客観的に見て、自分が多少変わった教師であることを鈴木は理解していた。
 むしろ、この町に住み、あの人達と触れ合っている時点で、普通などという言葉からは大きく外れてしまっている。それは鈴木だけではなく、彼の教え子達もそうであり、その親達も転校を促さないところや、文句をつけてこないところを見ると、普通から外れている。
 そんな鈴木ではあるが、教師として気になっていることがあった。
「ねえ、コタロー君」
 週末、日曜日。晴れて妻となっためぐみとガンダム観賞に勤しむには丁度いい日になるはずだった。仮に彼女が仕事だったのしても、小学校の教師というものは休日にでもしておかなければならないことが幾つもある。
 それらすべてを放置して、鈴木は普通の人ならば近づかないであろうゴミ場にいた。カラスの声を耳にしながら目の前にいる少年に声をかける。
「どうしたの?」
 黒猫の姿を模したスーツに身を包んだ少年は、あどけない顔をしている。手にはゴミにしか見えない電子レンジ。おそらく、分解して使える部品を取り出すつもりなのだろう。ここに住む天才科学者に勝る彼には朝飯前のことのはずだ。
 次はどのようなお騒がせロボットを作るのだろうか。と、思わないでもないが、今日はそれを止めにきたわけではない。
 鈴木はコタローに近づき、膝を地面につける。視線を合わせると、彼はきょとんとした顔を見せた。
「学校に来る気はないの?」
「……ないです」
 問いかけをした途端、彼は不満気に唇を尖らせてそっぽを向いてしまう。
 こうなることは想定の範囲内だ。今までにも何度かある光景だった。
 本来ならば、コタローは義務教育を受けている年齢だ。母親が家を出て行き、父親が監獄という名のシェルターに入っているため、コタローを学校に行けという者がいない。同年代では到底ついていけないほど頭が良かったのも、彼が学校へ行こうとしない理由の一つだ。コタローの周りにいる大人といえば、一緒に住んでいる剛や、こうして時々様子を見にくる鈴木くらいのもの。
 自身が一般家庭のような生活を送っていないことを自覚している剛は、コタローに学校へ行けとは言わない。同じ科学者として、学校へ行くくらいならば、共に研究をする方が有意義だと考えている可能性も大いにありえる。
「学校は楽しいよ」
「ボクは嫌いなんです」
 頑なに通学を拒み、立ち去ろうとするコタローの後を追う。
 コタローがまだ素直に言うことを聞く人物は、ここにいないクロやミーになるだろう。しかし、彼らはサイボーグとはいえ猫だ。人間の決まりに縛られない彼らは、コタローが行きたくないというならばそれをよしとする。学校へ行かずとも、何も困ることがないことを彼らはよく知っているのだ。
 普通に暮らす気のないコタローが、今さら学校へ通って何を学ぶのだろう。鈴木もそう考えなかったわけではない。
「チエコやゴローもいるぞ?」
「学校に行かなくても会えるじゃないですか」
 あの手この手でコタローの承諾を得ようとする。
 本来、育ててくれる親がいないコタローはしかるべき施設にいるべきで、そこから学校へ通うべきなのだろう。だが、普通があまり通用しないこの町の、あの小学校ならば、ゴミ山の中で暮らしているコタローでも通うことができるはずだ。
 コタローの細い手を掴み、鈴木は再び彼と視線を合わせる。
「もう! しつこいってば!」
 以前、コタローはとんでもないことをしでかそうとしていたと、クロから聞いたことがあった。詳しいことは聞かなかったが、アメリカの空母にクロがいる映像がテレビに流れていたことと関係あるのではないかと睨んでいる。
 どこをどう取っても、普通の子供とコタローは違う。
 子供は違うことに敏感だ。それに関して、何か嫌な思い出があるのかもしれない。
「大丈夫だよ。チエコでもちゃーんと通えてるんだからさ」
 様々な可能性を考えた。だが、どのような過去があったとしても、鈴木は自分の受け持つクラスの子供達ならば大丈夫だと確信している。彼らは、クロと暴れ回ることができる子供達だ。コタローを受け入れるのもすぐだろう。
「何なんだよ! 放っておいてよ!」
 鈴木の手を振り払おうと、コタローが腕を振る。しかし、元々非力なコタローが大人である鈴木の拘束から逃れるはずもない。
「……今さら、何しに行くんだよ」
 顔をしかめて鈴木への問いかけを口にする。
 彼の周りの者達も、きっと同じことを尋ねるだろう。だから、鈴木はその答えをちゃんと用意していた。その答えを得ることができたからこそ、今日は強気にコタローを追い詰めているのだ。
「キミの世界は狭すぎる」
 いつもの鈴木とは違った。
 自信のある、きっぱりとした口調に、コタローの動きが止まる。
「チエコやゴローと学校に行かなくても会える。それは彼らがキミの友達で、ここへ来てくれるからだ」
 ならば、友人でも何でもない人とはどうだ。こんなゴミ山へ来ることのない人々とはどうだ。
 コタローは誰とも会わなくて済んでしまう。気の置けない、自分を知ってくれている人や猫達とだけ接することを選ぶことができてしまう。
「世界は広いんだ。色々な人がいて、色々な場所がある。
 それを知ってみて欲しいんだ」
 クロ達と暴れていれば、世界の広さや人の多さは十分に体感できるかもしれない。多くのトラブルは、様々な場所の様々な人を呼び寄せることある。しかし、それでは世界を認識しているだけになってしまう。本当の意味で世界の広さを知るには、もっと自分の意思で、自分の体を持ってぶつかっていくべきだ。
 狭い世界で満足するには早すぎる。
 真剣な目をしている鈴木に見られ、コタローは掴まれていない方の拳を握る。
 初恋を奪って行った彼女がいる世界でのことを思い出した。あのファンタジーな世界を回ってみたいと言った。
「ボクは……狭い世界で生きているつもりはない。です」
 最後、歯切れが悪くなってしまったのはしかたがない。まだ、この世界の全てを知っているわけではないと、むこうの世界で言われてしまっているのだから。
 それでも、クロと共にいれば、いつか世界のすべてを知ることができるような気がしていた。コタローにとって、世界とは探しに行くものではなく、迎え入れるものになってしまっていた。今まで気づきもしなかったことに、気づかされてしまった。
「時々でもいいからさ、来てみない?」
 誘われて、それでも戸惑いがコタローの心の中にはある。
 クソゲーと称したこの世界の中で、もっともクソだと感じたシステムは学校だ。馬鹿ばかりが集まり、経験値が溜まるわけでもないことをしている。ずっとそう考えていた。今のコタローはわかっている。学校という場所で、目に見えない経験値は溜まっている。それを自分が必要としているかどうかはわからない。
「大丈夫だよ」
 優しい笑みを浮かべて、鈴木が言う。
 コタローは怖かった。自分を違うものとして見る周りが怖かった。
 クロ達といえば、皆がバラバラで、どれだけ自分が違っていても、誰もコタローを変なものとして見なかった。それが心地よかった。
「……やっぱり、行かない」
「そっか」
 悩み抜いた末の答えに、鈴木はそっとコタローを掴んでいた手を離した。
「でも、いつでも来ていいんだよ」
「うん」
 この世界をクソゲーと言い切るにはまだ早い。クロの声が脳裏を過ぎる。
「じゃあ、今日は帰るよ」
 コタローは立ち去る鈴木の背中を見ながら、そっと手を胸にあてた。
 感動のフィナーレを見るための呪文をコタローは知っている。どんな困難も蹴飛ばしてくれる最強の召喚呪文だ。
「学校、か……」
 いつでもその呪文を唱えられる。と、いうことが、コタローのお守り代わりだ。
 目を閉じ、黒猫の姿を思い浮かべる。
 それだけで、胸が温かくなったような気さえする。
 一歩を踏み出す日は近い。

END