炎は好ましい。佐助は常々そう考えていた。
影は光があるからこそ生まれる。隠密行動をとっている際には、少しばかり困りものではあるが、差し引きして考えてみても炎は好ましかった。
何せ、炎はすべてを消し去ってくれる。屍も争いも、道具も。
「佐助!」
「はいはいっと」
声をかけられ、佐助は即座に主人のもとへと馳せ参じる。鍛錬が終わり、団子を求められるのはわかりきっていた。伊達に幼少の頃から仕えているわけではない。それが忍としての仕事としてはどうかと思われるようなものであってもだ。
どこからともなく現れた佐助に、幸村は驚きもしない。いつも通りの満面の笑みを浮かべ、団子が欲しいのだと目の前にいる男へ告げる。
予想を裏切らぬその言葉に、佐助は小さく笑いながら草団子を差し出す。
「今、温かいお茶を入れてくるから。縁側にでも座っててよ」
「承知した!」
元気のいい返事は、佐助の心を温かくさせる。ただの道具であり、影であるはずの体が、その時ばかりにはただの人間のようなぬくもりを得るのだ。炎の恩恵に、佐助は小さく息を漏らす。人が言う幸せというものを感じることができた。
気配を感じさせぬ軽い足取りでお茶を入れ、再び幸村のもとへと向かう。忍が主君のお茶を淹れ、団子の用意をする。何のも奇妙で滑稽な話であり、武田へ来る前の佐助ならば考えもしなかったことだ。だから、こんなことをする甲斐甲斐しい忍は、己だけだろうと笑う。
けれど、ピタリと足をとめた。
思い浮かべたのは、古くからの知り合いである忍と、伝説とまで称されたことのある忍だ。彼らのことを思い返すと、小さくではすまない笑いが生まれてくる。
かすがも、伝説も、主君が望むのならば、二つ返事で団子を作り、茶を淹れるだろう。それが敬愛心からくるのか、仕事として受けるのかは佐助にはわからないが。
彼らの主君も、大層な変わり者だ。忌み嫌われるはずの存在である忍に、茶の一つや二つ頼むかもしれない。
「旦那ー。お茶持ってきたぜ」
「おお、すまぬな」
「いえいえ」
湯呑みを乗せたお盆を幸村の隣に置く。先ほど渡したはずの草団子はすでに彼の手にはなく、これも予想していた佐助がお盆に乗せてきた草団子に幸村は手を伸ばす。
嬉しそうに食べる様子が、美味い。と、上げられる声が、佐助の心を焦がしていく。徐々にどこかが燃やされる感覚は、ひどく心地良い。もしも、死ぬときがきたのならば、この炎に焼かれて死にたいとすら思う。
あまりにも強い願いは、心に置くだけで佐助を焦がす。それは、もうずっと何年も続いてきた熱さだ。
「ところで佐助。今日は楽しそうな顔をしているな」
「え? そう?」
「うむ。佐助がそういった顔をしているのは珍しい」
幸村は目を細め、嬉しそうにいう。
佐助の胸はチリッとした火種を増やす。
「そう? オレ様、いつでもニコニコしてるじゃない」
おどけた調子でいえば、幸村は静かに首を横に振る。
「いや。お前のそれは嘘だとすぐにわかるからな。
心から楽しそうにしているのは珍しい」
闇を射抜くような瞳に、佐助は言葉を無くす。
「……流石旦那だね」
昔から、隠し通せると思ったことが、簡単に見抜かれてしまうことがあった。他人ならば騙しとおすことができるというのに、幸村に対してだけはそれができない。ごまかすこともできず、ただ見抜かれたことを受け入れることしかできない。
だから、いつか幸村の生み出す炎に焼かれて死にたいと思っていることもバレてしまうのではないかと、時々不安になる。
忍を人として扱い、その死を嘆くような人間だ。きっと、死を望んでいると知られたら嫌われてしまう。
「何が流石なのかはよくわからぬが」
幸村は最後の草団子を手に取る。
「お前も食べるか?」
草団子が佐助に向けられる。これも、今まで何度もあったことだ。次にとる行動も、当然のように決まっていた。
「いや、旦那が全部食べなよ」
「……そうか」
焦がすばかりだった炎が弱くなるのを感じた。こうなることをわかって断ったことに、佐助の胸が痛む。そんな顔をさせたいわけではなかった。ただ、立派な武人になって欲しいと願うからこその拒否なのだ。
周りが変わり者ばかりだからといって、忍を武人と対等に扱うような者に幸村をしたくなかった。
けれど、もしも、差し出された団子を食べたのならば。炎は勢いを増すのだろうか。佐助は思わず喉を鳴らした。
できることならば、その炎を浴びてみたい。そして、その炎に殺されたい。
だが、今はまだ駄目だ。
「そんなしょんぼりしなさんなって」
「うむ……」
この若虎を、立派な虎にするという使命が残っている。それを置いたまま死ねるほど、佐助は無責任ではなかった。
少しばかりの悲しみと、決意を胸に悲しげな幸村の顔を見つめる。そうしていると、唐突に幸村が瞳を輝かせた。
「そうだ!」
「ん?」
何を思いついたのかと首を傾げる。
「お前の給料を団子にすれば、食べざるを得ないのではないのか!」
「えっ」
思わず思考が固まる。冗談だろ、と言いたかったが、幸村に限ってそんな冗談を言うはずがないと知っている。その証拠とばかりに、幸村は己の考えに満足そうな笑みを浮かべ、しきりに頷いている。
このままでは不味い。佐助は冷汗をかく。
「だ、旦那!」
「どうした?」
「……その団子食べたら、お給料は普通にお金でくれる?」
「ふむ。いいだろう」
まさか、全ては彼の策略ではないだろうかと疑わずにはいられない。
差し出された草団子を受け取り、口を開ける。
これが全て天然でなされているのだから、佐助としてはため息をつくことしかできない。
「美味いか?」
「うん。美味しいよ」
「そうか! それはよかった!」
そう言って嬉しそうに笑う。
「……オレ様、燃え尽きちゃうよ」
「ん? 何か言ったか?」
「何でもないよ」
それはまだ穏やかだった日々の話。
了