マサルがこちらの世界に旅だってから、どれだけの時間が流れたことだろう。彼の体はすっかり成長し、持ってきた服では間に合わなくなってしまっていた。代わりの衣服は仲間になったデジモン達によって製作されたが、過ごした年月の長さにマサルは感慨深さを覚える。
 デジタルワールドに暦は存在していなかった。マサルも日が落ちた回数を数えていたわけではないので、時間の感覚は曖昧だ。そもそも、こちらの世界と人間界の時間の流れ方が同じかどうかすらわからない。マサルがこのことに気づいたのは、デジタルワールドで知りあった物知りなデジモンと出会ってからだ、ということは、彼の性格と知性レベルを鑑みれば容易に想像がつくことだろう。
「兄貴、どーしたの?」
 先を歩いていたアグモンが振り返り、首を傾げている。
 昔に比べ、彼は小さくなったような気がした。マサルが成長したのに対し、デジモンは進化以外では成長が見られない生命体だ。相対的に小さく見えてもしかたがない。
「いや、デジタルワールドもけっこう歩いたな、と思ってな」
「そーだねぇ」
 長い年月をかけて、マサルとアグモンは各地を練り歩いた。共にこちらの世界へやってきたデジモン達は、各々ができることをしている。神が眠りについた今、デジタルワールドでは問題が山積みなのだ。
 ロイヤルナイツ達も自分達の信念を新たに動いている。時折、かつて顔をつきあわせていたデジモンに会うと、マサルは胸から懐かしさが込みあげてくるのを感じずにはいられなかった。人間界を飛び出したことは今も後悔していない。だが、故郷に思いを馳せることくらいはある。
「でも、まだまだオレ達の知らない場所があるよ」
「おう。だからこそ、燃えるんじゃねーか!」
 マサルは一足飛びに駆け出し、アグモンを追い抜かす。
「あー。待ってよぉ!」
「おら、とっとと進まねぇと、日が暮れちまうぜ!」
 人間界と比べ、デジタルワールドが過ごしやすい世界か、と問われればマサルは首を振るだろう。コンビニなんてものはなく、調理済みの食糧も、乗り物もない。不便極まりない世界だ。
 しかし、楽しい世界でもあった。
 喧嘩日本一を自称するマサルでも、生身では勝てない敵が大勢いる。人間界と違い、地図のないデジタルワールドを自らの足で切り開いていく、というのも冒険心がくすぐられる。かつて、彼の父であるスグルがこの世界に魅せられたのにも納得できてしまうほど、デジタルワールドは楽しい世界だった。
 以前は自分の意思でデジソウルを出現させられなかったマサルだが、今ではそのコントロールも覚えた。おかげで、アグモンとはぐれてしまっても襲いかかってくるデジモンと交戦し、打ち負かすことさえできるようになった。いよいよ人間離れしてきたのだが、本人やアグモンは強くなった自分達に歓喜するばかりだ。
「トーマや淑乃は元気かなぁ?」
 不意にアグモンが口にした。
「……元気さ。
 あいつらがへばってるとこなんて、想像できねーよ」
 デジタマの状態で人間界にやってきたアグモンにとって、あちらの世界も立派な故郷の一つだった。特に、仲間として共に戦ったトーマや淑乃、そのパートナー達との思い出は多い。パートナーデジモンの方とは、会おうと思えばバーストモードを用いて会いに行くことができる。
 しかし、デジタルゲートが閉ざされてしまった今、人間であるトーマ達に会うことはできない。考えたくはないことだが、このまま一生会えないという可能性だってあるのだ。
 時々、アグモンは考える。
 マサルはデジタルワールドで唯一の人間だ。こちらにやってきたのは彼の意思であり、今も帰りたいと口にすることはない。だが、寂しさを覚えることくらいはあるのではないか。口にしないだけで、後悔する瞬間くらいはあるのではないか。
「だよ、な。
 きっと、またデジタルゲートを開いて、こっちにきてくれるよな!」
 アグモンはできる限りの笑みを浮かべ、マサルに向ける。
「あぁ。だけど、まだしばらくはいいや。
 もっともっとこっちの世界を見て回りたいしな!」
 マサルの口から、こういった言葉が出るたび、アグモンは心の内で安堵の息をつく。
 人間は、子供から大人へと成長する。デジモンと違い、それは自然に、少しずつ変わっていく。その過程で、やりたいことや、感じかたが変わる、ということは珍しいことではないらしい。ならば、今は暴れたいと言っているマサルも、いつかは変わってしまうかもしれない。
 捨てられることはないだろう、と確信している。どのように変わっても、マサルは情に厚い男だ。共にあることはできるだろう。だが、暴れることはできなくなるかもしれない。デジモンであるアグモンはいつまでも暴れたいと思っているのに。
「……アグモン」
 優しく名を呼び、小さくなってしまった相棒の頭を乱暴に撫でる。
「わっ。何だよ、兄貴ー」
「心配すんな。オレはずーっとお前と一緒だ」
 周囲に人間はいないが、年月はマサルを成長させた。肉体的な意味だけではない。精神的な意味合いでもだ。
 彼はただ真っ直ぐに生きるだけではなくなった。他者を見て、感情を察することもできるようになった。その上で、マサルは最上級の笑みを浮かべ、アグモンに言う。
「オレの父さんを見ただろ?
 ずっとデジタルワールドにいて、強い男のままだった。
 オレだってそうだ。ずっとお前と暴れていてぇってことは、何があっても変わらねぇ!」
 子分の悩みなんぞ、兄貴にはお見通しだったのだ。ただ、言葉をかけるタイミングがわからなかっただけで。
 今だって、適切なタイミングなんてわからない。成長したとはいえ、元が元だ。トーマのようなスマートさも、淑乃のような大きな愛も持てやしない。マサルはマサルなりにやっていくしかない。結果、勢いと直感で言葉を口にした。
「兄貴……」
「番長は嘘をつかねぇ。
 お前の兄貴を信じろ」
 真っ直ぐな瞳だ。
 始めてアグモンと出会い、真正面から戦ったときと同じ瞳がそこにある。
「おう!」
 アグモンは元気に返事をし、マサルに抱きつく。
 大きくなってしまった人間の相棒は、倒れることなくしっかりとアグモンを支えてくれた。
「ん? おい、あっちの方、何か光ってないか?」
「あ、本当だ!」
 二人は顔を見合わせる。
「もしかして」
 マサルは笑みを浮かべた。
 アグモンは、少し考えてから、彼と同じく笑みを浮かべた。
 先ほどの言葉を聞く前だったら、もっとぎこちない笑みしかできなかっただろう。しかし、今は自然と笑える。
「行くぞ!」
 まずマサルが駆けだした。アグモンがその後を追う。
 あの光には見覚えがあった。きっと、あの下にはかつての仲間達がいるに違いない。また、二つの世界を行き来する生活が始まるのだろうか。それとも、マサルはまだこちらの世界に残り続けるのだろうか。
 どちらにせよ、アグモンはもう構わなかった。
 デジタルワールドと人間界。どちらにいても、マサルはアグモンと共に暴れ続けてくれると約束したのだから。

END