快楽主義者の設定を一部使用。
読んでいなくても問題はないと思います。
ボンサイカブキは人の欲望を覗くことができる。その能力を使い、長年ゲストや住人の欲望を覗いていた彼の性癖は、すっかり歪みきってしまっていた。普通の人間ならば涙を流し、死を請うほどの鬩ぐを浴びせることが好きだった。
しかしながら、そんなものに付き合ってくれる物好きなど、いくら欲望の世界とはいえ、そうそう見つかるものではない。どちらかといえば、この世界の住人は他人を虐めることを好む者が多いことも、彼の悩みの一つでもあった。
「パブリックフォンよ」
「ん? 何だ?」
欲望を我慢することなどできない。適当なゲストを捕まえることも難しい。干からびた死体達などは脆すぎて話しにもならない。だが、ボンサイカブキは幸いにも欲望を発散する場所を見つけることに成功した。
それは、金さえあればいくらでも使うことができた。あちらこちらで趣味を兼ねた仕事をしている彼にとって、金はどうにでもなる代物だ。それを対価に欲望を気兼ねなく発散できるのならば、それほど素晴らしいことはない。
ボンサイカブキは目の前にいる赤い髪の男に札束を見せる。
「……いいぜ」
彼は、パブリックフォンは不敵な笑みを見せる。
了解を取るや否や、ボンサイカブキは彼の手を掴み、自室へと導く。まだ札束を渡していないのは、前払いをしてしまうとパブリックフォンが逃げてしまうからだ。詐欺師を舐めてはいけない。一度犯した失敗は繰り返さない。
「好きにしろよ。よっぽどのことじゃなけりゃ付き合ってやるよ」
ボンサイカブキの自室に放りこまれたパブリックフォンは着ていた服を脱ぐ。ゆっくりと脱いだ方が情緒があるのだろうけれど、この場にいる二人はどちらもそれを望んでいない。唇をなぞる赤い舌は挑発的だ。
あっさりと脱ぎ捨てられた上着を踏みつけ、ボンサイカブキはパブリックフォンの髪の毛を鷲掴みにする。
低い呻き声が漏れたが、ボンサイカブキは気にも止めない。そのままベッドに押し倒し、近くにあった手錠を使い、パブリックフォンの自由を奪う。反射的に逃れようと腕を動かすが、金属でできた手錠は耳ざわりな音をたてるだけだ。
「よい眺めよ」
三つの目が細められる。人よりも一つ多い目玉は、どこか視姦的だ。何度も見て、見られているはずなのに、パブリックフォンの体は勝手に粟立つ。その感覚は瞳を通じてボンサイカブキにも伝っている。
これから己の身に迫りくるであろう鬩ぐを知っていてもなお、パブリックフォンはあの目をする。期待と悦びに満ちた瞳だ。金さえ払えば何でも受けることができる体だ。ボンサイカブキは蔑みの目などしない。彼を買っているのは間違いなく己であるし、そういったところが好ましいとも思っている。
棚から麻でできたロープを取り出し、パブリックフォンの腕に絡める。それを戯れに引いてやれば、手錠とロープによって彼の腕は悲鳴を上げる。荒い麻のロープは引くだけで皮膚を裂くような痛みを伴うというのに、そこに引き千切られるような感覚まで合わさる。
「うっ……あぁ……!」」
眉間にしわがよる。大きく開けられた口に赤い舌。痛みと共鳴するように蠢いている。
パブリックフォンの言う「よっぽどのこと」とは、暴力や痛みに関することではない。彼の矜持に関わることだ。彼は決して、相手に奉仕しない。自らねだるようなことをしない。嘘でも愛を口にしない。薬を使えば矜持を捨てることもあるが、その後の仕返しが恐ろしい。
もっとも、自らの欲望の吐き口を求めているボンサイカブキはパブリックフォンが逃げてしまうようなことをするつもりはない。ほんの時々、薬を混ぜてやる程度のものだ。
「いっ……ってぇ……」
不敵な光を持っている瞳に涙が溢れる。その様子を見るだけでボンサイカブキは興奮する。もっと痛めつけてやりたいと願う。そして、その合間に相手の欲望を見透かしてやることが、何よりもの楽しみだ。
道具を使い、パブリックフォンを追い詰める。
ボンサイカブキは己を使うことが殆どない。基本的には痛みに耐えている様子や、泣き喚く様子を見ているだけで満足する。
「あっ、う……」
口には出さないが、パブリックフォンの体は不満足気に動く。荒い息を吐き出しながら、未だに拘束めいたものしか与えられていないことに戸惑いを感じている。痛みを伴っても構わないから、快感に繋がる刺激が欲しい。
それは、彼にとって何よりも重要なことだ。
ボンサイカブキは口角を上げながら喉を鳴らす。
ここで、どこに触れて欲しいのか。どうして欲しいのか。それらを聞くのは簡単だ。しかし、それはパブリックフォンの矜持を傷つけかねない。一瞬の迷いはあったものの、そこはいつも通りわずかな欲望を抑えてボンサイカブキを待つ体に触れる。
「ああ、そんなにヨいのか?」
笑いながら様々な部分に触れる。それだけで面白いように体が跳ねる。しかし、手錠とロープが腕を締め上げる。一方が快感を受け取っているため、痛みも快感として反応してしまう。彼の頭は何をすっかり呆けてしまう。
痛みも快楽も与えられつくしたパブリックフォンはベッドの上で目を閉じていた。何にも隠されていない彼の体は凄惨な状態だ。
ボンサイカブキはその姿を一瞥して札束を枕元に置く。無理に起こすつもりはないが、目覚めるまで待つつもりもない。彼は身を綺麗に整えると、情事の香りを色濃く残している部屋を後にする。
欲望を発散しきったボンサイカブキは楽しげに森を散歩する。変わることなどない風景と香りだが、気分の良い時に歩けば、素晴らしいものにさえ見えてくるから不思議だ。
「ふむ。ここは停留所だったか?」
「いーや? 単なる休憩場所」
崩れかけた墓にタクシーが腰かけている。手には煙草があり、口からは煙が出ている。
「そうか。ならば、ワシも一服しようかの」
懐から煙管を取り出し、火をつける。
二つ分の煙が空気中で混ざり合う様子が見えた。
「主の従兄弟は真にヨい」
煙を吐くように言葉を吐く。
「何だ。お楽しみの後か」
タクシーが笑う。
その表情に嫌悪はない。そこにある事実に笑っているだけだ。
「誰の心の奥にもな、現での思いが残っておる。
その思いこそが、欲望の源泉。表面上は忘れられたとしても、ワシには見える」
「ふーん。まるでミラーマンや審判小僧達みたいなことを言うんだな」
「いや、もっと汚いものじゃよ」
真実は残酷だ。しかし、汚くはない。
ボンサイカブキの視るモノは、間違いなく汚く、醜い。だからこそ、誰もが忘れてしまう。己の中から消し去ってしまう。
「お主のソレも視えるぞ」
「そうかい。でも、オレは興味ないから聞かねぇよ」
タクシーが煙を吐く。
真実や心の奥にあるモノなど、知らなくていい。知ったところで、いいことなど一つもない。死ぬか、彷徨うか。どちらかだ。
「あれの源泉は面白い。実に、面白い」
声色が変わる。疑問の赴くままにタクシーはボンサイカブキの顔を見たことを後悔した。
どす黒く、人を壊すことを望む者の顔がそこにはあった。
「……興味、ねぇよ」
「そうか? お主ならば、気になることかと思ったのだが」
「馬鹿馬鹿しい」
墓に煙草を押し付け、立ち上がる。鍵を鳴らせば、遠くからエンジン音が聞こえてきた。
「源泉は本当に求めているモノでもある」
ボンサイカブキが笑う。
タクシーは愛車に乗り込む。
「――そう、あれが求めているのは、母親からの愛」
その言葉は、エンジン音に紛れて消えた。しかし、タクシーは嫌な汗をかいていた。聞いていないし、予測もできないというのに、胸の奥底が心当たりを叫んでいる。己の内側から聞こえてくる声にも耳を塞ぐ。
エンジン音が唸りを上げる。それは、ただの音だったのだろうか。
END