始めて銃のトリガーを引いてから数ヶ月。キッドもすっかりマタタビと同じように何でも持てるようになっていた。
 挙句の果てには二本足で歩き始めるのだから化け猫というのもあながち間違いではないだろう。
「おいキッド」
 いつも通り昼寝をしていたキッドの元へマタタビが現れた。
 常に行動を共にしている二匹なので一緒にいること自体は珍しくもなんともないが、マタタビが手に持っているものは非常に珍しいものであった。
「何だそれ?」
「マタタビ酒だよ」
 一升瓶一杯に入った液体からは凄まじい匂いが漂っている。
 キッドが来る前までは『またたび』の常習犯であったマタタビはともかく、生まれてこのかた一度も『またたび』をしたことのないキッドにはいささかキツイ匂いであった。
 匂いを嗅ぐだけでも頭の奥がしびれるような感覚にキッドは戸惑った。
「飲めよ」
 ずいっと差し出されたのは酒がなみなみと入ったお猪口であった。
 マタタビは笑顔で飲めと言っているが、キッドとしては遠慮したいものであった。
 キッドの表情でそれを察したのか、マタタビはわざとらしいため息をついた。
「お前ももう大人かと思ったけど……まだまだガキだなぁ」
 ほぼ同じ年のはずのマタタビにガキだと言われるのはこれ以上ないほどの屈辱で、挑発に乗ってしまったキッドはお猪口をひったくった。
「オイラだってマタタビと同じだ!」
 ひったくったお猪口に口をつけ、少し躊躇しながらもキッドはマタタビ酒を一気に飲んだ。
 下の上で微かに電流が走ったような感覚がしたかと思うと、頭の奥に強い痺れを感じた。酒が喉を通り、胃へ落ちる。焼けるようなその感覚は癖になるものであった。
 お猪口一杯の酒を飲み干したキッドは得意げな顔でマタタビを見る。
「一杯ぐらいで偉そうな顔すんなよ」
 ニッと笑ったマタタビが、キッドの物よりも一回り以上大きいお猪口に入った酒を飲む。
「ぷっはー!」
 お猪口を空にしたマタタビの口からは酒の匂いが漂ってくる。間違いなく酒を飲んだようだ。
「一杯しか飲めねえなんて、キッドもまだまだ……」
 首を左右に振って馬鹿にするマタタビの挑発にまたしても乗ってしまったキッドは小さなお猪口に何度も酒を入れては飲んだ。
 キッドの飲みっぷりにつられたのか、マタタビも浴びるように酒を飲む。
 こうなると一緒に飲んでいるのではなく、ただの飲み比べになっている。
 キッドがくる前は『またたび』や酒の常習犯であったマタタビはともかく、酒を始めて口に入れるキッドにとって、これは辛いものでもあった・
 まず、喉や胃が焼けるような感覚がある。次に頭がぼんやりとしてくる。いわゆるほろ酔い状態なのだが、キッドはそのことを知らない。
 快楽主義のマタタビはいい感じに酔いがまわってきたことで、さらに酒の摂取量が増えた。
 さすがは『またたび』の名を得るだけのことはあると、納得しつつも勝負事には負けられないと、キッドも酒を飲む。
「キッドォ〜。まだ飲むのら?」
 ほろ酔い状態で、呂律が上手くまわっていないが、意識は落ちていない。
 過去の経験から、自分がどの程度酒を飲めば泥酔するのかわかっているマタタビはこの調子なら、まだまだ飲めるとふんでいた。
 それに比べて、キッドは自分がどの程度飲めるのか理解していない。そのうえ、飲みかたや現状況から察するに下戸である。
「ん〜?」
 マタタビの予想は的中していた。
 キッドは下戸だったようだ。
 マタタビの声に反応したキッドの目は潤み、とろんとしており何処を見ているのかわからない。仄かに染まっている頬がまた何とも言えないことになっている。
 しかも、いつもならば見せないような最上の笑みがついてくるのだ。
「キッ……!」
 キッドを呼ぼうとして戸惑った。
 何と言えばいい? その笑顔はやめろ? 酔いをさませ? 原因は全て自分にあるというのに?
 戸惑っているマタタビの元に一匹の猫が現れた。
「こらっ! お前キッドに何飲ませてるんだ?!」
 酒の匂いを嗅ぎつけたのか、やってきたのは二匹の保護者的存在でもあるグレーであった。
 マタタビ自身が酒を飲んでいることについて何も言わないのは、いつものこととして認識されているからだろう。
「グレー」
 焦って何を言おうか迷っていると、後ろからとろけるような声でキッドがグレーを呼んだ。
 マタタビが振り返る間もなく、キッドがマタタビを横切った。
 真っ直ぐグレーに突進して行く。
「好きぃ〜〜!」
 小さい体とはいえ、それなりに力のあるキッドに全速力で飛びついてこられたら、さすがのグレーも重心を崩し倒れこむ。
 その姿はまるでキッドがグレーを押し倒しているように見えないこともなかった。
「好きぃ。好きぃ」
 とろんとした声と瞳で何度も好きだと言う。さらに頬をグレーにすりつけ、甘えるような仕草をキッドはしていた。それはどうみても告白。
 思考回路がショートしたグレーは何の反応も示せない。
 すると、キッドは飽きたのかグレーの上から飛び降りて走っていった。
 残されたのはマタタビ一匹。少しの間呆然としていたが、慌ててキッドを追いかける。
 今のキッドは何をしてもおかしくない。


 走って行ったキッドは会う猫全てに『好き』だと言ってまわった。
 ほろ酔いの潤んでとろんとしている瞳でそんなことを言われた日には……石像化するものが続出である。中には不貞を計ろうとした者もいるが、周りの正常な思考を保っている猫によってそれは阻止された。
 天使の笑みを浮かべたキッドが辿りついた先は玉座ともいえる場所。
「キッド?」
 群れのボス、ゴッチの左右についている手下が訝しげにキッドの名を呼ぶ。
 キッドの表情を見れば酔っていることなど一目瞭然であるが、何故ここにいるのかはわからない。
「おい、何しにきた?」
 警戒するようなその声を気にも止めずキッドはニコニコとよってくる。
 本当に酔っているのか疑いたくなるほどのしっかりとした足取りでゴッチのいるところまで登ってくる。
 手下はキッドを警戒し、ゴッチはキッドの奇妙な行動を興味深げに見ていた。
「あー! ゴッ……!」
 酔っ払ったキッドを追いかけてきたマタタビが叫ぶ。
 次に起こることは予想済みなのだ。
「ゴッチ〜! 大好きぃ〜」
 ゴッチの左右についている手下を綺麗に無視してキッドはゴッチに飛びついた。
 体が大きいだけあって、ゴッチはグレーのように押し倒されるような形にはならなかった。
「なっ……? キッド?!」
 それでも驚くことに変わりはなく、手下と同じように目を丸くしている。
 キッドに告白をされて石像化もせず、不貞を働こうとしないのはゴッチだけであった。他の者は全て石像と化しているか、不貞を働こうとして周りの猫に袋叩きにあっている。
 不貞は働かないが、好きだといわれて嫌な気持ちはない。嫌いだと言われるよりも幾分かましである。
それが例えオスの子猫だったとしても。例え、酔っ払っていると知っていても、それは変わらない。
 目を白黒させている手下とは違い、ゴッチはすぐに思考を切り替えた。
 すなわち、今のこの状況を楽しめばいい。
「そーか。オレ様が好きか?」
「うん! すぅきぃ〜」
 本格的に酔いが回ってきたのか、呂律が怪しくなっている。
 頬をすり寄せてくる子猫の頭を撫でてやれば、子猫もすっかり気を良くする。
 普段は全く素直でないキッドのこういう一面を見れるのが酷く愉快であった。だが、キッドのそういう一面に怒りを覚えている者もいた。
「キッドォォォォォォォォォ!!」
 キッドがゴッチに飛びつくところも、告白するところも見ていたマタタビがとうとう切れた。
 今までもキッドが告白したために石像になったり、袋叩きにあったりした奴を見るたびにむしゃくしゃしていたのだが、もう我慢の限界であった。
 わずかに涙を溜めた……などといういいものではなく、両目からこれでもかというほどの涙を流したマタタビをキッドとゴッチは見た。
 手下はすでにボスとキッドの変わりように思考を停止させている。
 遠目からでも酔っているのはわかる。そしてその目が嫉妬という名の怒りで燃えているのもゴッチにはよくわかった。
 全てを理解した上で、意地悪な王様はキッドの頭を撫でてやる。
「キッド! 降りてこい!」
 明らかに怒りを含んだ声でマタタビがキッドを呼びつける。酔っ払っているためか、気分を害したようすもなくキッドはマタタビの元へ歩いて行く。
 それを引き止めるようなマネをゴッチはしなかった。
 いくら子猫とはいえ、普通の猫とは違い武器を持てる奴を誰が好き好んで敵にするというのだろうか。
 降りてきたキッドの首をくわえて人目のつかぬところまで運んで行くと、マタタビはキッドを離した。
 一体何が起きているのかわからないのだろう、キッドは首を傾げてマタタビをじっと見ている。
「マタァ、タビィ?」
 酔いが回った口調で目の前にいる者の名を呼ぶ。
 今のマタタビはその口調でさえも恨めしい。その口調が紡ぐ言葉が憎い。
「貴様は……。グレーもゴッチも好きなんだな……」
 拗ねたような声色でマタタビが言う。
 酔っ払っているキッドにとっては声色など、どうでもいいことなのだが、やはりどこか違う空気を感じ取っている。
「俺には、目もくれない」
 酔ったキッドの一番そばにいたのはマタタビだ。なのに、キッドは遠くにいるグレーを選んだ。
 その後も、マタタビではなくさらに遠くにいる仲間たちの元へ向かった。
 どうして、どうして近くにいる俺を見ないのかと、マタタビは心の何処かで思っていた。
 止まりかけていた涙を再び流しながら何度もどうしてと問う。
「オイ、ラはぁ……」
 何度も問うていたマタタビの声をさえぎり、キッドが言葉を紡ぐ。非常に眠たそうで、意識がハッキリとしていない声。
「マぁタ、タビがぁ、いるぅのがぁ……当たりぃ前、だったから……。だぁから、いまぁさら、言う必要も、ない、ってぇ、思ってたぁ」
 マタタビの涙をつっと舐めとったキッドが微笑む。
「す……きぃ……」
 その一言を言うと、キッドは電池が切れたおもちゃのように眠ってしまった。
 驚きと、混乱と、恥ずかしさと、喜びのあまり固まっているマタタビを置いて。


END