でかいヤマではなかったが、最高に後味の悪い仕事だった。
本人の願いだったとはいえ、知らぬ方がいい真実というものが存在する。そんなことを理解させられてしまった。信じていた息子と、孫だと信じて疑わなかった存在を彼は失くしてしまったのだ。仕事を終えたとはいえ、心が軽やかになるはずもない。
年をまたいでマコトの心を覆っていた靄はそう簡単には晴れない。気分を入れ替えようと前向きな考え方をしてみたところで、後味の悪さが変わるわけではなかった。
適当に店番をこなし、CDショップやウエストゲートパークで暇を潰していても心はどこか薄暗い。世間では新春なんて言葉が使われているが、気温はまだまだ寒い。凍えるような冷たさが、マコトの心の靄を停滞させているのではないかとまで思えてくる。
ため息とまではいかないが、限りなくそれに近い意味合いで息を吐く。白い煙になったソレは、すぐに霧散して消えた。
「怪我は治ったのか?」
背後から唐突にかけられた声。
マコトの心臓は一瞬で跳ね上がったが、それを顔には出さない。意地を張っているわけではないのだが、ビビったと思われるのは少しばかり癪だった。
「相変わらず耳の早い王様だこって」
「お前のことは嫌でも耳に入る」
恐ろしい王様だ。マコトは肩をすくめて、友人であるタカシへと目を向ける。
珍しいことだったが、彼の周囲に取り巻きの姿が見えない。少し遠い所に車が止まっているが、それだけだ。わずかな距離とはいえ、彼が一人で歩いているというのは珍しい。
本格的な春が訪れる時期が延期にならなければいいが、とマコトは心の中で呟く。しかし、タカシからしてみれば、マコトの心中など察するまでもなく顔に出ているようなものだ。
「あまり良い結末じゃなかったんだろ?」
「そんなことまで知ってるのか」
依頼人との間には守秘義務が発生するんだぞ、と冗談交じりに言ってのける。
元々、正式な契約をしているわけでもなければ、金を受け取っているわけでもない。守秘義務などないようなものだ。もっとも、マコトは他人の事情についてペラペラと話すような性格はしていないので、依頼をしてきた誰かさんのプライバシーは守られているが。
「細かいところは知らないが、連日お前がここで暗い顔をしていると情報が入ってくるからな」
誰かさんのプライバシーは守られていても、マコトのプライバシーは守られていないらしい。
マコトは一瞬、眉をひそめる。この池袋で王様を睨むような仕草をする人間は少ない。だが、彼はそれが許されている人間だ。タカシの護衛も、彼自身もそれを認めている。
「……もしも、オレがここで死んだら、お前はでっかい花束を持ってくるんだろうな」
依頼の話をするのが嫌で、適当に話をそらす。ただし、マコトの発言は依頼を受けている最中に考えていたことだったので、まったく違う方向にそらすことはできていなかったのだけれども。
話がそらされたことに気づかぬほど、タカシは愚鈍ではない。しかし、あえて乗ってやる程度にはマコトに対して優しい王だった。
「Gボーイズから一輪ずつでも集めてやろうか?」
「どうせなら、Gガールズから集めてくれ」
むさい男で埋まるのは、アドレス帳だけで十分だ。
「サルもきっと、でっかい花束を持ってきてくれるだろうな」
ヤクザとして出世している男だ。見栄えのいいものを持ってきてくれるに違いない。マコト自身はあまりヤクザという職業に足を突っ込みたくはないが、幸か不幸かあちらさんからはそれなりの評価を受けている。花束を作る程度のことに金は惜しまないだろう。
どでかい花束、とまではいかないだろうけれど、礼にぃや吉岡も小さな花束を持ってきてくれるに違いない。彼らは警察官に相応しく市民を愛してくれている。マコトとの個人的な付き合いも長い。
悲しむべきは、そこに麗しい美女がいないことか。
「花で埋まるだろうな」
「は?」
タカシの言葉に、マコトは間の抜けた返事しかできなかった。
話がどう繋がっていたのかがわからない。英知溢れる王の言葉を受け取るには、民草の思考能力は低すぎたのかもしれなかった。
「お前が死んだら、この公園は花で埋まるだろうな」
改めて言われ、マコトは少し周囲を見渡す。
小さな公園ではない。この敷地を花で埋めようと思ったら、ちょっとやそっとじゃすまないだろう。
「ニュースになっちまう」
やっとのことでそう返した。
タカシにしてはらしくない冗談だという気持ちを込めて。
「お前は、自分がどれほどの影響力を持っているか自覚した方がいいな」
呆れたような、それでいて安心しているような笑みだ。けれど、それは暖かい笑みなどというものではない。タカシに似合わないという点でいえば、暖かかろうが、冷たかろうが同じなのかもしれないが。
マコトはタカシの顔を見ながらも、納得できないという表情を見せている。
自分を無価値だと思ったことはないし、世界中の人間から見えていないような存在として扱われているとは思っていない。それなりに仲の良い奴はいるし、友人も、知りあいも、多い方だとは自負している。
それでも、この広い公園を埋め尽くせるほどの人望があるとまでは驕っていない。
マコトからしてみれば、それこそ縁起でもない例えだが、タカシが死んだという仮定だったのなら、花で埋まるという言葉もわからなくはなかった。王様の葬儀はそれに相応しく派手であるべきだ。対して、民の葬儀はひっそりと行われるべきものだろう。
どのように頭を捻らせてみても、己が王のような見送りをしてもらえている光景が思い浮かばない。
「でかい花束と、小さな花束と、そうだな。あとは、一日中クラシックが流れているような公園になるかもしれないな」
ボランティアでゴミ拾いをするよりも、ずっと町の景観を美しくする出来事だろう。マコトは己の死後について喜べばいいのか嘆けばいいのかわからない。反応に困った末に浮かんだのが苦笑いだ。
期待するわけではないが、閑散としてしまっているよりかはマシかもしれない。
「じゃあ、お前が責任持てよ?」
苦笑いではなく、普通の笑みを浮かべて言う。
「期待させるだけさせたんだ。この公園を花だらけにして、クラシック流して、そうだな、ついでに果物もたんまり供えてくれよ」
周囲の気温がまた下がったのをマコトは肌で感じた。
視線の先にいるのは、いつもと変わらない王様。しかし、付き合いの長いマコトには、彼が怒っているのだということがわかった。本気の怒り、というわけではないが、逆鱗を軽くなぞったとでもいうのだろうか。
マコトは自分の迂闊さを呪った。
「ありえないな」
「……自分で言ったくせに」
否定の言葉を紡いだタカシに返す。
この軽口を止める術もマコトは学んだ方がいいのかもしれない。
「お前がそう簡単に死ぬものか」
そう言いながらも、タカシはその可能性を危惧していた。
人は簡単に死ぬ。そんなことはストリートで生きていれば自然と理解する事柄だ。まして、マコトは危険なことにでもすぐに首を突っ込む。怪我だけではすまないような事件に巻きこまれたことも少なくはない。
だからこそ、彼はマコトを密かにではあるが、監視下に置いている。
できる限りの危険からマコトを守るために。
「王様がそういうなら」
「ついでだ。面倒なヤマには関わらないようにしろ」
「それは無理だな」
命令とばかりに言ってみたが、マコトはすぐに却下を言い渡す。
誰かに言われて止まるのならば、とっくの昔にトラブルシューターなど止めている。これはもはやどうにもできない。
END