トウコは友人を探していた。一年前に出会い、それほど言葉を交わしたわけでもない友人だ。見た目はもう青年に差しかかろうというのに、心だけはまだまだ少年で、傷つきやすい。そんな友人だった。
 チャンピオンとしての権利など捨て、幼馴染達を置いてまで彼女はその友人を探す旅に出た。
 無論、幼馴染や家族よりも、その友人が大切だった。と、いうわけではない。大切だという一点に絞れば、友人も幼馴染も、同じ位置にいる。しかし、トウコは友人と別れた時の、あの顔が忘れられなかった。彼がどのように生きてきたのかを知ってしまった後では、なおさらに胸は痛んだ。
 捕まえて、その手を取って、共に生きようと言いたかった。
 わからないのならば学べばいい。苦しいのならば頼ればいい。嬉しいのならば共に笑えばいい。そんなことを教えてあげたかった。その一心でイッシュ中を周った。途中、捕まえることのできなかった七賢者達を見つけることはあったが、肝心の友人は見つからなかった。
 こうなれば他の地方に行ったと考える方が自然だろう。と、トウコは友人が捜し求めていた伝説のポケモンの片割れ、ゼクロムの背に乗って故郷のある地方から出て行った。
 他の地方を回って知ったのは、友人が「英雄」として語っていたような人間は他にもいるということだった。彼女は自分が英雄であるなどとは思っていなかったが、他の地方で出会った英雄達も、特に変わった能力を持っているわけではなく、心優しいトレーナーであるというだけのように見えた。
「友達を探しているんです。緑の髪をして、白いポケモンと一緒にいるはずなんです。
 彼は「英雄」をずっと探していたから……。あなた達ならもしかしたら。と、思ったんですけど」
 幾度となくこの言葉を繰りかえした。
 その度に彼らは困ったように眉を下げるのだ。心優しい彼らはトウコの悲しみを己のことのように、親身になって受け止めてくれた。
「そうだ。もしかしたら――」
 ある時、一人の英雄が彼女に言った。
 カントーとジョウトの間にあるシロガネ山。白銀の雪に覆われたその頂点には、とある人がいるらしい。トウコは彼の言葉に眉をひそめた。優しい英雄が嘘をついているとは思えない。しかし、話を聞く限り、シロガネ山の頂上など、とてもではないが人が住むような場所には思えない。
 素直に疑問を口にしてみると、トウコよりも年上の彼は小さく笑った。
「行ってみればわかるよ」
 彼の言葉に背を押され、トウコはシロガネ山へと向かった。ゼクロムの背に乗っていれば、頂上など簡単に降り立つことができるだろうと踏んでいたのだが、とんだ楽観的観測だったようだ。
 荒れ狂う吹雪の中で、飛ぶことなどできなかった。結局、トウコはどうにか着地できるところに降り、そこからは自分の足で頂上を目指すことになってしまった。
 出てくる野生のポケモンも、この厳しい環境の中で生きてきただけあって、強い子達が多い。足場の悪さもあいまって、頂上への道はチャンピオンロードよりも険しいのではないかと思わされる。唯一の救いは、勝負をしかけてくるトレーナーがいなかったことだ。
「よう、やく……着いた」
 寒い中、息を荒らしてたどりついた頂上は、やはり真っ白だった。
 人がいるとは到底思えない白さと、無防備にさらされている顔に吹きつけてくる雪。陽射しが入りこまない世界は薄暗く、吹雪と合わさって見通しの悪さを作りだしている。
 トウコは慎重に一歩を踏み出す。
 深い雪に埋もれる足を眺め、また一歩を踏み出す。見通しの悪いこの場所では、どこが安全な場所なのかわからない。念には念を入れて足を踏み出さなければ、ふもとまで真っ逆さまという可能性もなくはない。
「本当に、こんなところに人がいるのかしら……」
 防寒着を着ているとはいえ、吹雪く雪山は寒い。トウコは身体を小さくしながら歩く。
「やっぱり何かのまち、がい――」
 トウコは口を開けたまま、目に映る色を見つめていた。
 真っ白な世界の中、白の洪水に埋もれることなく、その色は確かに存在していた。
 赤をまとった背中は、トウコよりも年上だろうと感じさせる。もしかすると、探している友人よりも年上かもしれない。
 ぐるぐると回る思考回路を他所に、トウコの口は言葉を紡ごうとしなかった。声をかけることもできず、寒い空気を感じながらもじっとその赤を見つめていた。威圧感でもなく、ひれ伏したくなるような貫禄でもなく、静かにそこに存在している色に気圧されていた。
「――お客さん?」
 トウコが黙っていると、赤がゆっくりと振り向いた。
 吹雪越しの姿ではあったが、彼の黒い髪と瞳が確かに見えたような気がした。
「珍しいなぁ。最近は、グリーンくらいしかここにはこないんだけど」
 少し笑っているのが雰囲気でわかった。
 赤は慣れた足取りでトウコに近づいていく。
「ポケモンバトル、する?」
 トウコの目の前にやってきた彼は、モンスターボールを手にそう尋ねた。
 彼女とて、イッシュのチャンピオンにまで昇り詰めた女だ。ポケモンバトルに自信がないわけではない。しかし、彼女は本能的に、彼に勝つのは無理だとわかってしまった。第一、こんな不慣れな場所で戦うのは、分が悪過ぎる。
「……いえ。今日は、私の友人について尋ねに来ただけですから」
「友人?」
 赤い彼は、残念そうな顔をしながら首を傾げた。傍らにいるピカチュウも、心なしか残念そうな顔をしている。
「はい。緑色の髪そして、白いポケモンと一緒にいるはずなんです。
 彼は「英雄」を探していて……。ゴールドって人に、あなたを訪ねてみろって言われて、やってきました」
「ああ、彼が言ったのか」
 そう呟くと、彼は顎に手を当てて考えるような素振りを見せる。
「……残念だけど、ボクはキミの友人を知らない。
 もっといえば、ここに来たのは的外れなことと言えるね」
 彼はモンスターボールからリザードンを出し、トウコの傍らに寄り添わせる。炎タイプの彼からは、暖かさが漏れている。この極寒の地に慣れていない彼女への思いやりだろう。
「ボクは「英雄」じゃないから、ここにキミの友人はこない。
 ゴールドは、ちょっとボクを過大評価しすぎている部分があるからね」
 そう言った彼は、ポケモンバトルが強いのだそうだ。ゴールドは今まで一度も彼に勝つことができていない。それ故に、少々過大評価が過ぎるのだと言う。
 強さは「英雄」の証にはならない。トウコとて、そのくらいはわかっている。
「ボクはね、「英雄」っていうのは、世界の主人公になれるような人のことだと思うんだ」
 赤は語る。
「伝説のポケモンが現れて、誰かを選ぶ。そして、その誰かは世界のためになることをする。
 物語に描かれる「英雄」はいつだって主人公でしょ?」
 カントーにも伝説のポケモンは存在し、彼も出会ったことはある。しかし、一匹として彼らの意思で赤に会いにきたことはなく、彼の手の内へ転がりこむようなこともなかった。
「主人公っていうのは、こんなところにいるような人じゃないだろうしね」
 真っ白な山の頂上で、じっとしているような者が主人公の物語など、変化がなくてつまらないだろう。
「あなたは、ずっとここにいるんですか?」
「うん? そうだね。大抵はここにいるよ。
 時々降りて、母さんに顔を見せたり、知りあいにあったり、ちょっとだけ旅をしてみたりするけどね」
「寂しくないですか?」
「会いにきてくれる幼馴染がいるから平気だよ。
 でも、時々不思議だな。って思うことがあるよ」
 彼は曇り空を見上げた。彼が最後に太陽を見たのはいつなのだろうかと、トウコは漠然と考える。
「昔はあんなに冒険が好きだったのに。たくさんのポケモンと出会うのが好きだったのに。
 どうして今じゃ、ここにずっといるんだろう。って」
 疑問に感じるくらいならば、降りてしまえばいいのに。と、トウコが思ったのも無理はないだろう。
 ここに束縛されているわけではないのだ。自分の意思で、多くの地方を回ることだって、できないわけではないはずだ。この世界には、トウコが知らない地方もまだまだ存在しているはずで、冒険を続けようと思うのならば、いくらでも続けられるはずなのだ。
「――まるで、ボクの物語は、とっくの昔に終わってしまったみたいに感じるんだ」
 物語はいつか終わる。
 主人公の死によって終わることもあれば、ハッピーエンドで終わることもある。赤の物語は、彼が死ぬ前に終わってしまったのかもしれない。
「ねえ」
 赤がトウコに言葉を向ける。
「キミはまだ「主人公」でいられているかい?」
 優しく微笑まれているはずなのに、トウコの背筋は凍る。
 今はまだ。と、思ってしまう。物語は人生で、トウコの物語は、トウコが死ぬまで彼女自身が主人公であるはずなのに。
「頑張りなよ」
 彼はそう言うと、リザードンをモンスターボールに戻し、何処かへ去って行った。
 トウコは手を強く握り、友人を探すために踵を返した。
 その一年後だ。友人が、別の「英雄」にレシラムを渡したと耳にしたのは。

END