ホテルにいる住人達は、基本的に外に出ようとしない。外へ向かう必要がないことと、ホテルの中が他のどこよりも安全だからだ。しかし、一部の住人は仕事であったり、気侭にであったり理由はそれぞれ違うものの、ホテルから出ることがある。
その中の一人がパブリックフォンだった。
公衆電話のくせに。と、言われたことがあったが、彼からしてみれば公衆電話が様々なところに行って何が悪い。と、いう感覚しかない。そもそも、世間には携帯電話というものが存在していて、公衆電話など不要のものとなっている。
ただ一つ、忘れてはならないのは、この世界に携帯電話を持っている者などほとんどいないというところだ。同時に、電話を必要とする者もほとんどいない。
「あー。つまんね」
ぼやきながら歩くパブリックフォンは、足元にあった小石を軽く蹴る。
目立った変化のない日々に飽き飽きしてしまい、刺激を求めて外へ出てきたはいいものの、特に面白いことはなかった。彼は時折こうして外へ出ては楽しいことを探す。新しい遊びでも、行為の新しい相手でも何でもいい。いつもとは違ったものを探す当てのない旅だ。
しかし、毎回それが見つかるとは限らない。
いつもよりも少々長い時間、ホテルの外に行き、汽車にも乗った。それでも何も見つからず、不満ばかりがパブリックフォンの中に溜まっていった。
「タクシーはホテルにいるかな」
そんな時、不意に思い浮かんでしまったのは、目立つ黄色の従兄弟だ。ホテルの周りにいるもいる彼は、パブリックフォンの当てのない旅についてきたことがない。それを不満に思ったことはなく、彼も従兄弟であるタクシーを連れていこうと強く思ったことはなかった。
けれど、ホテルから遠く離れた地で、パブリックフォンはタクシーに会いたいと強く願ってしまった。
欲求が沸いてきたのだから、それを我慢する理由などあるはずがない。パブリックフォンはすぐに汽車に乗り込み、ホテルの近くまで帰ってきた。だというのに、タクシーの姿を見つけることができなかった。
彼を呼び出す合図として、いつも手を上げていた。今回もいつもと同じように手を上げたというのに、タクシーのエンジン音さえ聞こえてこなかったのだ。
そうして、ぼやきながらホテルへの道を唇を尖らせてあるくパブリックフォンが完成した。
湿気を多分に含んだ空気は、ホテル周辺の特徴だ。慣れ親しんだ空気であるはずなのに、肌にまとわりつくそれがひどく鬱陶しい。それもこれも、全てタクシーのせいだとパブリックフォンはまた小石を蹴る。
「痛っ」
霧でよく見えないが、誰かの声が聞こえた。
「あ?」
首を傾げ、声の方へと近づいていく。
ホテルはまだずいぶんと先のはずだ。ならば、プアーコンダクターか干からびた死体辺りだろうと考えながら足を進めていく。どのような奴が相手だろうと、負ける気はなかった。むしろ、腹の底に溜まっている苛立ちをぶつけることができる。と、喜んだくらいだ。
「……誰だ。お前」
相手を確認できる距離にまで近づき、パブリックフォンは思わず言葉を零した。
「んだよテメェ」
小石が当たったのであろう頭をさすっている男は、今まで見たことのない姿だった。
新しい客かとも思ったが、それにしては客特有の意思の揺れが見られない。この世界の住人である欲の強さがはっきりとパブリックフォンの目には映っている。
「いや、アレだな。テメェ、パブリックフォンだな」
名を言い当てられ、パブリックフォンは一歩後ずさる。
「オレはお前を知らねぇぞ」
見知らぬ相手だ。何をしてくるのか想像もできない。快楽を求める欲深さは、他人と比べても遜色ないと自負しているので、死にはしないだろうが、碌な目にあわない可能性は高い。できることならば、面倒なことは避けて通りたい。
男は口角を上げ、パブリックフォンの腕を掴んだ。
「なっ……」
思わず目を見開く。
それなりの距離はあった。けっして、腕を伸ばせば届く距離ではなかったはずだ。そのはずなのに、男は一瞬で二人の間をつめてきた。
「初めまして。か?
オレはタイヤ。テメェの従兄弟のタクシーに縛られた哀れな存在さ」
「タイ、ヤ……?」
聞いたことがなかった。よく見ればボロボロの体をした男は、顔をしかめてしまうくらいの強さをパブリックフォンの腕へ加える。
「テメェに会えて嬉しいぜ」
空いた片方の手が、パブリックフォンの髪を掴みあげる。
「忌々しいタクシーの唯一の弱点。テメェをボロボロにしたら、アイツはどんな顔するだろうなぁ」
鼻と鼻がくっつきそうなほど顔が近づけられる。
どろりと淀んだ瞳に、パブリックフォンは不覚にも足が竦む。
「ば、馬鹿じゃねぇの?
タクにとって、オレはただの従兄弟。弱点なわけ、ねぇだろ」
声が震えた。
パブリックフォンの直感が、逃げろと叫んでいる。しかし、腕と髪をしっかりと掴まれている状況で、逃げ出すことなどできるはずがない。
「ああ、テメェもアイツも覚えていないだろうな。
でもオレは覚えている。アイツがこの世界に落ちてきたとき言った言葉、様子。その全てがテメェを弱点としていたこと」
低い声が耳に流される。
背筋が凍ると同時に、足をかけられその場に倒れてしまった。
(略)
4月1日用補足
【タイヤ】
タクシーがGHSの世界に落ちたとき、始めに出会った住人。
ヤンキー気質で、死体などをいじめていた。
自分が地獄ではないところにきた。と、錯乱したタクシーによって取り込まれる。
(※タクシーはフォンは地獄に落ちる。と、確信してた。だから自分も当然地獄行き。と、考えていた。ここは地獄ではない=フォンがいない。と、錯乱。地獄に行こうという願いから「地獄の」を冠した)
現在はタクシーが整備中のときのみ、身体を得ることができる。タクシーの整備が終わると、タクシーがタイヤを迎えにくる。
その後、再びタクシーに取り込まれる。