大谷吉継は言葉遊びを好んだ。一つを伝えるために、十の言葉を使わねばならぬのが好きだったのか。互いに頭を持っていなければ伝わらないからこそ好きだったのか。本心を知っている者はこの世に一人としていない。
言葉遊びの内容は、他者を貶めることから、己をあざ笑うようなことまで種類は様々だ。しかし、どれも毒々しく、聞く者を不快にさせる。大谷自身、それを狙って言葉を弄しているところがあるようで、他者が顔をしかめると大層嬉しそうに笑う。
例外があるとするならば、三成に対してだけだ。大谷は三成にだけは、毒を吐かない。癖のように自虐することはあるが、三成を貶めるような言葉を吐くことだけはなかった。
その優しさを、少しでもわけてくれれば。と、官兵衛は思う。
「何を愚図愚図していやる」
進軍の途中、大谷が忌々しげに吐き出す。現在、三成とは別行動をしている。周りには仲間もおらず、大谷と官兵衛の二人だけだ。そのためか、吐かれる毒もいつもより割り増しされている気がする。
「累日、お前さんの口は悪くなってるんじゃないか」
嫌味半分、遊び半分。官兵衛は返した。周りには誰もいない。少しばかり遊んでも罰は当たらないはずだ。
「……過日の主ほどではあるまい」
「今さらそんなこと言われてもねぇ」
整備されているとはいいがたい道を歩きながら、軽口を叩きあう。空を行く大谷はともかく、枷と共に地を行く官兵衛の動きはどうしても遅い。必要な事柄のためとはいえ、互いに苛立ちが溜まる道のりだった。
いつもよりも毒がある。けれど、いつもよりも気の置けない会話をするのも悪くはない。
「営々働きやれ。さすれば、我の口も少しは閉じようぞ」
少し距離があるが、包帯越しにでも、大谷の口元が緩んでいるのがわかる。三成には見せぬ類の笑みを、自分だけが見て、気づくことができるというのはどこか愉快な気分になる。元々、官兵衛は知将でもあるため、頭を使うことは嫌いではない。
交わされる言葉に胸が弾んだ。
「存外、お前さんも殊勝なことを言うんだな」
どれほどの働きをしてみせたところで、大谷はその口を閉じることはない。彼にとって、口を閉じることと頭の働きを萎えさせることは、死と同意義だ。そして、誰かを虐めることは彼の生きがいだ。
そんな大谷が、官兵衛を詰る口を閉じる日などくることはない。
「何を言いやる。我ほど優しき人間もいるまいて」
己の言葉を否定するかのような自嘲が見えた。包帯越しではあるが、官兵衛には彼の笑い方がよくわかる。その笑いがどのような感情を持っているのかも、全てわかるのだ。
「低劣な冗談もあったもんだ」
「誰が冗談など言うものか。真よ。マコト」
宙を行く大谷の速さが少しばかり緩やかになる。おかげで、官兵衛が少し頑張れば並ぶことができるようになった。
「当然、それも嘘なんだろ?」
「論ずる必要もなし」
目を細めて笑う大谷の顔が良く見えた。
官兵衛以外の人間がいないからか、気を張る必要がなく、心が穏やかなのだろう。傷つけられることもなければ、凶王の行動に気を揉む必要もない。どちらも、大谷は疎むことなく受け入れているが、彼の心はそれを軽いものとは捉えていない。
「仕方ない。小生は優しいからな。それを受け入れてやろう」
肩をすくめて言ってやれば、大谷は笑みのまま言葉を返してくる。
「薄ら寒いことを言うではない。真に優しき人間であるのならば、我の手をここまでわずらわせることもなかろ?」
「露悪なことを言うようだがな。小生に運がないことや、これのせいで愚鈍なことは、お前さんが一番よく知っているんじゃないのか」
大谷は引きつったような独特の笑い声を上げる。不幸を嘆いている姿からは想像もできないほど、彼の笑いに対する沸点は低い。
「必ずしもそうではあるまい。主が易々と読み違えをせぬことは知っておるがな」
「何だ。褒めても何も出やしないぞ。まあ、小生だって、黄泉逝きは勘弁だからな」
一つの言葉遊びに、もう一つ絡めてやる。たったそれだけのことで、大谷は楽しそうに笑う。
ふと、官兵衛は気づいた。今という時間は、ここ最近ではありえなかったほど、平穏で穏やかなものなのではないだろうか。それを大谷が望むとは思っていない。だが、官兵衛はこんな時間が続けばいいと願うことのできる人間だった。
「なれば働け。死と死の行く末は末広がりよ。すぐに巻き込まれる」
「累増するばかりの死ってか? それを望むのはお前さんだろ」
穏やかが続けばいいと強く願う。死屍累々の戦場に帰れば、また大谷は己の死を強く願うのだろう。彼は、広がりつくした死の世界で、己も死ぬことを望んでいる。三成はそのことに気づくことはない。何せ、大谷自身、そんな自分のことを明確に認識しているわけではない。
死を望む軍師に気づいているのは、官兵衛だけだ。それを知っているからこそ、官兵衛は口を閉ざし続ける。
「老少不定。誰が死んでもおかしくない世の中よ。我が望まずとも、死は平等にやってきやるものよ」
「よく言うよ。なら、何でお前さんは死を撒くことに必死になってるんだ」
口角を上げて言ってやると、大谷は少しだけ目を伏せた。あれほど楽しげに遊びを続けていたというのに、どうしたことだろうかと、思わず顔を覗きこんでしまう。
「大それたことを、と笑いやるか?
しかしな、蝶が二匹揃えば、忌むものになる。なれば、我はそれに従い、忌まれるモノになるしかあるまいて」
つまらない言葉遊びだ。官兵衛は眉間に眉を寄せる。
「諦念するならそれもいいさ。その方が小生はやりやすい。
だがな、お前さんがそんなことを言うなら、小生はこの身と厄をあわせて、国をとってやる」
大谷の動きが止まる。それにあわせて、官兵衛も足を止める。二人はじっと目をあわせる。
「……累卵之危に三成を陥れるわけにもいくまいて。
主が国を取る前に、我の業と主の厄で互いに黄泉に逝こうぞ」
大谷の手が、そっと官兵衛の頬を撫でる。包帯のかさついた感触が、官兵衛の頬から脳へと伝わる。
ひどく優しい手つきをした大谷の目は、どこか優しげだ。
「増悪してるわけじゃないんだろ。簡単に死を口にするな」
こうももどかしい会話はそうそうお目にかかれない。官兵衛は心の中で舌打ちをしながらも、遊びを途切れさせぬように言葉を紡ぎ続ける。大谷はそれが楽しいのか、また笑みを浮かべた。
だというのに、官兵衛の目にはそれが悲しげな笑いに見えた。
「ならば、死も業も言うまいて」
「抵抗もなし。か、本当に珍しい」
「いや、一つ。
主に謎かけをしてやろ」
細められた目に惹きつけられる。
「老獪なお前さんの謎かけか。聞いてやろうじゃないか」
「快闊な主に甘えるとしよう。
主とかけて三成と解く」
わかるまい、と大谷が考えていることが手にとるようにわかった。
なので、何とか答えを導いてやろうと頭を悩ませる。しばらく考えてみるが、官兵衛の脳は答えを導きだすどころか、手がかりすら見つけることができない。本物の熊のように呻くと、大谷の笑い声が上から降ってくる。
「くすぶっていても仕方がない、か……。刑部、答えを教えろ」
不満ではあったが、わからぬまま放置しておくのも気持ちが悪い。渋々ながら、大谷に答えを聞く。
「陋見よな。まあよかろう。
主とかけて三成と解く。その心は――」
焦らすように間を置き、大谷は口角を上げる。
「どちらも、手に入らぬ夢を追い求めていやる」
楽しげな大谷に、官兵衛はただただ目を向けるばかりだ。
大谷が官兵衛の夢、即ち、天下を取るということを不可能だと揶揄するのは今に始まったことではない。だが、三成に対しては、そのような態度を取ったことはない。むしろ、三成の追い求める家康の首へ導いている。
「どうしたんだ! お前さんが、三成のことをそんな風に言うなんて……」
「やれ、もう遊びは終いか? 我は大層寂しい」
「いや、そんなことを言ってるんじゃなくてだな」
大谷は独特な笑い声を上げると、ふわりと輿の高度を上げる。おかげで官兵衛は、大谷を見上げなくてはならなくなった。
「……三成の真の願いはな、徳川の首ではない」
「雄たけびを上げるほど欲しているのにか」
「そうよ。三成が真に欲しているのはな」
大谷は空を見上げた。嫌味なほど青く澄んだ空は高い。
「太閤が甦ることよ」
零れるように紡がれた言葉は、官兵衛の心にすとん、と落ちた。
「――そりゃ」
「無理よ。無理。
次に願うは自身の死よ。だが、それも無理よ」
「お前さんが止めるからか」
「よぉくわかっているではないか」
大谷は高度を下げることなく、目的地へ向かって輿を動かす。
「あ、待てよ」
「ヒヒ、穴倉行きよ」
「何故じゃあああ!」
楽しげな笑い声を上げつつも、大谷の目はどこか悲しげだった。しかし、大谷の遥か下で、必死に走っている官兵衛がそれを知ることはなかった。
大谷はまた、独特な笑い声を一つ上げる。
あな 暗 生きよ
主とかけて三成と解く。
その心は――。
どちらも我に好かれたがために、夢を果たせぬ哀れな者達よ。
了
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・「どちらも〜」までは二人でしりとり
・「読み」違えると「黄泉」逝き
・「蝶が二匹揃えば〜」→蝶=虫+葉(は)
8(は)+8(は)=16(いむ)
・「この身と厄〜」→身(3)+厄(89)=国(92)
・「我の業と主の厄で互いに」→業(5)+厄(89)=苦しみ死ぬ(94)
・「死も業も言うまいて」→四(死)の五(業)の言わない
構成上、台詞が読みにくかったらすみません。
言葉遊びも不慣れで申し訳ないです。