一度や二度セックスをした程度ならばただのセフレだ。アザゼルは常日ごろから豪語している。むろん、似たような思考回路を持っている男友達に限る。こんなことを女に直接言えば面倒な小言が待っているのは間違いないだろう。
しかし、今現在アザゼルにはセフレと呼べる間柄の女はいない。
アクタベやさくまに頻繁に喚び出されるため、女と遊ぶ暇がないというのは言い訳だ。本当の理由は誰にも話していないし、話すつもりもなかった。
「……フーゾクにでも行こか」
自室で寝転がっていたアザゼルは呟き、立ち上がる。手ごろな女がいないというのは、こういったときに不便だ。わざわざ金を払わねばならないのもネックの一つだ。もっとも、その分楽しませてくれるし、後腐れがないのも事実ではある。
アザゼルが面倒だと思いながらも、セフレを作らない理由は簡単だ。彼には恋人と言うことができる関係の悪魔がいるのだ。
不本意なことに、それは彼女ではなく彼氏だった。
日ごろから男女の性について語っている自分が男と付き合っているなど、口が裂けても言えない。プライド的にも世間体的にもそれは変わらない。しかも、その相手がかの有名なベルゼブブ家の坊ちゃんなどと言えるはずがない。
彼がセフレを作らないで欲しいとアザゼルに頼んだのだ。断れるはずがなかった。アザゼルは当時のことを思い出すだけでも背筋が凍るような気がした。
家でセフレの女とセックスをしていたときのことだ。唐突に現れたベルゼブブ。悲鳴を上げる女。血の気が引く自分。その後は女が追い出されアザゼルは酷い責めを受けた。心身ともに恐怖を植えつけられたアザゼルが、約束を違えるはずもない。
けれど、淫奔としての性欲はどうにもできない。そこで、風俗だけは許してもらったのだ。
「今日はどこにしよかなっと」
ホテル街を通りながらいくつかの店を思い浮かべる。顔を選ぶか中身を選ぶか。尻尾をゆらゆらと揺らす。
「……ん?」
遠くの方に見えた姿に、アザゼルは目を細めた。
「ベーやん?」
貴族であることを主張しているスーツや王冠は、間違いなく彼の者だ。ベルゼブブは性欲が強いとは言いがたく、こんなところに来ているのは珍しい。それも、隣には同じく貴族だと思われる女までいた。
女ときているということは、そういうことをするということなのだろう。それは何もおかしいことではない。
「あんのクソ蝿が!」
アザゼルは怒りのあまり眉間にしわを寄せる。
しかし、これは恋人の浮気現場を目撃したための怒りではない。自分は女と遊べないというのに、ベルゼブブだけが楽しんでいるという事実が許せなかったのだ。アザゼルは自分がセフレ扱いされていたとしても、まったく構わないのだ。ただ、それならばそれで、自分にも自由を与えるべきというものだろう。
ポケットから携帯を取り出す。アドレス帳を開けば、旧友から行きずりの女まで、様々な悪魔のアドレスが登録されている。
どれにしようかな、と決まりきった言葉を呟きながら一人の女を選び出す。アザゼルの記憶が正しければ、男友達経由で知りあった尻軽女だったはずだ。顔はそこそこ。遊ぶには丁度いい相手だろう。
鼻歌交じりに通話ボタンを押すと、すぐに繋がった。
「あーワシワシ。え、アザゼルさんやーん。お久しぶりー」
軽い挨拶をして、会う約束を取り付ける。場所はこのホテル街。相手も何をするのか承知の上でくるだろう。
仕返しのつもりと言うよりは、単純に無料で楽しめる遊びを自分もしたかっただけだ。だから、アザゼルはこの数時間後、何とも言いがたい空気の中に放りこまれるなどとは思ってもいなかった。
「アザゼル君?」
「……アレー。ベーやん?」
お互い隣には女を連れて、ホテルの玄関で鉢合わせてしまった。
そういえば、ベルゼブブがどのホテルに入ったかまでは確認していなかったと、アザゼルは自分の迂闊さに舌打ちをする。だが、はたと思い出す。アザゼルは女を連れているが、それはベルゼブブも同じだ。こちらだけが一方的に責められる言われはないはずだ。
むしろ、彼だけが美味しい思いをしていたことを責めることだってできる。
「ベーやん! 何しとんね――痛っ!」
「キミは何をしているんですか」
アザゼルは台詞を最後まで言うことすら叶わず、ベルゼブブからの平手打ちを喰らった。何をするのかと彼の顔を見れば、目どころか口も笑っていない。顔、手、雰囲気。どれを取っても怒っていないところなどありはしなかった。
死ぬ。一瞬で悟る。
「ねー。そこのお嬢さん、アタシと一緒に遊ばない?」
空気を読んだのか、アザゼルを生贄として差し出すことで身の安全を計ったのか、女がベルゼブブの彼女に声をかけた。おそらくは後者の思惑だろう。
「え……。で、でも……」
「……行ってらっしゃい。私は彼と少し話しがあるので」
ベルゼブブに背中を押され、女は戸惑いながらもアザゼルの彼女についていった。残されたのは男二人。
「さて」
「な、なあ。せめて外に出ぇへん?」
ホテルの玄関で男が二人並んでいるなど、ゾッとしない光景だ。
ベルゼブブも世間体を考えたのか、それを了承して外に出る。二人は沈黙したまま、ホテル街から出て人気のない場所まで行く。ここへ来るときは揺れていたアザゼルの尻尾も、今では悲しげにうなだれている。
「言い訳があるのなら聞いてあげますよ?」
アザゼルを見据えて言う。
「ちょっと待って! 何かワシが悪いみたいな風になってるけど、ベーやんかてやましいところあるやろ!」
このままベルゼブブのペースに巻き込まれるのは不味い。とっさの判断で怒声を上げる。返ってきたのは言葉ではなく、じとっとした人を見下したような瞳だけだ。その目に自分の姿が映っているのを見ると、アザゼルは思わず後ずさってしまう。
悪いことをしたなどとは欠片も思っていないが、ここは適当に謝ってしまったほうが得策なのではないだろうか。
「ワ、ワシには他の女の子と遊ぶなちゅーといて、自分は可愛らしい女の子とイチャイチャするやなんて許されへんで!」
思いきって言ってしまう。
今言わなければ、一生女の子と遊べないだろうからだ。これを機に別れ話に持っていっても何ら問題はなかった。アザゼルとしては、例え恋人という関係ではなくなったとしても、ベルゼブブは大切な友達であるし、彼と別れることができれば自由に遊ぶことができるのだ。
「なるほど。言いたいことはそれだけですか?」
アザゼルは、最後に一つだけ、と言った。
「さっきの女の子のメルアド――痛! 何すんの!」
「まったく。馬鹿か貴様は。次にふざけたらその首を引きちぎるぞ」
飛ばされた片腕を拾い上げながらアザゼルは尻尾を下げる。ベルゼブブはこのようなことに関しては嘘をつかない。やると言ったならば本当にやるのだろう。学習能力の低いアザゼルでも、二度とすまいと思った。
「……何か誤解しているようですが、アレは仕事です」
「仕事ぉ? 冗談言うたらあきまへんで。あの女の子の顔。雰囲気。そして繋がっとる糸! アザゼルさんにはぜーんぶお見通しでっせ」
まくし立てるように言うと、ベルゼブブの瞳が目に映った。アザゼルは自分の口をそっと抑え、ベルゼブブの言葉を促す。
「私の家は由緒正しい貴族です。ですから、私の倒錯した趣向で家を途絶えさせるわけにもいかないのですよ」
この場合、倒錯した趣向というのは、男が好きだということなのだろう。けっして、彼がいつも食しているものに関してではない。
「あの娘はそこそこの血筋の娘でしてね。ま、孕むかは私の知ったこっちゃないんですが」
「ほんま悪魔やなー」
淫奔の悪魔であるアザゼルでも、避妊に対する感覚はしっかりしている。子供ができてしまえば、知らないではすまされないのだ。
「別に娘のほうの血筋は何だっていいんですよね。下等三流悪魔でも」
不穏な空気を感じ取ったアザゼルだが、逃げ出すことができない。背を向けたら最後、死より酷い目にあう想像しかできない。
「そういえば、アザゼル君はホルモンバランスも操れるんでしたっけ?」
「え? ああ、せやで」
思ったよりも穏やかなベルゼブブの声に驚く。まるで世間話をしているようではないか。
「おっさんを女性にしてしまったとか」
「おー。アレは傑作やったな」
「悪魔の能力は自身にも使えると、知っていますか」
「……知っとるよ?」
「キミが女性になれば、すべて丸く収まるような気がしませんか?」
「せーへんよ」
「十月十日。子供が生まれるまででいいのですが」
「絶対に、お断り、や!」
死より恐ろしいだとか言っている場合ではない。すぐに逃げ出さなければ。アザゼルは翼を広げて宙へ逃げる。
彼から逃げ切れるなどとは思っていない。それでも、男としてのプライドをへし折られるよりはマシなはずだ。
こうして、アザゼルは三日三晩ベルゼブブを追い駆けっこした末に、さくまの喚び出しを受けるのであった。
END