マサルがDATSにてチームを組まされたのは、入隊して間もないときだった。無茶をしやすく、周囲の損壊を考慮しないマサルに対し、お目付け役がつけられたのは当然のことともいえる。時期よく帰国して来たトーマがその役を課せられた理由には、彼の実力が確かであったことと、歳が近かったから、ということがあげられる。
かくして、マサルは任務の殆どをチームで動いていた。たまたま単独行動を取っていたときに戦闘が行われることや、勝手に突っ走ってしまうこともあったが、それでも傍に仲間の存在がある方が圧倒的に多い。
単純な数の上でも仲間がいれば、戦局が有利になる。また、漢としての自分を誇りに思っているマサルは、近くに仲間がいる方が強い力を発揮する。それは、守らなければならない、という思いの強さだけではない。仲間の前でみっともなく膝をつくことはできない、という汗臭いながらも立派な信条によるものも大きい。
「……クソっ」
それ故に、と言ってしまえば、マサルが弱いように聞こえてしまうかもしれない。だが、事実として、一人で戦うハメになったマサルは苦戦を強いられてしまった。相性が悪かったというのもある。直情的なマサルではどうにもならない相手がいることも確かだ。今までにもそのような敵はいたのだが、隣にいたトーマによって打開策が提示されてきていた。
まどろっこしいやり方に文句をつけつつも、彼の助言に従いデジモンを倒したことも少なくはない。
「兄貴! 大丈夫?」
ライズグレイモンの巨体からアグモンへと戻った彼がとてとてとマサルに近づく。彼らは苦戦したものの、どうにか相手のデジモンをデジタマに戻すことに成功したのだ。その代償として、現在マサルは地に伏している。
「お、う……」
意識はある。しかし、視界が歪み、まともに立ち上がることさえできずにいた。呼吸をする度に体が悲鳴をあげる。どこか骨が折れてしまっているのかもしれない、とマサルはぼんやりとした頭で考えていた。
耳元でアグモンが騒いでいるのも聞こえていた。子分に心配されるなど、兄貴の名折れだ。すぐに立ち上がり、元気な姿を見せてやらねばと思う。しかし、行動に移すのは至難のわざだ。
何せ、デジモンの攻撃をまともに受けてしまった。マサルがデジモンの攻撃を受けることは珍しくないのだが、今回は完全なる不意打ちだったのだ。おかげで受身をとることもできず、ダメージを一点に喰らってしまった。体全体で受け止めていたのならば、まだダメージも少なかっただろうに。
アグモンを進化させ、デジモンがデジタマに還るまでを見守っていられたことでさえ、常人ならば難しいことだった。この場にトーマがいれば、間違いなく計算では計れない男だと改めてマサルを称したに違いない。
「兄貴! しっかりしてよ!」
徐々に閉じていくマサルの視界に、アグモンの情けない顔が映った。目からは涙を流し、鼻からは鼻水が垂れている。
きたねぇ、と笑ってやることすらできなかった。手をあげ、頭を撫でてやることもできない。マサルは遠ざかる意識の中で、自分の無力さに腹がたった。父が家を出てから何度も思った気持ちが再び胸で燃え盛る。
強くなりたい。誰よりも、何よりも。
そうでなければ、何も守れやしないのだ。
そこで視界は完全に閉ざされ、次にマサルが見たのは、見知らぬ天井だった。
「……ここは?」
場所を把握するべく、首を左右に動かす。真っ白なシーツがかけられたベッドが目に入った。マサルの他には誰もおらず、今いる場所どころか、今が何時なのかさえ聞けやしない。
しかたがないので、横たわっていた体を起こす。
「いてっ」
上半身を持ち上げたところで、体に鋭い痛みが走った。ここ最近、体験していたなかった痛みだ。ずっと昔、まだ番長とさえ名乗っていなかった時代、何度か経験したことがある。遊びの中で得たこともあったし、年上との喧嘩の中で得たこともあった。
マサルはため息をつく。
「母さんに心配かけちまうな……」
これは骨折の痛みだ。
幸い、腕や足は自由であったので、日常生活の手助けが必要なものではない。しかし、家で自分の帰りを待っている母や妹は怪我に心を痛めることだろう。心が広く、大抵のことは笑って許してくれる二人ではあるが、怪我にはうるさかった。マサルとしても、心配されるのは嫌ではなかったし、気持ちがわからないわけでもないので、大人しく説教と悲しみの表情を受けるしかない。
「――そうだ、オレ」
ここでようやくマサルは現状を思い出した。
今よりは激しい痛みと、暗くなっていく視界、遠ざかる意識。気を失ってしまったのだろう。彼の記憶は、アグモンの涙で終わっている。つまり、任務を完了したところだ。
「じゃあ、ここはDATSか?」
入隊してからしばらく経っているが、DATSの建物は広く、全体を把握しているとは言い難い。特に、マサルが今いるような場所は、色合いや匂いからして、病人や怪我人が訪れる場所だ。健康第一、丈夫さ満点のマサルが足を踏み入れるような所ではない。
場所の見当が大よそつけば、新たに気になる点が浮上してくる。
「って、アグモンは? デジタマは? つか、オレどうやってここに?」
混乱のままに頭を掻き毟り、痛みを無視して床に足をつける。
骨がわずかに悲鳴をあげたが、この程度で動けなくなるような男ではなかった。小さく呻きながらも立ち上がり、部屋にただ一つ取り付けられている扉へと歩を進める。今いる場所から抜け出せば、司令室までいけるかもしれない。そうすれば、疑問に対する回答も得られるはずだ。
マサルの手が扉にかかる。その時だった。自動ドアには見えなかった扉が勝手に開く。
「……あ」
驚きの後、マサルは逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
扉が開いたのは、実は自動ドアだった、などというオチではなく、マサルよりも先にトーマが外側から扉を開けただけに過ぎなかった。それだけならば、マサルも彼を歓迎しただろう。トーマに尋ねれば大抵の答えは返ってくると経験から学んでいる。
だが、そうはできなかった。
マサルが驚いたように、トーマも始めは驚いた顔をしていた。開けた扉の真正面に誰かが立っていれば、そうなって当然だ。そして、呆けているマサルの顔を見て、トーマは表情を修羅のソレへと変化させたのだ。
直感に頼らずともわかる。トーマは怒っている。それも、今までにないほど。地獄の底から這い出てきた鬼なのではないかと疑ってしまうほどに。
「そ、そんじゃあ、な!」
トーマの脇をすり抜け、逃走を計る。
「ははは。何を言っているんだいマサル。
キミ、自分の体のこともわからないなんて、まさか言わないよな?」
口調は穏やかだが、目は全く笑っていない。彼はマサルの肩を掴み、逃亡を阻止した。その掴みかたは怪我人に対するものではなかった。握力だけで骨が砕けてしまうのではないかと思ってしまうほどの力だ。今もなおズキズキ痛んでいる体よりも、トーマに掴まれている肩の方がよほど痛いというのもおかしな話だ。
結局、逃げ出すことに失敗したマサルは、無様な悲鳴をあげそうになるのを押し留めるのが精一杯だった。
「まったく。馬鹿だ、馬鹿だとは思っていたが、ここまでとはね」
半ば引きずるようにしてマサルをベッドに押し込んだトーマは、近くの椅子に腰かけた。
「しかたねーだろ。誰もいなかったんだから」
「勝手に出歩こうとしたのもそうだが、それ以前の話だ」
呆れたようにため息を吐かれてしまう。
マサルとしては、心当たりがありすぎて言い訳もできないのが現状だ。押し黙ることしかできず、トーマが口を開かなければ気まずい沈黙が空間を押しつぶそうと迫ってくる。
どれほどの時間が経っただろうか。針のむしろに立たされていたマサルとしては長い時間だったが、現実ではさほど時間は経っていないかもしれない。そうなってようやく、トーマが口を開いてくれた。
「怪我のことだよ」
「あぁ。これか」
マサルは自分の体に触れる。
痛みはあるが、死ぬようなものではない。テレビで見るような機械が体に取り付けられていないところを見れば、医師からの診断も骨折くらいのものだったのだろうことが予想できた。
「悪い」
素直に謝ったのは、心配をかけたことがわかっているからだ。
一見、冷徹そうに見えるトーマだが、心に熱いモノを秘めているとマサルは知っている。己の母や妹と同じく情に厚い淑乃もきっと心配してくれただろう。喧嘩に明け暮れていたマサルだからこそ、自分が怪我をすることで心を痛める人がいるのを知っている。
理解していながらも喧嘩をやめないのは、彼の思考が、危険に手を伸ばさない、という方向には向いておらず、危険にも立ち向かえるほどの強さを手に入れる、という方向にしか向いていないことが原因だ。
「ボクだけに謝ってどうする」
「淑乃にも謝らねーとな」
苦笑いを浮かべて言う。
きっと彼女も今ごろはカンカンになっていることだろう。一発くらい拳骨をくらっても文句は言えない。
「それも勿論だが、キミには真っ先に謝らないといけないヒトがいるだろ」
トーマがもったいぶったことを言うのは今に始まったことではない。同時に、マサルが彼の言いたいことを正確に掬い取らないことも、今に始まったことではなかった。
マサルは首を傾げ、頭の中で知っている者の顔をあげていく。母と妹にも謝らなければならないだろうが、彼女達には家に帰ってからでないと謝ることができない。先ほど逃亡を阻止したばかりのトーマが彼女達への謝罪を真っ先に、と言うとは考えられない。
必死になって考えているマサルに、トーマは軽くデコピンをかました。
「って! 何すんだよ!」
「あまりにも彼が可哀相でね」
「……彼?」
再び首を傾げる。
「彼」というのだから、相手は男なのだろう。謝らねばならないような男に心当たりはない。
「酷く泣いていたよ。
キミを迎えに行くことになったのも、彼が連絡してくれたからだ。
よくよく感謝と謝罪をすることだ」
「それって……」
ここまで言われてわからぬほど、マサルは愚鈍ではない。
トーマが「ヒト」と形容したため、すっかり候補から省いてしまっていたが、言われてみれば確かに謝らなければならないだろう。あれだけ泣かせてしまったのだから。
「で、アイツはどこにいるんだよ」
「もうすぐ来るだろうさ」
聞けば、マサルの容態を心配しているアグモンを押しのけてやってきたらしい。すぐに戻る、と言って出てきたので、時間が経っても戻ってこなければ心配して見にくるに違いない、というのがトーマの意見だ。
「眠ってるキミを見るとまた大泣きするだろうからね。
無理に起こしてしまっては体にも悪い」
泣いているアグモンというのは簡単に想像できてしまう。マサルは笑みを浮かべながら胸が痛むのを感じた。彼と同じく漢という信念を持っているアグモンが涙を流すというのは、そうあることではない。泣かせてしまったのは、信条を揺るがしてしまうほど心配をかけた、ということだ。
「まぁ、これに懲りたら無茶は止めるんだね。
キミが到底人間とは思えないような男でも、デジモンと生身で戦えばまたこうなっても不思議ではないのだから」
マサルは無茶を言うな、と肩をすくめる。
突っ走るのは性分だ。敵に背を向けないというのも同じく。マサルがマサルであるかぎり、これからもデジモンに生身で対抗していくことを止めはしない。誰に言われても体が勝手に動いてしまうのだ。
だから、怪我をしなくても勝てるように、もっともっと強くならねばと思う。
「トーマ、遅いよー」
扉が開く。いつもはのん気なだけの声なのに、今日は少し不安げだ。
トーマはマサルに目配せをした。その意味を正確に受け取ったマサルは頷く。
「アグモン」
優しく、安心させてやれるように名を呼ぶ。
「――兄貴!」
マサルの声と、上半身を起こしている姿に、アグモンの表情がぱぁっと明るくなる。
「もう起きても大丈夫なのか?」
「勿論だ! もう喧嘩だってできるぞ!」
「馬鹿なことを言うな!
しばらく任務は休みだ!」
「えー」
「ダメだよ兄貴。ちゃんと治さなきゃ!」
不満に唇を尖らせれば、普段ならマサルに同調してくれるアグモンにまで叱られた。
喧嘩好きなアグモンといえども、目の前で兄貴が気を失った光景を見たのがトラウマとなったらしい。デジモンならばタマゴに戻るだけで済むが、人間は違うということをよく知っているのだ。
あのまま目を開けなかったらどうしよう、とマサルが目覚めるまでずっと考えていた。
考えれば考えるほど、不安になって、また泣きそうになるのに、考えずにはいられなかったのだ。
「……アグモン、悪かったな。
心配かけた」
「ほ、本当だよ!
オレ、オレ……心配したんだからな!」
気絶するまえ、撫でてやれなかった分までアグモンを撫でてやる。
アグモンは涙を流し、まだわずかに痛むマサルの胸に飛びこんだ。咄嗟にトーマが止めようと腰をあげたが、マサグの視線がそれを止めた。心配をかけてしまったのだから、これくらいは受けなければならない。そうでなければ、漢ではない。
声にはなっていなかったのに、しっかりマサルの音声が聞こえてきたような気がした。
「ボクもずいぶんと毒されたものだ」
聞こえぬように小さく呟く。
医学を学んだ者としては、止めなければと思う。しかし、彼らの気持ちを考えれば、それはできないことだった。
「もうこんなことはねぇようにする。
じゃねーと、せっかくお前みたいに面白い子分がいるのに、もったいねぇからな」
マサルとアグモンは、親分と子分の間柄だ。しかし、彼らは対等なパートナーでもある。
共に戦い、共に生きる。そのためにも、マサルは弱いままであってはならなかった。周囲がなんと言おうとも、デジモンとある程度やりあえる肉体が必要で、そうあって始めて、マサルは胸を張ってアグモンの兄貴になれるのだ。
「うん!」
本能的にアグモンもそのことを理解している。
だから、笑みを浮かべ、兄貴の言葉を肯定した。
END