存在しない時間に、あの人は消えてしまった。
自分の道を真っ直ぐ進んで、笑って死んでいった。先輩達は勝ち逃げだと言っていた。たぶんそうなのだろう。あれほど満足気な表情をした人間を、ボクは見たことがない。でも、やっぱり納得なんてそう簡単にはできない。
ボクは納得できない感情をどこかに置いて、前へ進んでいく。あの人もそれを望んでいるだろうしね。
もうすぐ全てが終わる。十二体のシャドーを全て倒し、影時間を消し去ってみせる。そんなことを誓い合ったはずなのに、全員が揃って誓いを果たす日はこないのだ。
ボク達はあの人のおかげで理解した。人は死んでしまう。あっさりと、悲しみと虚無感を置いて行ってしまう。
「……悪ぃ。今は、一人にしてくれ」
「ごめん。あたしも」
仲間達はそれぞれ、自分の中の靄を晴らすために何日か夜を使った。部屋の中で引きこもる者もいれば、タルタロスへ向かう者もいた。ボクは先輩と共にタルタロスへ行った。
泣くことはできなかった。悲しかったけれど、辛かったけれど、不思議と涙は出なかった。ただただ、片手剣を振り回した。強くなるにつれ、あの人に近づいていけるような気がした。
「オレが言うのも何だがな」
帰り道、真田先輩に告げられた。
「あまり無理するなよ」
この人は優しい人だ。いや、仲間達はみんな優しい。
「平気です」
出会って数ヶ月のボクよりも、先輩達の方が悲しいはずだ。
「そうか」
第一、いつまでもあの人のことを思い、引きずっていてはいけない。仮にもボクはリーダーだ。前を向いて順平やゆかりを引っ張っていかなければならない。そのためにも、あの人のように強くなりたい。
拳をギュッと握る。影時間を戦いで過ごすようになってから、力はついた。けれど、それだけでは強くなれないのだ。
「オレ達は生きてる」
「はい」
「だから、前を向くぞ」
「はい」
緑色の空に浮かぶ月が憎らしい。
それから、寮につくまでボク達は黙ったままだった。前へと手を引いてくれるのではなく、そっと背中を押してくれるようで、ボクはまた先輩を思い出した。人間の感情というのは、どうしてこうもコントロールできないものなのだろうか。
「あ、ボクちょっと水飲んでから寝ます」
「ん? そうか。じゃあおやすみ」
「おやすみなさい」
二階へ上がっていく真田先輩を見送り、コップに水道水を入れる。自分でも気づかなかったが、よほど喉が乾いていたらしい。体全体に水が行き渡る感覚があった。コップを洗うのが面倒で、流し台に置いて二階へ上がる。明日、ゆかり辺りに怒られるかもしれないな。そんなことをぼんやりと考える。
廊下を歩く。扉の前を通り過ぎる。不意に、足が止まった。
「…………」
顔は動かさず、眼球だけを左へそらす。プレートが消えた扉。つい最近までは人の気配がしていた部屋。体の向きを変え、扉と真正面から向き合う。右手を上げて、ドアノブを掴む。そのままボクは固まってしまった。
ノブを回すのは簡単だ。部屋の中に入るのも簡単だ。けれど、この先を見たくない。
息を吸い、ゆっくりと吐く。
右手に力を入れ、ゆっくりとドアノブを回した。
逃げているつもりはない。死を受け入れ、次へ進もうとしている。そのけじめだ。自分を奮い立たせる。
「よお。どうしたんだ」
「荒垣先輩っ……!」
思わず声を出す。けれど、聞こえた声は幻聴で、開かれた扉の先には生活感のない空間が存在しているだけだった。
「先、輩……」
当然返事はない。手元を探り、電気をつける。
元々、この部屋の主は私物を置いていない。だが、今では本当に何もない空間になってしまっている。ぼんやりとその空間を眺めていると、机の上に小さな箱を見つけた。近づいて中を見て見ると、そこにはあの人の私物が入っている。
いわゆる遺留品というやつなのだろう。
帽子やコートに混じって、共に戦ったあの夜に手渡した装備品が入っていた。天にいる先輩にちょっと失礼します。と、声をかけてそれらを手に取った。服や靴はボクとサイズが違うので、身に着けることはできない。でも、これは違う。
ずっしりとした重さが腕全体に伝わる。
「先輩。お借りします」
「好きにしな」
自分勝手な幻聴に、思わず口角を上げる。目に映るのは大きなハンマーだ。あの人はいつもこの武器を使ってくれていた。
頼るわけじゃない。依存するわけじゃない。この武器と共に、終わりを見るのだ。一緒に、あの誓いを果たすために。共に戦うために。
次の日の影時間で、ボクは周りから武器を変えたのかと聞かれた。その度にボクは頷く。
「荒垣先輩も一緒に、ね」
ボクらは戦う。死しても向かう先は同じだ。
END