変わる。と、決めてから、ルークは知識を求めるようになった。一人で突っ走ってしまうこともあったが、ジェイドを始めとした仲間に質問をするようになった。それは些細な日常のことであったり、専門的なことまで様々であった。
素直に疑問を問いかけてくるルークに、周りも口を開き答えを告げる。アレは何か。ソレはどうなのか。そんなことを一つ一つ教えていった。第三者から見てみれば、微笑ましい家族のような風景に見えただろう。
新たな知識を得るたびに、ルークはお礼の言葉を告げて笑顔を浮かべた。それはまるで、ようやく自分の意思で行動できるようになった幼児のようだ。
ルークが生きた年数をそのまま年齢として見るのであれば、彼は七歳児だ。生まれたころから年以上の振る舞いを求められ、潰された幼少期を取り戻そうとしているのかもしれない。
「彼、本当に変わったわ」
街で見た不思議な物についてジェイドに質問をしているルークをティアは少し離れたところで見ていた。その目は穏やかに細められていた。彼女から二人分ほど離れたところに立っていたガイは、その言葉を聞いて首を横に振った。
「いや、あれは本来、ルークがしたかったことだ」
「……ガイ?」
いつものような明るい声ではない沈んだ声に、ティアが目を向けた。彼はどこか罪悪感を抱いているような表情を浮かべている。空と同じ色をしているはずの瞳は、とてもではないが同じとは思えないほど暗く、重い色をしていた。
ルークにその瞳を向けながら、ガイは重い声を紡ぐ。
「屋敷では、誰もルークの質問に答えなかったんだよ。
空の青さに疑問を抱く前に、字を覚えろ。マナーを覚えろ。外の世界に夢を見る必要はない。早く元に戻れ。
……馬鹿だよな。ルークには「元」なんてなかったのに」
ルークの無知はそうやって作られたのだとガイは懺悔をするかのように言葉を零していく。
解決することのない疑問を抱き続けられるほど、人は強くも探求的でもない。それが生まれたばかりの幼児ならばなおさらだ。徐々に、しかし着実に、ルークは疑問を抱く行為と想像する行為を止めていった。
屋敷の外に出てからは、「元」とされるアッシュを知らぬ者達と関わりあうことができたが、当時の仲間達はルークの疑問に優しいとはいえなかった。無知で横暴だったルークに、苛立ちを覚えないというほうが無茶ではあった。しかし、物事を秘し、無知を蔑む態度を取った彼らを見て、ルークは屋敷の者達を思い出しただろう。
あの頃のルークの無知と独りよがりを加速させた原因は、ガイやティア達にもあった。
「オレも、ルークの言葉に耳をかさない時期があった。まだ復讐ばかり考えていた頃さ」
そう言って暗い笑みを浮かべた。
ルークがガイの心の闇を払うまでは、ガイも他の使用人達と同じように、いや、それ以上に、ルークを疎んでいた。
涙を流す弱い存在が、何も覚えていない存在が、憎くてしかたがなかった時期だ。
「最近思うよ。もしも、オレだけでもルークの疑問と向き合うことができていれば、もっとマシな状況になったんじゃないかって」
「ガイ。起きてしまったことはしかたがないわ」
励ましの言葉と共に、手を肩に置こうとしてティアは思い留まる。
彼にとって、ティアの手は何の励ましにもならないことを知っている。
「それでも――」
「ガイ! ティア! 何してるんだよ」
また一つ苦しい言葉を吐こうとしていたガイの声に、ルークの声が被さった。
声につられて目を向けると、ジェイドから満足のいく答えを貰ったらしいルークの笑顔が見えた。離れたところで立ち尽くしている二人を呼んでいる。
「いや、ジェイドはルークのいい教師だなっと思ってな」
先ほどまでの苦しげな表情をすっかり隠したガイがルークのもとへと足を進めていく。ティアはそんな彼の背中を悲しげな目をして見ていた。ルークが変わるきっかけとなったあの忌まわしい事件は、ルークの心にだけではなく、ガイの心にも大きな傷痕を残しているのだ。
「おや。ルークの世話係はあなたの仕事ではないのですか?」
メガネを上げながらジェイドが言う。嫌味が多分に含まれた言葉に、ガイは苦笑いを浮かべる。つい先ほどまでティアに愚痴っていた内容そのものだ。
「勘弁してくれよ旦那。オレよりもあんたの方が向いてるよ。雑学にしろ、専門的なことにしろ、オレなんかよりずっと上手く教えられるさ。
屋敷にきていた教師だってあんたには負ける」
いつもは卑屈反対とルークに言うはずのガイが、今日は卑屈な言葉を零す。何かを察したのか、ジェイドは軽く肩をすくめ、ティアを見た。彼の赤い目はどこまで見通しているのか不安になることがティアにはあった。
一瞬の沈黙の後、声を上げたのはルークだ。
「何言ってんだよ。オレが屋敷にいるときは、ガイが色々教えてくれたじゃんか」
丸い目がガイを真っ直ぐに映している。
「言葉も、歩き方も、飯の喰い方も、祝いごとも……。教えてくれたのは全部ガイだろ?」
続いて、お前は嫌だったかもしれないけど。と、付け足してしまう辺りが、ルークらしいと言えるだろう。
それでも、ガイは卑屈反対の言葉を向けなかった。そんな言葉は頭の中に浮かびもしなかった。彼の脳は、それ以上の幸福に満たされていた。
「ルーク……」
「本当、ありがとな」
そう言って笑う彼の表情は幼い。
長い髪を振り乱していたころは、無理に大人びたことをしていたのだろう。
「いや。礼を言うのはオレだよ」
いつだって、ガイに救いを与えてきたのはルークだった。
「うおっ! ちょっ、ガイ?」
突然抱き締められ、ルークは戸惑った声を出す。しかし、ガイはルークを離そうとしなかった。それどころか、益々強く抱き締め、ルークが本気の苦情を出すほどだった。
END