起きてみるとボンサイカブキはいなかった。
少々痛む腰を叩きながら、さっさと着替えてしまう。テーブルの上に置かれていた水を見て、あいつも気が利くところがあると感心する。
結局、真実の愛とやらについては聞けなかった。どうしたものかと思いながら、パブリックフォンはホテルを出る。外に出ていれば目的の人物に会えるだろうという楽観的な考え方だった。
「あー、あいつこねぇな」
いつもならばすぐに見つかるというのに、今日に限って見つからない。合図を送ればすぐにやってくるとわかっているのだが、負けたような気がするのでそれは嫌だった。
意地になり、土を蹴りあげながら知っている道を迷わず歩いていく。目的の人物に会えないのならば、また別の人物を目的の人にすればいい。
苛立ちは収まらなかったものの、他に考えられる手段などない。交友関係は広いが、親密さは無に等しいのだ。
「おーい」
腐った木でできた扉を叩く。少し力を入れただけで表面がボロボロと崩れ落ちる様子はいつ見ても気味が悪い。
「なんだ君か」
「ここに来る人間なんて限られてるだろ」
出てきたのは干からびた死体だ。風が吹いただけでその体を維持できない彼らは、いつも地下に潜って出てこようとしない。
「今日は何の用? お酒ならないよ」
「マジかよ!」
「うん。ちょうどなくなったとこ」
パブリックフォンは心底残念そうに眉を下げる。どこから調達してくるのか知らないが、干からびた死体の持っている酒はいつも美味しい。三人で酒盛りをすることだって珍しいことではない。
「ちぇー。まあいいや。寒いし入れて」
「どうぞ」
地下は意外と暖かい。干からびた死体が温度には気を使っているからかはわからないが、いつも寒くも暑くもない。
テーブルの上にあるチェスやトランプといったボードゲームを適当に取る。ここで遊ぶのは楽しい。むろん、ボンサイカブキをしたこととは違った楽しみ方だが、パブリックフォンにとって大切なことは何をしているかではなく、楽しいかどうかなのでどちらも同じことだ。
「ポーカーでもしようぜ」
「ヤダよ。キミすぐにイカサマするだろ」
何度もゲームをしていれば、嫌でもイカサマに気づく。かなりの数をしなければわからないので、パブリックフォンのイカサマはかなり上手い。干からびた死体は未だに彼がどのようなイカサマをしているのかわかっていないのだ。わかっているのは、それをしているという事実だけだ。
「タクシーがいたらするじゃねーか」
「あの人はキミのイカサマを見破ってくれるからね」
この三人は上手く調和しあっている。本人達は気づいていないが、周りはみんな気がついていることだ。
パブリックフォンも、暇なときは自然とここへ足が向かっているあたり、居心地が良いことは間違いないのだろう。
「ったくお前は退屈な奴だよな」
この言葉に、干からびた死体は少し悲しそうな顔をした。
快楽に忠実なパブリックフォンは退屈が嫌いだ。退屈な奴と告げられるのは嫌いと同意義になる。見るからに落ち込んだ干からびた死体を、パブリックフォンはけっして励まさない。それが面倒ということもあるが、それを必要とするほど彼の心はもろくないと知っている。
「だってさ、お前とヤっても絶対つまんねぇ!」
「……どういう意味さ」
あのパブリックフォンがつまらないと言う。快楽のためだけに行われる行為だというのに、干からびた死体とではそれすら得ることができないと告げるのだ。
「お前じゃそういう気になれねぇ」
ネチネチ長い時間しそうだし、と付け足された言葉は何とも言い訳くさい。
誰とでもいいというわけではないのだ。干からびた死体は長い付き合いである彼の新しい一面を見た。どんな人間でも、どのような性別でも、快楽の世界へ堕としてくれるのならば、誰でもいいのだと思っていた。
パブリックフォンは愛をもたない。小さな快楽の欠片を大勢にふりまいている。
「ボクにそれが与えられなくても」
与えない唯一の存在であるのならば、それは特別ということではないだろうか。
干からびた死体は一人ほほ笑む。昔に消え去った心臓が跳ね、体が温かくなった。
「死体」
「何?」
「オレと遊ぼうぜ」
歯を見せて笑っているその手の中には、チェスの駒がある。
「いいけど、イカサマはなしだからね」
「さあ? それはどうだろうな」
きっとパブリックフォンはイカサマをするだろう。でも、干からびた死体はそれに気付かないし、強く咎めることもできない。
今はただ、こうして普通の遊びができるのが幸せだった。
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