いつもの秘密基地。シュウはふと思い立ち、屋上へと上がった。彼の行動が唐突なのは今に始まったことではないので、マックやメグは少し驚きながらも、彼の好きにさせておくことにした。
「ま、シロンもいるし大丈夫でしょ」
「なんだな」
 ゆったりとした午後。厄介事はないに限るが、シュウの行動を制限できるはずもない。
 屋上につくと、シュウは大きく息を吸い込む。高いところは苦手だったが、風を感じるのは昔から好きだった。秘密基地の屋上で感じる風は、他のどこよりも心地よく、マンハッタンの街並みを思う存分楽しむことができる。
 一息ついたところで、腰につけてあったタリスポッドを手にする。彼の頭の上にいたシロンがガガっと、人には聞き取れない声で何かを言った。驚いた様子だったが、当然シュウはそのことに気づかない。
 普段から、シロンの言葉を解せず、また気にもしない彼だ。シロンの様子に気づいたところで、突拍子もない行動にブレーキがかかるとは思えない。
 何の前置きもなく、そして何の危機もない状態で、シュウは手にしたタリスポッドを掲げた。彼に何を言っても無駄なのだと、見事に諦めを果たしたシロンは、せめて有事の際にもこれほど素早くリボーンをなしてくれればいいのにとため息をつく。
「リボーン!」
 声と共に、頭の上にいたシロンが吸い込まれ、先ほどとは違った姿で現れる。大きな体と、白い翼は、この世界にいるどのような生物とも違う。
「……んだよ。唐突に」
「なあ、でかっちょ」
 立っていると目立つからか、シロンはその場で横になる。おかげでシュウはシロンと目を合わせることができた。小さな目が、シロンの大きな目を覗きこむ。
「お前って『ウインドラゴン』なんだよな?」
「はあ? 今さら何言ってんだよ」
 行動にも驚かされたが、紡がれた言葉にも驚きを隠せない。
 だってよー。と、シュウは口をとがらせる。
「ドラゴンって言ったら、こう……。お姫様をさらったり、町をババーンっと破壊したり、人間をペロリ! って、食べちまうもんじゃん?」
 オバーリアクションをつけながら言う。
 どこの絵本やらアニメやらで得た知識かは知らないが、本当に今さらなことだった。それなりの時間を共に過ごし、共に戦ってきた身としては、ため息をつきいたい気分になる。というよりも、実際にシロンはため息をついた。ため息をつけば、幸せが逃げる。と、聞いたことがあるが、そんなものを気にしている余裕もない。
「お前なぁ。オレがお姫様なんてさらって、何の得があるんだよ。
 町を壊すのも好きじゃねぇし、人間を食っても……」
 そこでシロンは口を閉ざす。
 続きを待っているシュウをじっと、見つめてやる。
「えっ……。な、何だよでかっちょ。まさか……」
「そういや、食ったことねぇのに、好き嫌い言ってちゃダメだよな?」
 意地悪気に口角が上がる。
「ひいいいい!」
 慌てて逃げ出そうとしたシュウの襟を掴む。すでに足は地面についていないというのに、シュウはせめてもの抵抗とばかりに足を動かし続ける。彼の目からは涙があふれ、鼻からは鼻水が垂れている。
 お世辞にもきれいとは言えない風貌に、シロンは思わず噴き出す。
「食べないでー。オレ美味くねぇよー!」
「バーカ。食うわけねぇだろ」
 そう言って、シロンはシュウを己の頭に乗せて立ち上がる。
「高いよおおおお」
「あーうるせぇな」
 耳を押さえながら、翼を広げて空へ舞い上がる。
 風を体いっぱいに浴びて、シロンは鼻歌交じりだ。対するシュウは風を感じればいいのか、高度に恐れればいいのかといった風だ。
「ったく。食べるわけねぇだろ」
 先ほどのシュウを思い出し、シロンは一人呟く。
 少しからかってやるだけのつもりだったのだが、あそこまで怯えられると、流石に傷ついてしまう。
 だいたいからして、今までの時間で人を食べる素振りも見せなかったシロンだ。人を食べるくらいならばクッキーを食べていたほうがずっと幸せだということは、シュウもわかっているはずだと思っていた。
「お前の思考回路だけはわかんねぇな」
「ふへ?」
「鼻水つけんじゃねーぞって、話だ!」
 勢いをつけ、さらに高く昇る。頭の上にいるシュウが悲鳴を上げ、髪をこれでもかというほど強く握っているが、気にしない。雲を突き抜け、青空だけが広がる空間まで出る。空気は薄いが、風は心地いい。
 シュウは今にも気絶しそうな勢いだった。
「風のサーガ」
「なななな何でしょう」
 相変わらずなシュウにシロンは苦笑いする。
 シュウも風が好きだ。シロンももちろんそうだ。だからこそ、共に空を駆け、心地よさを共感できたらと思ってしまう。けれど、この様子では十年二十年待ったところで、その願いが叶うことはなさそうだ。
「お姫様はさらっても何も得しねぇけど。
 お前ならちとは得するかもな」
「へ?」
「さて、秘密基地に戻るとするか」
「ちょっ、待っ、ぎゃああああああ!」
 ゆったりとした降下ではなく、どちらかというと落下しているのではないかと思うような降り方だ。当然、シュウが耐えきれるはずもない。気絶しても、シロンの髪を離さなかったのは、生への執着だろう。
 そんなシュウだったので、降下中のシロンの顔が赤く、乱暴な降下が照れ隠しという何ともはた迷惑なものだったとは、知りもしない。


END