ホテルの管理人など、やるものではない。グレゴリーは度々そう思う。けれど、この世界にそうなるべくして生まれてしまっているのだからしかたがない。楽しみがないわけでもないのが、せめてもの救いだ。
ため息をつきながら、廊下に落とされたバナナの皮を拾う。彼の仕事を増やしているのは、孫であるジェームスだ。毎日毎日、飽きもせずにグレゴリーの仕事の邪魔をしている。他の住人に悪戯を仕掛けている方が、こちらに被害がないのでマシだ。基本的に、自己責任自己防衛が大切なこの世界で、ジェームスの悪戯についてグレゴリーを責めるものはいない。
仕事とは別の面倒もこの仕事にはつきものだ。
「ジャッジメーン!」
突如、頭の上から聞こえてきた言葉に、顔をしかめながら声の主を探す。
天井から鉄球に乗って現れたのは審判小僧だ。満面の笑みを浮かべているが、彼と出会ってしまったグレゴリーは酷いしかめっ面だ。審判小僧の方も、それに気がついているはずなのに、気を使う素振りなど欠片も見せようとしない。
「ワシはお前に付き合っている場合ではないのだ!」
「まあまあ、そう言わずに」
拒絶の言葉を叩きつけてみたところで、全ては徒労に終わる。一見、まともそうに見える審判小僧ではあるが、彼もれっきとしたこのホテルの住人だ。人の話を聞いているはずがない。
訓練はどうしただとか、またサボりかだとか、そんな言葉は一切挟ませない。
「キミはとあるホテルの管理人。
つい先日、ホテルにいるとある住人が放った流れ玉に当たってしまった。
腹がたったキミは、その住人の部屋に彼の指名手配書と銃痕を残した。
キミの目論み通り、住人はしばらく部屋から出てくることはありませんでした」
この話には覚えがあった。と、いうよりも、本当につい先日の出来事だったのだ。カクタスガンマンが物音に怯えた末に、四方八方に銃弾を放った。そのうちの一つがグレゴリーに見事命中したのだ。
そのこと事態はホテル中で話題になっていたが、その後の顛末を知っているのはグレゴリーだけであったはずだ。
嫌な予感に、後ろを振り返る。
「しかし、キミの孫が住人にそのことをバラしてしまいました。
さあ、キミならどうする?」
グレゴリーの後ろに立っていたのは、銃を構えているカクタスガンマンだ。
心なしかその顔はやつれている。最愛の妹の呼びかけでも、部屋から出すことができなかったというのは本当らしい。
「グレゴリー!」
「貴様が悪いんじゃろうが!」
当たらぬ銃弾から逃げるように、グレゴリーは走り出す。後ろの方で審判小僧の笑い声が聞こえた。それがこの上なく腹ただしかったので、後々ゴールドに訓練をサボっていたことを伝えに行こうと心に決めた。
あいにくと、今日は猟銃を持っていなかったので反撃ができず、逃げることしかできない。走り回っているうちに、たどりついたのは食堂だった。扉を閉め、カクタスガンマンが追いつく前にテーブルの下へともぐりこむ。
「グレゴリイイイイ!」
引き金を引きながらグレゴリーの名前を叫び続ける。あの臆病者でも、怒るときは怒るのだと、何故かしみじみしてしまう。
「……うるさい」
カクタスガンマンの喚き声に、奥の扉からシェフが出てきた。グレゴリーからは、彼の表情がわからない。けれど、声色から彼が怒っているのがわかる。時間からして、今は昼食の仕度をしているところだったのだろう。
場の空気だけで、カクタスガンマンが逃げに走ろうとしていることがわかる。そもそも、純粋な力でシェフに勝てるはずがない。
「料理の、邪魔。敵!」
「うおおお! ちょっと待てえええ!」
騒々しい足音が聞こえ、扉が開いたかと思うと、勢いよく閉まった。
出て行ったのはカクタスガンマンだけのようで、まだ昼食の仕度が残っているシェフは再び奥の扉へと向かう。彼が厨房へ戻ったらテーブルの下から這い出そうと、グレゴリーは算段していた。
しかし、テーブルの下から見えていたシェフの足が止まった。グレゴリーが疑問に思っていると、シェフがその場に膝をついてテーブルの下を除きこんできた。
「ノオ!」
思わず立ち上がろうとして、テーブルに頭をぶつける。
「……グレゴリー。何をしている?」
「……いや、カクタスガンマンに追い回されておってな」
「そうか」
テーブルの下から出る。シェフの赤い目に覗かれるというのは、何とも言えない恐怖感があった。グレゴリーの背中は、まだじっとりと汗をかいている。
「せっかくだ。昼飯を食べていけ」
無表情で言われ、グレゴリーは渋々頷いた。ここで断れば、何をされるかわかったものではない。
「座っていろ」
久々に走って疲れていたこともあり、グレゴリーの体は椅子に馴染む。ここから離れたくないと思ってしまっても、罪はないだろう。
「あー。お腹空いた。
あれ? グレゴリーさん、ここで会うなんて珍しいですね」
「ボーイか……」
食堂に入ってきたボーイを、疲れ切った目で見上げる。
「何だか疲れていますね。さっき、カクタスガンマンが銃を撃っていたのと関係あります?」
銃声はホテル中に響いていたようで、ボーイは苦笑いを浮かべている。この世界にやってきて、どれほどの時間が経っただろうか。彼もこの世界の異常さに慣れ始めているものの、やはり突然銃声が聞こえれば驚きもするのだ。
逃げ出したあの臆病者は、もう追ってはこないだろう。またしばらくは部屋に篭る日が続きそうだ。そのことに安堵の息をもらしながら、ボーイの質問に頷きを返す。
「ジェームスの悪戯にも困ったものだ……」
次に出たのはため息だった。
幸せが消えてしまうと、一瞬思ったが、そもそも幸せがこの身に宿っているとは思えない。ついでにもう一つため息を落とす。
「ああ……。大変ですね」
ジェームスの悪戯といえば、被害者になったことがない者の方が少ない。つい先日、悪戯のターゲットにされたボーイは肩を落とす。バナナの皮程度の可愛い悪戯ならばいいのだが、彼がするの生死が関わってくることも間々あるのだ。
そんな彼からの悪戯を一番よく受けているのは、祖父であるグレゴリーであることは周知の事実である。
「さあ、喰え。
ボーイの分は、今、持ってくる」
厨房から現れたシェフの手には、暖かな湯気を出している食事がある。珍しく見た目も極普通であり、異臭もしない。
「おお。これは美味そうだ」
グレゴリーが食事に手をつける。おかしなものは入っていないのか、痙攣することも泡を噴くこともなく食事を進めていく。対して、次にシェフが持ってきたボーイの食事は、いつものシェフの料理だった。
紫色のスープに、蠢くパン。何を材料に作られているのか、わずかに異臭がする肉。
「うっ……」
思わず席から立ち上がりそうになるが、シェフがボーイをじっと見つめている。
「……い、いただきます」
あの包丁で真っ二つにされたいわけではない。
ボーイは大人しく食事を口に運ぶ。見た目の割りに、シェフの料理はまともだ。時折、ハズレがあって、それを口にした場合の痙攣や泡を除けば。
「次の、用意、する」
次に来るであろう住人の食事の用意をするのか、シェフは再び厨房へ入っていく。その様子を見て、ボーイが安堵の息をつく。
「残したら、許さなーい」
「あ、ああ。もちろんさ」
逃げてしまおうと思っていたのが筒抜けであったらしい。顔を青くしたボーイの隣で、グレゴリーが意地悪げに笑っている。見れば、彼の食事はほとんど終わりかけている。
「……ボク、思ったんですけど」
「なんでしょう?」
「グレゴリーさんって、何だかんだで好かれてますよね」
目が丸くなる。
何度も瞬きをして、ボーイを見つめている。
「シェフもグレゴリーさんには普通の料理を出しますし。
たぶん、ジェームスもグレゴリーさんにかまってもらいたいから悪戯しているんですよ」
「それは……非常に迷惑なことですな」
「はは。そう言わないでくださいよ」
ボーイは思い当たる住人を指折り数えていく。
「審判小僧もグレゴリーさんをジャッジするのが好きみたいですし、ロストドールもグレゴリーさんの言うこと聞きますよね。キャサリンや、ミイラ親子とも仲良いですし」
グレゴリーは管理人という仕事柄、住人達と接することが多い。自己中心的で他人と関わろうとしない彼らと、よく会話をしているグレゴリーは、確かに仲が良いといえるのかもしれない。
だが、欲望が織り成す世界で、好かれているなどあるのだろうか。グレゴリーは半目でボーイを睨みながら考えた。
ない、とは言い切れない。審判小僧やゴールドに見られるような師弟愛がある。カクタス兄妹に見られる兄弟愛が、ミイラ親子やクロック親子のような親子愛がある。
「……やはり、とんだ迷惑ですな」
「えー。何でですか」
「一方的な愛情ほど、わずらわしいものはないのでございますよ。お客様」
そう言って、グレゴリーは邪悪な笑みを浮かべた。
END