いつも隣にいる。などというのは、夢物語でしかない。現実はそんなに甘くはない。
 ほんの数秒前までは言葉を交わしていた相手ですら、消えてしまうような世界だ。目の前で誰かが無残な姿になってしまうのを見ることも少なくはない。
 糞のような世界だと、ソーマは思っていた。それでも自ら死を選ぶ気にはなれなかった。親のこともあり、自分の体のこともあり、ソーマは幼いころから生と死の狭間ともいえる職についていた。
 世界と同じで、糞のような仕事だと思いつつも、ソーマはこの仕事がそれほど嫌いではなくなっていた。
「……よし」
 任務が終わり、手にしていたバスターブレードの先を地面につける。無線を通して帰還を伝える。
「流石だな」
 そう言って声をかけてきたのは、同じ任務についていたカレルだ。
 より多くのアラガミを討伐し、金を稼ぐことに執着している彼は、未だに第一部隊から離れて隊長になろうとしないソーマをよく任務に誘っていた。かつては死神と恐れられていたソーマだが、今では確かな実力や仲間思いな一面が周知の事実となっており、こうして任務に誘われることも多い。
 その中でも、無愛想なソーマを恐れず、尚且つ数をこなすことを好いているカレルとの任務は傍から見ても明らかなほど多かった。
 ソーマとしても、戦闘中に性格の変わるカノンや、世話焼きのタツミと任務につくならば、金に執着するがゆえに他人との距離を詰めようとしないカレルの方が幾分か気が楽だ。
「今回も報酬は山分け。それでいいだろ?」
「ああ」
 素っ気ない返事だが、カレルは気にした様子もなく鼻歌交じりにアナグラへと帰還していく。
 もしも、新たな隊を作ることになったとするならば、彼のような男をいれていれば楽なのかもしれない。頭の片隅でそう考え、ソーマは小さく笑った。
 どうせならば、一人くらいムードメーカーがいた方がいいだろう。そんなことまで考え始めた。何せ、ソーマは自他共に認める無愛想であったし、カレルは愛想はいいが場の空気を気にしない一面がある。
「そうだな。あの馬鹿くらいの奴が、案外いいのかもしれねぇな」
 遠くに見えるカレルの背を眺めながら呟く。
 脳裏に描いているのは、同じ一番隊に所属しており、リーダーと同期の少年だ。
 いつも明るく、時に馬鹿馬鹿しいほどの行動を成すがそれでも彼の誠意は感じてきた。今まで生き残ってきただけあって、実力も申し分ない。学習というものが嫌いらしく、昇進するのにはまだ時間がかかると言われている辺りも、仲間に引き込むには丁度いい。
 そうなった場合、第一部隊に残るのはリーダーとサクヤ、アリサの三人になる。リンドウはもう第一部隊として出動することはない。
「まあ、あいつならどうにかするだろ」
 まだ部隊を作るつもりはないのだが、こうした想像を巡らせるのは楽しいものだとソーマは最近知った。
 新型の神器を扱い、脅威のスピードで昇進を果たした第一部隊のリーダーは、アナグラ全体からの信頼がある。どのような任務だったとしても、彼について行く者が必ずいるはずだ。そこにソーマ自身が含まれているのは、当然とも言える。
「早くしろよー」
「わかってる」
 遠くの方で手を振っているカレルに言葉を返し、アナグラへ向かって駆け出した。
 生死の間をふらふらとしているような毎日だが、存外悪いものではない。こうして、誰かに手を振ってもらい、おかえりと言ってもらえるホームがある。それは、今も昔も変わらぬ幸せというやつなのではないだろうか。
 ささやかな幸福に胸を暖かくしているソーマがアナグラへ帰還すると、今にも泣き出しそうなアリサの姿が目に入った。
「どうした」
「……コウタが」
 先ほどまでソーマが思い描いていた少年の名前だ。
 アリサはその名前を言葉にすると同時に、目に溜めていた涙を零した。
 流石のカレルもただ事ではない何かを察し、真剣な目でアリサを見つめる。その間もポロポロと涙を流すアリサはどうにか言葉を形にしなければと躍起になっていた。
「コウタ、が、ヴァジュラの群れの中で、行方不明になりました」
 涙を頬に伝わせながらも、気丈に立っている少女の姿はどこか痛々しい。
「MIA」
 神妙な顔をしたカレルが零す。
 旧型の遠距離式を扱うコウタ一人が、ヴァジュラの群れを潜り抜けられるとは思えない。生きているとすれば、どこかに身を潜めているのだろう。それにしても、時間には限りがある。いつまでアラガミに見つからずにいられるか。いつまで体力が持つか。制限時間があることは、リンドウの一件からも明らかだ。
「今、リーダーが、タツミさんと、捜索に……」
「そうか」
 ソーマはアリサの頭を軽く撫でる。
 彼女はしたくない覚悟を、今しようとしている。その辛さをわからないソーマではなかった。
「まぁ、待つしかないんじゃないか」
 それだけ言い残し、カレルは自室へと足を進めて行った。
 直接的に死を連想させない言葉を選んだ分、彼にしては優しさを見せたのかもしれない。
「あの馬鹿……。一人、格好つけようとして、囮になったって……」
 家族のために、仲間のために、一生懸命に生きているような少年だ。誰かのために囮になる様子が想像できないわけではない。ソーマはアリサの愚痴のような嘆きを聞きながら、ソファに腰を降ろした。彼にできる唯一のことは、待つことだけだ。
「リンドウさんが、生きろって……始めに、教えたはずだって、言ってました。
 誰かのために、って考える前に、まずは生き残れる強さを。そして、助けられるような強さを。って……」
 確かにリンドウは、他人のために命を投げるようなことをするなとよく言っていた。しかし、当の本人は他人のために命を投げ出すような人間であったし、彼の後を継いでリーダーとなった者も似たような風だった。
 仲間のために、アラガミと化した男に立ち向かい、人として生きることを諦めるなというような者だ。そんな者達の背中を見て任務をしてきたコウタなのだから、こうなっても不思議ではない。
「……帰ってきたら、説教だな」
「そうですよね」
 ソーマの前にアリサが腰かける。目は赤くなっており、彼女の不安がどれほどのものかを明らかにしている。
 無理に作られた笑顔に触れることなく、ソーマはゲートを見た。動く気配のないそれは、棺桶のようにさえ見えてくる。
 このまま何も考えず、神器を片手に飛び出すことができたならば、どれほど楽なのだろうか。リンドウの生存が発覚したときと同じ憤りを彼は感じていた。何もできなかったとしても、結果を出せなくとも、行動したいと思うことがある。
 意味のない行動をして、アナグラを危険に晒したいわけではない。ソーマは拳を握る。それが彼に出来る最低限の感情表現だった。今も泣き出しそうな雰囲気を持っているアリサの前で、自分が焦れた様子を見せてはいけない。
 一分一秒が長く感じる。いっそのこと、新たな任務にでも出た方が気が紛れるのではないだろうか。ばらつく思考回路は、ソーマの焦りに比例して複雑に絡んでいく。
 粘りつくような時間が経過し、一日が終わろうとするころ、ゲートが音を立てた。
「リーダー」
 待ち望んだ人が帰ってきたことを示す音に、アリサが立ち上がる。まだわからない。まだ、誰と誰が帰ってきたのかわからない。
 ソーマも立ち上がり、ゲートを見つめる。ゆっくりと開く様子がもどかしい。
「……ただいま」
 そこにいたのは、リーダーと、タツミ。そして、泥だらけになって、申し訳なさそうにしているコウタだった。
「――馬鹿!」
 声を振るわしながら、アリサが床を蹴った。
「馬鹿! 馬鹿! 何してるんですか!」
「いや、その……ごめん。心配かけた」
 我慢することなく、コウタの胸でアリサは涙を流した。
 感動の再会を横目に、タツミはリーダーとソーマに軽く頭を下げて愛するあの子のもとへ向かって足を運ぶ。アナグラ全体がコウタのことを心配していたが、その中でも同じ部隊である第一部隊の面々が他の誰よりも不安に思っていたことをわかっているのだ。
 家族水入らず。ではないが、似たようなものだ。
 ソーマもコウタに近づき、困った顔をしている彼の頭を軽く叩く。
「何やってんだ」
「うっ……。それはー。そのー」
 どうやら、帰還の最中、リーダーにもしっかり絞られたらしく、コウタの表情は冴えない。
「で、でも! ちゃんと生きて帰るつもりだったんだ。
 それは本当だから! だから、隠れて隙をうかがってたんだ。ね? リーダー? そうでしょ?」
 助けを求められたリーダーは、一応コウタの言葉を肯定しておく。だが、それは一時的に身を守っているだけであって、生きて帰る算段ではないことも、しっかりと告げられた。
「そうですよ。ヴァジュラがその場から離れない可能性の方が、ずっと高いんですよ!」
「だ、だからさぁ……」
 リーダーが駄目なら。と、コウタはソーマに目を向ける。
「オレから言えるのは」
 呆れたような口調で、でも、どこか嬉しそうな声色で。
「おかえり。ってことだけだ」

END