気温は低く、風は強い。視界は雪のため、良いとは言いがたい。それでも、二人の少年は山を登った。
「大丈夫か?」
「うん、ボクは平気。
ゴールドは慣れてるみたいだね」
Nが言う。暖かいコートに身を包んでいる彼とは違い、ゴールドは地上にいるときとそれほど変わらない服装だ。靴もどこにでもあるようなランニングシューズで、登山に適しているわけではない。
それでも彼はさくさくと登って行ってしまう。少しでも離れれば、視界の悪さから離れ離れになりかねない。そのため二人は手を繋いでいる。
「オレは何度も挑戦してるからな」
「まだ勝ててないんだっけ?」
「ああ。でも、いつか絶対に勝ってみせる!」
ガッツポーズをして、高らかに宣言する。
本日、この二人がシロガネ山を訪れたのには理由がある。
Nとゴールドが出会ったのは一ヶ月ほど前だった。世界を見るために旅をしていたNは、伝説のポケモンと共に生きているゴールドを見て興味を覚えた。この世界に英雄は一人ではない。二人でもない。伝説に愛された人間は多くいるのだと始めて知った。
その日から、Nはジョウト地方に度々立ち寄るようになった。毎日顔をあわせていたわけではないが、同じポケモンを愛する者同士、打ち解けるのにそれほど時間は必要としない。そんな時だ。ゴールドの口から伝説のトレーナーについて聞かされたのは。
曰く、数年前に悪の組織を一人で潰した。極寒の世界で己を鍛えている。世界最強のトレーナー。
まるで自分のことのように、瞳を輝かせてゴールドはレッドについて語った。
Nは伝説を見てみたかった。英雄となった少年に尊敬される伝説を自分の目で確かめたかった。そのことを彼に伝えると、二つ返事で了承してくれた。
そして今、二人は伝説に会うべく雪山を登っている。
「あと少しだ」
「それ、さっきも聞いたよ」
苦笑いをしつつも足を動かす。ポケモンの背中に乗って行けば早いのだろうが、伝説に会うというのに楽をするのはいかがなものかと思った。
「よっしゃ! 頂上だ!」
「ここが……頂上」
はしゃぐゴールドに対して、Nは呆然と辺りを見回す。相変わらず視界は悪いが、何もない場所だということはわかった。広い空間がぽっかりとそこに存在している。
こんな場所で人が生きているとは思えない。
「レッドさーん。レッドさーん」
手を離したゴールドは、両手を口元にそえて伝説の名前を呼ぶ。その様子を見ていることしかできないNは、胸をざわめかせていた。
心臓が止まったように感じた。Nの視界に、赤い色が映ったのだ。
「……バトル、する?」
感情の読めない瞳なのに、口元は薄っすらと笑みを浮かべている。
歳はそう変わらないだろうに、彼からは言い知れぬ威圧感があった。
「あ、今日はこいつを紹介したくて」
「友達?」
問われた言葉に、少し嬉しくなる。ポケモンの友達が増えるのも嬉しいが、人間の友達が増えることも嬉しい。後者は最近までいなかった分、喜びが大きく感じられる。ゴールドが笑顔で肯定してくれたことも、大きな喜びの一つだ。
「はじめまして。ボクはレッド」
「Nといいます」
手を差し出されたので、握手を交わす。冷たい手のひらだったが、こんな場所にずっといるのだからしかたないだろう。Nはその冷たさ以上に気になったことがあった。けれど、それは今問うべきことではない。開きかけた口を閉じる。
レッドは無口な人物のようで、握手した態勢のまま動こうとしない。Nも手を離すことができず、だからと言って口を開くこともできず、二人は凍ってしまったかのように動かなくなった。
こうなればゴールドに助けを求めようと、視線をそらす。しかし、目が合うことはなかった。
ゴールドはポケギアで幼馴染の女の子と会話をしていたのだ。何やら約束を忘れていたようで、今すぐ戻ると電話ごしに頭を下げている。
「ごめん、オレ戻らなきゃ!」
「え、ならボクも……」
共に帰ろうと、握手していない方の手を伸ばす。
「レッドさんはすっげートレーナーだから、色々話聞いてみろよ。面白いからさ!」
底抜けに明るい笑顔が返され、何か言葉を投げる前に彼はホウオウに乗って山を降りていった。
「…………」
「…………」
残されたのは無口な伝説と、どうしたらいいのかわからない少年だけだ。
「あ、あの……」
とりあえず、手を離そうと口を開く。
「ボクに何か言いたいことあるんでしょ」
レッドはあっさりと手を離して尋ねた。
心の内を読まれたことに驚いていると、彼は小さく微笑んで言った。
「顔に出てたよ。ゴールドほどじゃないけど、君もわかりやすいね」
こっちへおいで、とレッドが歩いていく。視界が悪くとも平気で歩くことができるくらいこの場所に慣れているようだ。慌ててNもその後を追う。二人が向かった先には小さな洞窟があった。
中に入ってみるが、ごく普通の洞窟だ。古びた寝袋と中央にある焚き火だけが人の存在を主張している。
「寒いでしょ」
「ありがとうございます」
焚き火を挟んで二人は向かい合う。
冷え切っていた体が温まっていくのを感じていると、レッドから言葉を投げかけた。
「ボクを見て、がっかりしたでしょ」
端に置かれていたカバンの中を探っている。Nがどう返すべきか悩んでいると、缶詰が投げられた。
「どうぞ」
「どうも……」
彼なりのもてなしなのだろう。
「ボクの噂を聞いて、ここまできた人は大抵二種類の反応をする」
吹雪いている外の風景を眺めながらレッドはポツリポツリと零していく。
「喜んでバトルを挑んでくる人。そう、ゴールドとかね。
そして、ボクの姿を見てがっかりする人」
伝説とまで呼ばれている者が、まだ子供かと思い、所詮噂は噂だとあからさまに落ち込む。彼らがどのような人物をイメージしているのかは知らないが、それを勝手に押し付けられるのは面白くない。
「後者の人の方が多いし、君ががっかりしたことはすぐわかったよ」
「すみません」
否定することは無駄だと判断し、Nは素直に頭を下げる。
「いや。別に怒ってはないよ。ただ、君は他の人とちょっと違ったみたいだから」
外見ではなく、何にがっかりしたのかが聞きたかった。
黒い瞳にじっと見つめられ、Nは視線をそらす。濁りのないあの目に見つめられると、口を動かせなくなってしまう。
「……英雄じゃないんだな、と」
「英雄?」
Nのいう英雄は、伝説のポケモンに愛された者だ。各地方で伝説と崇められるポケモンは、心が清く、世界を変えることのできる者を愛する。
ゴールドは間違いなく英雄だった。伝説のポケモンであるホウオウに愛され、ジョウトをロケット団から救った。だが、レッドは違う。確かに数年前ロケット団を滅ぼした偉大な人物だ。けれど、それだけなのだ。
「あなたは、その……」
「そうだね。ボクは普通の人間だよ」
伝説のポケモンと会ったことがないわけではなかった。神々しい姿を見つけ、思わず手を伸ばしたが、彼らはレッドの手をすり抜けていったのだ。
「ゴールドや君とは違う」
悔しいと思ったことはなかった。人はできることとできないことがある。レッドは自分のできることをしていればいい。
「……引きとめてごめんね。ふもとまで送るよ」
洞窟から出たレッドはモンスターボールからリザードンを出した。
「あ、ボクはレシラムがいるので……」
続いて外に出たNはレシラムを出す。
白い体は雪と混ざっているようにも見えた。
「……すごい」
見れば、レッドは目を丸くして笑っていた。頬は紅潮し、興奮していることがわかる。
「ホウオウと同じだ。神々しくて、威圧的」
レッドはNと向きあう。
「バトルしよう」
まるで新しい玩具を見つけた子供のような瞳で、トキメキを抑えられないということを体全体で表現して、レッドは勝負を挑む。
断ることなどできはしないのだ。
END