劣等感なんて持たなくていいよと言われたところで、人は劣等感を持つ。
 自分の双子の弟が、よくできた人間だったなら、なおさらだ。
「弟者さん!」
「あ、会長!」
「こちらのことなんですが――」
 人々の真ん中にいるのは、学校の生徒会長を務める弟者だった。
 容姿端麗、文武両道、人柄もよく、まさに完璧と言っていいほどの人間だ。欠点を一つだけ上げろと言われたならば、人々はとある一点を指す。
「……兄者、さんだ」
「本当だ……」
「会長のお兄さんなのにねぇ」
 弟者とは真逆に、人から避けられるのは兄者。
 双子の兄で、容姿は同じ。だが、彼は勉強も運動も人並み以下しかできない。また、コミュニケーション能力というのを、母の胎内に置いてきたとしか思えないほどの駄目っぷり。前髪を伸ばし、目元まで隠しているのが、見る者を陰鬱とさせる。
 そんな兄の存在が弟者にとって最大のコンプレックスだった。
 せめて、兄と弟が逆だったらといつも思う。
 できのいい兄と、できの悪い弟。これならばまだ自然に見える。
 だが、現実はできの悪い兄と、できのいい弟。双子なだけに、不自然さが顕著に現れる。
「…………」
 目の上のたんこぶ。弟者にとって、兄者を現す言葉など、これ一つで十分だった。
 心の内で舌打ちをして、仕事に戻る。
 学校が終わってすぐに帰る兄者とは違い、弟者には生徒会の仕事がある。人に頼られるために、生徒会以外の仕事も多々あり、家に帰るころにはクタクタになっているのが常だ。
「ただいまー」
「ちっちゃい兄者、おかえりなのじゃー」
 家へ帰れば、可愛い妹が出迎えてくれる。
 この、天使のような存在に弟者はいつでも癒されていた。
「……風呂、沸いてるから」
 リビングへ行こうと、廊下を歩いていると、自分と瓜二つの男が階段の上から言ってきた。
 弟者と同じ声なのに、どこか怯えていて、自信のない声だ。
「……ああ」
 一瞬にして険悪な空気が流れる。それを感じてか、兄者はすぐに二階へ駆け上がる。
「喧嘩したらダメなのじゃー!」
 妹者に怒られ、弟者は優しく笑う。
「喧嘩してないよ」
 そう。喧嘩などしていない。する価値もない。ただ、無性に苛立つ。嫌悪感が湧き出る。何故あいつが先に帰って、風呂にゆっくり入り、暖かいできたての晩御飯を食べるのだろうか。
 妹者とリビングまで行き、冷めた晩御飯を温めて食べる。母者は弟者の学校生活での話を聞き、楽しそうに笑う。これが弟者にとっての家庭だった。
 姉もいるのだが、もう嫁いでしまっているため、滅多に顔をあわせない。父も帰りが遅く、ここ最近では顔を見ていない。
 そんな日常が崩れたのは、珍しく生徒会の仕事が早く終わった日だった。
「しかし……家につくのは、いつもとそう変わらない時間になりそうだな」
 弟者は少し古い腕時計で時間を確認する。
 終わる時間は早かったのだが、遠出をしての作業だった。そのため、家に帰る時間は、いつも通りよりも少し早いだけになるだろうことが予測される。
「そうだ、せっかくだから、みんなでちょっとお茶しない?」
 一人が提案する。
 家までは遠く、小腹は空いてきている。生徒会のメンバーはその提案に賛成し、適当に辺りを散策してみた。
 すると、学生でも気兼ねなく入れそうな雰囲気の喫茶店を見つけた。
 空いてる席に座り、メニューに目を通す。
 お手ごろな値段で、置いてあるものの種類は豊富。ちょっとした穴場を見つけたようで、少しばかり気分が良くなる。
「ご注文はお決まりになりましたか?」
 一通りメニューを回し、注文が決まったころ、タイミング良くウエイトレスのお姉さんがやってきた。
「えっと……」
 代表して、弟者が全員の注文を言おうとして口を開く。
「――兄者君?」
 注文を言う前に、ウエイトレスの口から聞きたくない名前が出た。
「は?」
「あ、ご、ごめんなさいね!
 えっと……。ご注文は?」
 先ほどウエイトレスの口から出た名前が気になったが、とりあえず弟者は注文を口にした。
「かしこまりました。少々お待ちください」
 そう言って、ウエイトレスは小走りで去って行く。
「……ねぇ、さっき」
「いや、何かの間違いじゃないかな?」
 一人が弟者に言うが、弟者は笑顔で否定する。
 こんな遠い場所にきてまで、兄者の名前を聞きたくなかった。
「……ね」
「……も、……じゃ……」
 注文を待っていたメンバーの耳に、小さな声が聞こえる。声の方を見てみると、何人かのウエイトレスとウエイターがこちらを見て話していた。
 メンバーが見ていることに気づくと、すぐに散らばり仕事に戻ったが、どう見ても注目されている。
「ちょっ……なん……か……」
 居心地の悪さを感じていると、奥の厨房から声が聞こえてきた。残念ながら、弟者はその声をよく知っていた。
「ほら! そっくりでしょ!」
「――――お、とじゃ」
 おそらく、ウエイトレスのお姉さんとしては、仕事仲間にそっくりな人間がきた。面白いから並べてみよう。そんな考えだったのだろうが、二人が似ているのは当然だ。
 双子なのだから。
「兄者、こんなところで何をしてる?」
 弟者と、生徒会のメンバーの顔を見るなり、兄者は顔を真っ青にして俯く。
「バ、バイト……」
「うちの学校はアルバイト禁止だろ」
「ごめん……」
 おどおどとした態度。存在が自分に迷惑をかけているという再認識。弟者の不満は最高潮に達する。
 すみませんと言い、弟者は喫茶店を出る。生徒会のメンバーもその後を追う。もちろん、兄者を睨みつけるのを忘れない。
「……なんか、ごめん、ね?」
「いえ、オレが……悪いんで」
「でも……」
 状況はよく飲みこめていないが、自分が何かしてしまったということは確かなので、お姉さんは素直に謝る。兄者は首を横に振り、自分が悪いのだとただ呟く。


 弟者が家に帰ってもまだ、兄者は帰っていなかった。
「おかえりなのじゃー」
 妹に出迎えも、兄者のことが頭を離れず喜べない。
 校則違反をする兄が許せない。仮にも、生徒会長である自分の双子の兄なのだ。他の見本となるべきだ。
 兄の罪は自分のステータスにも影響してくることを弟者はよく理解していた。だからこそ苛立つ。
「ちっちゃい兄者……?」
 可愛い口から出るその言葉も許せない。
「……ごめんな」
 八つ当たりだということは理解している。それでも自分を抑え切れなくて、弟者は妹者に小さく謝る。
「あ、おっきい兄者もおかえりなのじゃー」
 怖い顔をしている弟者に怯えていた妹者は、兄者の帰宅に顔を綻ばせる。
「た……ただいま」
 弱々しい声を聞いた瞬間に、弟者は我慢が効かなくなった。
 拳を握り、帰ってきたばかりの兄者の腹を殴る。
「っつ……」
 小さな呻き声を上げて、その場に膝をつく兄者を蹴り、マウントを取る。
「ちっちゃい兄者! やめるのじゃ!!」
 妹者の声もなにも聞こえない。
 弟者は兄者の上に跨り、胸を殴り、腕を殴る。顔を殴らないのは、明日のことを考えてのことだ。
「あんたは! 何で! オレの邪魔ばっかり……!」
 あの兄者の双子の弟。あんな奴の弟。何もできない奴の弟。そんなレッテルを貼られてきたのだ。ようやく、そのレッテルから抜け出せると思えば、また足をすくわれる。
 悔しくて、涙が溢れてきた。
「……お前に」
 されるがままになっていた兄者が口を開く。
「お前に何がわかる!!」
 上に跨っていた弟者を突き飛ばし、兄者は外へ出て行った。
「おっきい兄者! 外は寒いのじゃー!」
 季節は冬。そろそろ春が近いが、それでも夜の風は冷たい。
 妹者の叫び声は冷たい風にさらわれ、兄者は振り向くことなかった。
「……何があったんだい」
「何も、ないよ」
 母者が駆けつけたときには全てが終わっていた。弟者はそのまま部屋に入り、晩御飯も食べず眠りにつく。
 流石家が暗い雰囲気に包まれているころ、兄者は冷たい風に体を受けていた。
「……痛い」
 冷たい風がいたいのか、先ほど殴られた場所が痛いのか。もしかすると、双子の弟の泣きそうな顔が痛かったのかもしれない。
 手持ちの金は今日入ったばかりの給料だけ。それを使えば、何か暖かいものでも買えるとわかっていたが、そんなことをするために働いたわけではない。
 兄者は前々から目をつけていた店に足を踏み入れ、目当ての物を購入する。これで正真正銘無一文だ。
「ん〜? 弟者さんですかぁ?」
 今夜をどこで過ごそうかと考えていた兄者の肩を誰かが掴んだ。
「え、ちが……」
 無理矢理振り向かされた先にあったのは、学校でそこそこ有名な不良だった。いつも弟者に逆らっては叩きのめされていることで有名だ。
「違いますよ。そいつ、双子の兄貴の方っす」
 舎弟と思われる男が、不良に言う。
「あー。んなもんもいたなぁ」
 少し考える素振りを見せて、不良はいやらしく笑う。その笑みに、兄者はどう頑張っても良い未来図を浮かべることができない。
「じゃあ、弟の後始末。してもらおうか」
 兄者は顔を青くする。
 予想通りの展開。
 弟者は知らないだろうが、こういうことは度々あった。できのいい、正義感の強い弟を持つということは、こういうことだ。
 この話が弟者のもとまで届かないのは、不良共が報復を恐れて黙り、兄者が自分のドジで怪我をしたと言うから。
 路地裏に連れこまれるときも、兄者は抵抗をしない。抵抗すれば、よけに酷くされるのは身に染みている。
「だいたいよぉ!」
 始めに顔面を殴られた。
「ピアスがなんだってんだ!」
 腹を殴られる。
「すぐ暴力にでるしよ!」
 うずくまりそうになるが、髪を掴まれ、無理矢理立たされる。
「兄ちゃんもそう思うだろ?」
 そこからは、蹴られ、殴られ、髪を引っ張られ、好き放題された。兄者は小さく呻き声をあげながらも、涙を流すことも許しを乞うこともしない。
 プライドの問題ではない。
「泣けよ! 許してくださいって言えよ! あいつと同じ顔、声で!」
 これが理由だ。
 兄者の涙は、許しを乞う声は、弟者のものとして認識される。
「っち。つまんねー。
 あ? これなんだ?」
 いたぶることに飽きた不良は、兄者の服から何か小さな箱が覗いていることに気づいた。
 興味本位で手を伸ばすと、その手を兄者が払う。
「……さ、わ……るな」
 殴られ、蹴られた兄者の声はいつもよりも弱々しく震えている。
「なんだ……。喋れるじゃねぇか」
 再び猛攻を浴びる。
 それも、兄者が大事そうにしている箱にめがけて。
「やっ……め……」
 人が気絶するまで殴るというのは、殴るほうも疲れることだ。
「じゃあ、ご開帳〜」
 兄者を気絶させるまで暴力を奮った不良は、箱を開けた。中に入っていたのは、それなりの値がしそうな腕時計だった。
「ラッキー」
 不良はその腕時計をつけて、路地裏から出て行った。



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