手にした小さな機械を開く。
シンプルなディスプレイ。アドレス帳には二人分の電話番号。
これが世界に繋がるなんて、馬鹿馬鹿しすぎて笑いが零れる。精々、知りあいとの繋がりを見せるだけだ。
小さな繋がりを持った機械が震える。ディスプレイに写っているのは上司の名前だ。一瞬、このまま電源を落としてやろうと考えたのに、気づいたら通話ボタンを押している。
「……なんだよ」
「一時間後に事務所に来い」
用件だけ告げられ、電源は切られる。
かけなおすという選択肢はなく、蝉はうめき声を上げながら電車に乗るため足を進める。
何が世界と繋がるだ。この機械はただの首輪だ。今、彼の首についているチョーカーよりも、もっと首を締め付けてくる。鎖よりも強固に縛りつけている。けれど捨てるなんて考えられない。考えたとしても、実行に移すことなんてできやしない。
悔しいが、それは事実なので唇を噛み締める。
いつだったか、上司である岩西に言われた言葉を思い出す。
「全部オレになれば楽になるぞ」
その言葉が地獄へつき落とすプロポーズに聞こえた。
電車に駆け乗り、舌打ちをする。
「嘘ばっかりだ。嫌い。大っ嫌いだ」
知らないうちに全部岩西になってしまっていた。
楽しいことも、楽しくないことも。好きなことも憎いことも。全てが岩西に直結している。何て滑稽な人形劇なのだろう。
電車を乗り過ごしてしまえば楽になれるのにと呟きながら、いつもの駅で降りていつもの道を歩く。これは人形劇ではない。ラジコンか何かだ。遠隔操作されている。誰か助けるべきなのだ。
事務所が近づくと気分がよくなる。スキップでも踏みたい気分だ。
ふと、もうすぐ十五夜だと思い出す。去年は岩西と団子を食べたと思い出す。
「ほら見てみろ」
一年中の行事が岩西だ。胸糞の悪いことに。
「きたぞー」
鍵のかかっていない扉を開ける。
「おー」
奥から声が聞こえる。
仄かに香る美味しそうな匂いに、蝉は今度こそスキップする。
「埃たてんなよ」
「うるせー」
テーブルには肉やら魚やら、様々な料理が並べられていた。お前が作ったのかと尋ねると、当たり前だろうと返される。
「で、今日は何の日なんだ?」
「さあな」
「はあ?」
何の日でもないのに、こんな料理を用意したというのだろうか。岩西は時々不可解な行動をする。
楽しげに笑いながら、ただ作りたくて、お前も呼んでやろうと思ったと告げる。顔が赤くなるような気がした。
「ま、たまにはな」
たまにはではない。このようなことは割りとよくあることだ。そのことを言わなかったのは、岩西の気まぐれイベントに付き合う自分が嫌いではないからだ。
ポケットの上から携帯の形をなぞる。この小さな機械がこのイベントを支えている。
「しかたねーから食べてやるよ」
「別に無理する必要ねぇんだぞ」
軽口を叩きながら、食事をしていく。
こんなとき、邪魔をするように携帯が鳴ったりするのが漫画や小説ではセオリーなのだろうが、蝉の携帯は決して鳴らない。空気の読めている奴だと、一人ほくそ笑む。殺している間はいつ岩西の邪魔が入るかわからないが、目の前に本人がいるのだから平気だ。
蝉の携帯は鳴らないが、事務所の電話は鳴る。
「おっと、客か?」
嬉しそうに顔を緩めて受話器を取る。
汚い笑みを浮かべながら電話の向こう側の相手と交渉しているようだ。蝉はスプーンを咥えながら不満気な目を向ける。仕事が入ってくるのは嬉しいことだ。しかし、この時間が潰されるのは気分の良いことではない。
「蝉、喜べ。仕事だ」
「しかたねーからやってやるよ」
薄い笑みを浮かべてやる。
すると、岩西も嬉しそうに笑うのがほんの少しだけ嬉しかったりした。
「ま、飯でも喰いながら説明してやるよ」
人殺しの仕事について、肉を食べながら話すなんておかしな話だ。けれど、そんなことを気にするような人間はここにいない。
END