とらは何だかんだ言いつつも、どんな奴にだって優しい。
「おい、大丈夫かよ?」
 ほら、また誰かを助けてる。とらはよくオレのことをお人好しだとか言うけど、とらも結構お人好しだと思う。いつも何かしら理由をつけて助けてくれるんだ。
 オレはそんなとらが好きだけど、他のヤツラもとらのことが好きになるのは、ちょっと嫌だ。
「ありがとうございます……」
 ああもう! そんな顔を赤くしてとらを見るなよ! とらはオレのなんだからな……。
「別におめぇを助けたわけじゃねーよ」
 嘘だってすぐにわかる嘘をとらはつく。とらに助けられた女の妖怪も、オレもとらに騙されたふりをするけどな。
「けれど、結果的には助けられました! なにとぞお礼をさせてくださいませ」
 とらは少し考えてオレの方をちらりと見た。とらは優しいからオレに気を使ってくれてるんだ。だから、オレは行ってこいよと言った。オレだってもう立派な妖怪だ。
 一人で飛べるし、簡単には死なない。いざとなれば今も何故かオレの手の内にある獣の槍がある。
「んじゃ、行くとすっか」
 オレの許しなんて、一々得る必要ないのに……。あ、でもそれはそれで寂しいから嫌だな。
 とらを縛っておくことなんてできないってわかってるけど、縛っておきたくなる。ようやく人間と妖怪ではなく、妖怪と妖怪になれたというのに、オレ達の距離は離れていくばかりな気がしてならない。
 そんなことないよな?
 とらは優しい。でも、同時にたらしだ。それも無自覚だから性質が悪い。
 さりげにレディーファーストだったり、あの低い声でそっと囁いてみたり、大きな手でギュッと抱き寄せたり。そんなことをとらは平然とやってのける。
 あいつは馬鹿だ。囁く必要なんてないのに、抱き寄せる必要なんてないのに、何でそんなことをするんだよ。お前がそんなんだから、オレはいつ間で経っても何も言えないんだ。
 オレが妖怪になるほど強く願った思いは、今もオレの胸の中にしまわれたまま。たった二文字の言葉なのに、どうして言えないんだろう。言ってしまえば、とらはあんな風に女のところに行かないかもしれない。
「すき」
 独りになってしまった空の上でオレは声を出した。
「スキ」
 誰もいないところなら、簡単に言えるのに、本人の前では言えないなんて、なんて馬鹿らしいんだろう。
 なあ、広くて青いお前ならオレの思いをとらに伝えられるんじゃないか? 頼むから、伝えてくれないか? 昔から、オレが人間だったころからずっと好きだったんだ。
 そして、願わくばとらがオレ以外の奴を見なくなればいい。とらがオレだけのものになればいい。
 オレは自由気侭に生きるとらが好きだけど、自由なとらを見てると、いつかオレの前から消えてしまうんじゃないかと不安で壊れてしまいそうになる。
 オレが気持ちを伝えれば、とらはオレのものになってくれるかな?
 オレはとらのものになれるのかな?





 あっさりとわしを見送ったうしおを忌々しく思いつつ、助けた女の後をついて行く。なんでも極上の酒を振舞ってくれるらしい。
 別に助けたくて助けたわけじゃねぇ。ただ、女を追いかけていた奴がわしの楽しみを邪魔したからぶちのめしただけの話しなのだ。わしの楽しみ、うしおと話すこと。
 あの馬鹿は気づいちゃいねぇだろうがな。
「あそこが私の棲みかでございます。あまり綺麗な場所で申し訳ないのですが……」
 女は恥ずかしそうに言う。確かに昨日の雨のせいで水溜りがいくつもできていて、綺麗とは言いにくいが、それほどきたねぇ場所でもない。
「言うほどきたねぇ場所でもねーだろ」
 わしがそう言うと、何故か女は顔を赤くした。
「ありがとうございます……」
 嬉しそうに笑い、地面に降りたとうとした先には水溜りがあった。そのまま地面に降りたてば間違いなく女の足は泥だらけになるだろう。
 別に女が泥だらけになろうが関係ねぇが、酒を持ってくるのは女なのだ。泥を落とすためにと待たされてはかなわない。
「ぼけっとしてんじゃねーよ」
 女の手を掴み、わしの方に引き寄せると、女はわしの胸に飛びこんできた。それほど強く引っ張ったわけじゃねぇんだが……。
 想像以上にこの女は弱いのかもしれんと考えつつ、わしは水溜りのないところに降り、女を降ろした。
「お酒……。お酒、持ってきますね!」
 さっきから、何で女の顔が赤いのかわしには理解できん。
 まあ、酒を持ってくるってんだから文句はねぇけどよ。
 女の棲みかの前にあった具合のいい岩に腰をおろし、置いてきたうしおのことを考える。
 あいつも妖怪になってだいぶ経つ。人間として生涯を終えるのだとばかり思っていたあいつが、まさか妖怪になるなんざぁ思いもしなかった。
 もう一つ、予想外なことがあった。妖怪になってから、あいつは負の感情を見せるようになった。うしお自身、そのことに気づいてないだろうがな。
 わしはあいつの想いを知ってる。あんなわかりやすい奴のことなんざぁ全てお見通しなんだよ。
 今日も、女とわしが一緒に行くのを見て、そこいらの雑魚なら射殺せそうな目をわしに向けてきやがった。んなに気に喰わねぇんなら、止めりゃあいいってだけの話なのによ。
「長飛丸様。お酒をお持ちいたしました」
「わしはとらだ。長飛丸って呼ぶんじゃねぇ」
 遠の昔に捨てた名だが、未だにわしを長飛丸と呼ぶ奴は多い。
 わしの言葉を女は素直に聞きいれ、酒瓶をわしに渡した。
 女が持ってきた酒は確かに極上の妖酒だった。深い味わい。人間どもならば口に含むこともできないくらいの強さ。久々の上物にわしは満足した。
 わしが酒を飲んでる間、女はわしの隣にただ寄り添うだけ。せっかくのいい気分を害されないだけマシだが、ただ横にいるだけってのも妙な気分だ。
「とら様。また、お会いできますでしょうか?」
 酒がそろそろ底をつくというころ、女が切り出した。
「あ?」
 何で会わなきゃなんねーんだよ。
「もっととら様のことを知りたいのです」
 甘い声を出し、わしの首に腕を絡めてくる。
 そういう欲がないわけじゃねぇが、わしはどっちかっつーと戦闘欲の方が強い。第一、昔ならともかく、今はこんな女とヤリてぇなんざぁ思わねぇ。
 黙って女を引っぺがし、地面に投げ捨てる。
「酒は美味かったぜ」
 わしを手に入れることはできねぇ。
 わしはもう、あいつのものだからな。


END