ベルゼブブは今時、同性同士でも恋人になったり結婚したりすることはおかしいことではないと述べた。むろん、アザゼルもその知識は持っているが、持っているということと、受け入れることができるというのは別の話だ。
 セクハラするのにも、エロスなことをするにも、女の柔らかい体の方がいいに決まっている。
「……というか、私はアザゼル君が好きなんですよ」
 話の流れから、そういうことなのだろうと察してはいた。だが、はっきりと告げられるとまた違った感がある。
「無理」
「死にたいのですか?」
「それって脅しやん! 愛がないわ、愛が!」
「普段、人間の女の子にあんな非道なことをしておいて、よく言えますね」
「それとこれとは話が違うわ!」
 じりじりと間を縮めてくるベルゼブブに、アザゼルは恐怖しか感じない。
 ヤられるのだろうか。その前にヤるべきなのだろうか。どちらにせよ、力で勝てるとは思えない。
「ギャー!」
 ベルゼブブの腕に掴まれ、アザゼルは悲鳴を上げた。
 だが、特に何かされるような様子はない。ただ、ギュッと抱きしめられている。人間界での姿なので、抱きしめているというよりは、くっついているといった方が正しいような構図ではあるが。
「……ベーやん?」
「何もしませんよ。少なくとも今は、ね」
 含みのある言い方に背筋が凍ったが、また腕を切られては困るのでアザゼルもされるがままになっていた。


END