夜にふらりと外に出た。何か目的があったわけではなかったが、夜風に当たりたくなったのだ。
街灯があるとはいえ、夜の道は暗い。いつもならば車で溢れているような大通りも、今では静かなものだ。
鼻歌交じりに歩いていると、バイクのエンジン音が聞こえてきた。車は少ないものの、バイクや自転車は何台か見る。特に気にすることもなく歩いていく。夜風は心地良く、木の葉が擦れ合う音は音楽のようだ。
目を閉じてその音を堪能していると、雑音が耳に届いた。先ほどからかすかに聞こえていたエンジン音だ。それはだんだんと近づいてくる。背後から光があたる。
無意識のうちに振り返ってみると、バイクは思ったよりも近い。
「え……」
それどころか、こちらに向かってきている。よく考えてみれば、今日の服装は黒のパーカーだった。相手がライトをつけているとはいえ、夜道を歩くには危険な服装だったかもしれない。慌てて避けようと足を動かす。けれど、それに伴ってバイクも動く。
何故、と問う言葉もなく、バイクの形を目に収める。スローモーションになっていく動きの中で、マコトはバイクの持ち主を見た。相手は笑っていた。
恨みでも買っていたのかと思う。心当たりがないわけではない。これでもギリギリの線を通ってきた身だ。それでも、こんな結末を予想していたわけではない。
どうにか避けることができないかと、体に力を入れるがまったく動かない。終わったのかと思った瞬間、走馬灯が頭を駆け巡る。それなりにしたいことをしてきた人生だったと、静かに目を閉じた。
衝撃を感じたマコトは意識を飛ばす。地面に体が落ち、端にまで転がる。バイクはためらうことなく、道を進んで行った。残されたのは静かな夜と、男の体だけだった。
運が良かったのだろう。
マコトは偶然通りかかった酔っ払いの手が通報してくれたおかげで、一命を取りとめた。もともと、打ち所が悪かっただけで、どこかが折れているわけでもなかった。噂を聞きつけたサルは悪運の強い奴だと笑っていた。
ただ、不思議なことに目を覚ますことはなかった。
医者もいつ目が覚めるのかわからないとしか言わない。最悪の場合、このままということもありえる。そんな言葉すらあった。母は強く、文句を言いながら笑っていた。
「それにしても、何があったんだ」
サルの小さな呟きは病室の中に消える。
命の確認はできたので、そろそろ仕事に戻ることにした。マコトの母に別れを告げ、病院を出る。振り返って見た病院は、白く大きい。見ていると不思議と不安に駆られた。マコトに関することだ。ただ、死の予感ではない。見知ったこの町で何かが起こる気がした。
喉を鳴らし、不安をかき消そうとする。ポケットに入れていた携帯が鳴った。取り出し、画面を見てみると意外な人物の名前が表示されている。
「タカシ……?」
この町にいるガキの王様だ。
マコトの病室にきていなくとも、不思議には思わなかったが、こうして連絡がくると不思議でしかたがない。あの氷のような男が心配をしている姿が想像できないのだ。友人であるマコトを周りの印象よりも大切にしていることは知っていたが、イメージが結びつかない。
通話のボタンを押し、耳を当てる。
『マコトはどうだった?』
「何でもお見通しってか」
肩をすくめ、辺りを見回す。ガキはどこにでもいる。どこにでもいるような奴が、王様に繋がっているのだ。
「命に別状はない。ただ、目を覚まさねぇ」
『そうか』
淡白な返事だ。心配をしているのかわかりにくい。マコトはタカシの感情の機微がわかると言っていた。サルは注意してタカシの声を聞いてみるが、まったくわからない。マコトは人の感情にもわりと敏感だ。
「タカシ」
『なんだ』
「きな臭いな」
『そうだな』
マコトを病院送りにした犯人は何故救急車を呼ばなかったのだろうか。無論、ただ罪を問われることを恐れたという可能性もある。だがどうにもしっくりこない。修羅場をくぐりぬけてきたマコトがそう簡単にやられるのだろうか。
彼はただでさえ狙われやすい。一人の人間を潰すだけで、この町の均衡は崩れかねないのだ。
警察とヤクザとガキ共。この三つを支えているのは間違いなくマコトだ。
「お前のとこに情報は入ってるのか?」
『当然だろ』
本当に当たり前のように言う。
『Gボーイズの情報網を舐めるな』
電話を切る気配がした。こちらも電源を切ろうとした直前、耳に冷たい声が届いた。
『安心しろ。罰はきっちりと受けてもらう』
聞き返そうとしたが、すでに電源は切られていた。
「…………」
タカシのことをそれほど知らないサルでもわかった。あの冷たさは怒っている。
頭を掻いてため息をつく。サルの組み内でも、マコトを轢いた者を探している。それでもガキ共の情報網には敵わないだろう。適材適所というものがある。この町での情報に関してはGボーイズに敵う者はいないだろう。
自業自得とはいえ、あの様子のタカシを相手にすることとなる者には同情せざるえない。
あの男は殺しを厭わない。今回のことで殺人を犯すとは思えないが、死を望む程度のことはされるだろう。
可哀想だと思いながらも、親父に朗報ができたと喜ぶ。次の日にはマコトも目を覚ましていた。
「あんたくーすかよく寝てたねぇ」
「知らねーよ」
今日も病室に顔を出していたサルが笑う。
「フルーツ買ってきたんだけどなぁ」
「俺ん家果物屋だぞ」
「知ってるよ」
笑い合いながら病室を片付けていく。途中、携帯のバイブが体を伝わってくる。電話かと思い、開いてみるとメールの受信を知らせる文字が書かれていた。見知らぬアドレスに首を傾げ、開いてみる。
「……律儀な奴」
送られてきたのは写真だった。男がボコボコにされて、涙を流している。よく見えないが失禁しているようにもみえる。報復は果たしたという証明なのだろう。小さく笑いながら、返信のメールを打つ。
「どうしたんだ?」
「ん? 何でもねーよ」
マコトは優しい人間だ。タカシがしたことを聞けば、少なからず怒りをあらわにするだろう。あの二人が喧嘩をするところは見たくない。
サルはメールを送信し、携帯を閉じた。
『マコト、目覚ましたぞ』
END