ちょっとばかし体の調子が悪かったのでクロは不本意ながら剛にメンテナンスをしてもらうことになった。
「おい。余計なことはするなよ……?」
微調整をするため、意識を落とさなければならなくなったクロは剛に釘を刺しておく。
元々世界征服のために生身の体を改造されたのだから、これを機会にクロの意思を奪うような細工をしてもおかしくはない。
「わかってるって〜」
何とも嘘くさい笑顔で剛が答える。
無性に殴りたくなったので、とりあえず殴ることにした。
「ちゃんとやれよ?」
「ふぁい」
クロに殴られた顔を抑えつつ剛が返事をする。
ここまでやっておけば平気だろ。と、始めのころに比べて剛に対する警戒が甘くなったクロはそう思ってしまった。
「剛くん♪ もう大丈夫?」
奥の方にいたミーがひょっこり出てきた。手に持っているのはいかにも危険な道具。
クロの危惧した通り、剛はろくなことを考えていなかった。
これを機会にクロを改造し、剛の言うことを忠実に聞くサイボーグにしようともくろんでいたのだ。
「うん。改造が終わるまで起きないよ」
「それにしても……クロの奴何処が悪かったんだろ?」
クロの体調不良は剛たちの仕業ではなかった。いつもならば自分でメンテナンスぐらいは簡単にしてしまうクロが剛に頼むなど、そうあることではない。
共に戦ったことも少なくないクロの異変にミーも不安を隠せない。
「う〜ん……ちょっと見ておこうかな……」
と言いつつ、改造とメンテナンスをほぼ同時にこなす姿はさすが天才科学者といったところであろうか。
クロのことを尊敬しているコタローが帰ってくるまでに改造を終了しなければ面倒なことになってしまうと、剛は手を早めた。
正直なところ、剛は迷っていた。
クロを改造し、再び世界征服をする。ずっと考えていたことではあったが、今ではどうなのだろうか。
共に過ごし、戦い、笑った。いつの間にか世界征服の野望さえも忘れるような日常をくれた。
壁のない存在。全ての壁を取り払いと願ったことがあった。それを世界征服で叶えられないと知ったのはクロがいたからだ。
誰かに支配されるほど弱くもなく、誰かを支配するほど愚かな奴でもない。
クロを改造して、世界征服をしてどうしたいのだろうか。クロを改造して、いつの間にか惹かれていた存在を消してしまわないのだろうか。
そんなことを考えつつも、手は止まらない。
結局、クロの不調の原因はわからなかったが、おそらく単なる金属疲労だろうということで片付けた。
「これで……よし」
改造が終わり、クロの目覚めを促す剛。
「ん……」
ピクリと目蓋が震え、クロの目蓋ががゆっくりと持ち上がる。
開かれた目はぼんやりとしており、いつもの力は感じられない。
「目覚めたかサイボーグクロ! これからは我々の――」
「誰だ?」
剛の言葉を最後まで聞かずクロが放った言葉に剛とミーは固まった。
改造はしたが、今までの記憶を消去したつもりはない。
「誰だって聞いてんだろうが」
クロの拳が剛の顔面に当たる。
当初予定していたはずの『クロに命令通りのことをさせる』という改造は失敗に終わったようだ。
「ってか、ここは何処だ? グレーは? ゴッチは?」
キョロキョロと辺りを見回しながらクロが放つ名に剛やミーは覚えがない。
しかし、次にでてくる名前の主は知っていた。
「――マタタビは?」
その後、自分の体がサイボーグにされていると気づいたクロがガトリングを連射し、ミーと一悶着起こったが、ナイスなタイミングで帰ってきたコタローにとりあえずマタタビを連れてくるように剛が頼んだ。
「博士〜! マタタビ君連れてきました!」
事情が全くわかっていないコタローがマタタビを引っ張ってきたので、連れてこられたマタタビには一体何がどうなっているのかさっぱりわからない。
目を白黒させながら暴走中のクロを見た。
「――マタタビ!」
マタタビの姿を見つけたクロが突進してきた。
まさかの事態になす術もなくクロのタックルを受けることになってしまったマタタビは数メートル吹っ飛ぶことになってしまった。
「あいつら変だ! オイラの体を勝手に改造するし、変なとこに連れてくるし! オイラのこと『クロ』って呼ぶし。なあ、どうなってるんだ? ゴッチやグレーはどうしたんだ?」
クロの鋼のボディーにタックルされ、ぴくぴくと痙攣しているマタタビに質問を浴びせかけるが当然返事はない。
「ってか……。マタタビ老けたか?」
「んだと?!」
さすがに今の発言は聞き流せなかったようで、マタタビが勢いよく起き上がる。
マタタビは生身の猫なので、当然クロやミーに比べると成長や老化が早い。だが、今はまだそれほど大きな変化はないはずだ。
第一、昨日も今日の朝も顔をあわせた相手に言う言葉ではない。
「拙者は老けてなどおらん!」
「喋り方も変だぞ?」
首を傾げるクロの表情が突然変わった。
マタタビの顔を掴み眼帯をじっと見つめる。
「マタタビ……。その目……どうしたんだ?」
何の冗談かとマタタビは思った。
目を抉ったのは誰でもないクロで、クロもその事実は認めていて、しかも後生大事に目ン玉を持っている。
なのに、何をいまさら言い出すのかと。
「なに言って――」
言えなかった。何を言っているんだとはとてもじゃないが言えなかった。
クロの表情はいつだったか見たこのある表情だった。
悔しくて、悲しい。その思いを全て怒りに変えたような表情。
「……何でもねえよ」
そう言って頭を撫でてやるので精一杯だった。
そして唐突に思い出した。クロの表情はあの時に見たものだと。
町猫の手下にグレーが襲われ、半死半生で帰ってきたとき。自分はグレーの仇をうつと言ったときの表情だった。
もしも、この目はお前が抉ったなどといえばクロは自分を許せなくなるんじゃないかと思った。何がどうなっているかは未だわからないが、クロの様子がおかしいことだけは確かである。
「あのね……実は……」
状況をよく知るミーが小さくなりながら事情を話した。
勿論、クロを改造して世界征服をもくろんでいたことは話さなかった。単純に、メンテナンスをして起こしてみたら記憶がなかったみたいだということだけを話した。
事情を聞き、今のクロの状態を理解したマタタビは納得した。
クロの言動からクロの記憶はカラス達に故郷を追い出される前まで遡っているようだ。
剛曰く、記憶は戻るかもしれないし、戻らないかもしれないとのことだった。
とりあえず周りをずっと警戒しているクロにも簡単な事情を説明してやった。
「こいつらは……まあ、お前の新しい仲間みたいなもんで、お前はここでは『クロ』って呼ばれてるんだ」
「グレーやゴッチは?」
心配そうに尋ねてくるクロにマタタビは胸が痛んだ。
まさか、グレーは死んで、ゴッチはお前を憎んでいるとは言えない。それにヘタなことを言ってクロが仲間に裏切られたことを思い出させるようなことにはなってほしくない。
今の仲間。特にナナには悪いが、記憶を失ったままでもいいじゃないかとマタタビは考えた。辛いことも、悲しいことも全部忘れて、真っ白なところからやり直せばいい。
今のクロをじーさん、ばーさんの家へ連れて帰ってはクロが混乱するだけだということで、クロは剛の家に預けられることとなった。
マタタビの説得のおかげか、始めほど剛たちを警戒していないクロだがやはりいつものような気楽さはない。
何か話しかけようものなら体中の毛を逆立てる勢いで警戒する。
「……剛くん。ボク、あんなクロ嫌だよぉ」
「わしも嫌……」
いつものクロは確かに横暴だがその中に微かな優しさがあった。そして何より壁がなかった。
今のクロはマタタビ以外の者全てに壁を作っている。
不安そうな表情も、警戒するその仕草も、全てはクロの記憶が幼少時代までリセットされているからで、その原因となったのはおそらく剛の改造だろう。
いわば自業自得である。
だが、できることならば前のクロに戻って欲しい。それはマタタビとは全く正反対の思いなのだが、剛たちがそれを知るはずもない。
一方、クロの方はマタタビの言うことを信じていた。
自分とマタタビはグレーとゴッチの元を離れ、二人でゆっくりと旅をしていた。そして辿りついたのがこの町。今では仲間も増え、面白おかしく暮らしていたのだとマタタビは言った。
クロがサイボーグになった理由はあえて言わなかった。というよりは上手く誤魔化す自信がなかったというだけの話しだった。
「クロちゃん……。ボクやダンクのことも覚えてないの?」
潤んだ瞳でコタローが尋ねてもクロは警戒を解かない。
「知らねーって言ってんだろーが!」
クロの警戒が解けるのはいつのことになるのだろうか。
次の日、朝早くからマタタビがやってきた。
遠目から見てもクロが剛たちのことを警戒しているのがはっきりとわかり、少しだけ罪悪感と優越感があった。
自分にだけは心を許してくれる。
「キッド!」
「マタタビ!」
少し離れたところからでも呼んでやればクロは顔を綻ばせて近づいてくる。
本当に子供のような表情をするクロにまだ少し驚いてしまうがすぐにマタタビも笑顔になる。
「ちょっといいかな?」
じゃれあっているマタタビとクロの間に剛が割って入る。
クロは露骨に顔をしかめたが、マタタビは表情には何もださない。まあ、腹の中でも特に思うことがなかっただけなのだが。
「……キッド、あっちでコタロー達と遊んでいろ」
剛の声色から、クロには聞かせたくない話しなのだろうと察したマタタビがクロをコタロー達の方へ行かそうとする。
始めはごねていたクロだがマタタビに言いくるめられて渋々コタロー達の元へ行く。
「で、何のなのだ?」
改めて話を聞くマタタビに剛はクロに聞こえないように小さな声で話しだした。
「実はね、クロの記憶はこのままでいいんじゃないかなー。なんて話しになったんだ」
「な……に?」
マタタビ自身、クロの記憶はこのままでもいいと思っていたが、クロに忘れられた剛たちがそんなことを言い出すとは思ってもみなかった。
普段はトラブルメーカーでもあるクロだが、人も動物も問わず好かれる性格にあるので、忘れられて嬉しいと言うような者がいるはずはない。
「クロは、記憶を取り戻したくないんじゃないかな?」
剛が言うには、昨夜もクロは剛たちを警戒するだけで、記憶を失う前の自分のことを一つも聞かなかったという。少なくとも剛たちの知っているクロはそんなオス猫ではない。
マイペースで、自分の聞きたいことは聞き、聞きたくないことは聞かない。そんなクロが記憶を失う前のことを聞かないのは、記憶を取り戻そうとしないのは『記憶を取り戻したくない』からに他ならないと剛は結論づけたらしい。
「嫌な記憶はそのままでも、いいと思うんだ」
悲しそうに笑ってそう言われ、マタタビの少しの優越感はなくなり、大きな罪悪感が残った。
結局はクロのことと言いながら、自分のことしか考えていなかった自分をマタタビはあざ笑った。
目のことを忘れて欲しかったのは紛れもないマタタビ自身であった。
本当は誰よりも傷つきやすいクロを守ってやりたかったはずなのに自分のことが今でもクロの傷になっている。それがマタタビには許せなかった。
クロは弱い奴じゃないということはマタタビもよく知っていた。
だから、クロは嫌な記憶を忘れることによって逃げるような奴でないことも知っていた。
何度だって立ち上がり、何度だって立ち向かう。それがマタタビの知るキッドである。
「原因は……拙者か」
そんなクロが記憶を封じたのはおそらくマタタビの思いをそれとなく感じとったから。
人一倍他人の感情に敏感なクロならばありえない話ではない。無意識のうちにマタタビのため、記憶を封じるという手段に出たのだろう。
そのことに一番付き合いの長い自分が気づけなかったのに腹がたつ。
「キッド」
コタローと遊んでいる。というよりはコタローが一方的に話しかけられているクロにマタタビが声をかけると、クロは表情を一遍させる。
こっちへこいと目線で合図するとクロは素直にマタタビについていく。
ある程度みんなから離れたゴミ山の一角で二人は向きあった。
「この目のことを聞いてたな」
黒い眼帯を触りながら低い声でマタタビが言った。
「え……? い、いいよ。そんなの」
わずかに後ずさりながらクロが返事をする。聞きたくないという思いが現れている。
「聞け。そして思い出せ」
それが辛いことだとはわかっている。だが、マタタビは後には引けなかった。
クロに逃げるような弱いオス猫になって欲しくなかった。忘れて欲しいと思っていたが、逃げて欲しくないと思うのもまた真実なのだ。
「この目は――」
「聞きたくねぇ!」
叫ぶクロを無視する。
「お前が抉った」
クロの目が大きく見開かれ、悲鳴のような叫びが響いた。
頭の中に記憶が流れ込んできた。
痛い。嫌だ。やめろ。
大丈夫。オイラは逃げない。
二つの感情がせめぎ合いながらも、目の前には記憶の破片が見えては消え、見えては消える。
空を黒く染めるカラスの大群。
『スンゲーのが来るよグレー』
『えらい事になる!』
燃える故郷。
『灰になちまったなオレたちの寝床…』
『喰える時に喰っておけ』
マリーと子犬。
『そいつらを全部育ててるのか』
『こいつなかなか元気にならねえなー』
グレーが見せてくれたもの。
『そんな体じゃあ殺されちまう!』
『おまえらガキは安心して先へ進め』
町の猫たち。
『今に命を落とすぞ』
『オイラは――自分の身は自分で守るぜ!』
血まみれのグレー。
『来るぞ……次にそなえろ……!』
『てめーといっしょにするんじゃねえ!コシヌケ野郎!』
マタタビの目。
『うるせえ!』
『このオトシマエはいずれつけてやる。いずれだ!』
ドッチとその仲間。
『キッドのせいで大勢の仲間が死んだ』
『疫病神なんだ……』
シマにに帰ったらみんな死んでた。
オイラのせいで。オイラが災いを運んできたから。
ゴメン。ゴメン。マタタビ。悪いのは全部オイラなのに、マタタビが気に病むことはないんだ――。
クロの声を聞きつけて駆け寄ってきた剛たちの前にはいつも通りのクロがいた。
「クロ……ちゃん?」
「なんだよ?」
不機嫌そうな目つきも、ちょっとだるそうな声色も、全部今までと同じクロであった。
「クロー!」
「このやろー!」
コタローだけではなく、剛やミーまで飛びつこうとしてくるのでクロはとっさに避けた。
いくらクロでも三人に飛びつかれたらひとたまりもない。
「クロちゃん! クロちゃんが記憶を失くしている間、ボク達寂しかっただよ?」
剛とミーに潰されながら涙を流しそう言うコタローをクロは訝しげに見た。
「何言ってんだ? オイラの記憶がなかった?」
「覚えてないんだね……。でもいいよ! もうすんだことだから!」
再び飛びついてきたのはコタローだけで、剛とミーは遠目からその様子を見守っていた。
いつもの日常が帰ってきたと一安心したのは三人だけで、マタタビは何かを探るようにじっとクロを見ていた。
「おめーも飛びついてきてもいいんだぜ?」
じっと見ているマタタビにクロが挑発をかけると、ゆっくりとマタタビが近づいてきた。
まさか本当に飛びつき気じゃないだろうなと、警戒するクロだったがマタタビはクロの横を通り過ぎただけで、飛びつくことはなかった。
しかし、通り過ぎる瞬間にクロにだけ囁いた言葉がある。
『さっきまでの記憶、忘れてないのだろ?』
慌ててクロがマタタビの方を見ると、マタタビもこちらを見ており、にやりと笑っていた。
「……隠しごとはできねぇな」
ため息と共にクロが呟いた一言の意味をコタローが知る日はこない。
END