朝、家康達は共に登校する。
学校から最も遠い位置に住んでいる元親が学校へと道を進んでいくと、合流地点に他の者が立っているのだ。そうして、一人ずつ増えていき、最後に三成が加わる。中学時代も大体が同じような風景だった。
「おはようございまする!」
「ああ、今日も秀吉様の素晴らしさが象徴されたような良き天気だな」
「お前は何を言うにしても秀吉公のことが入ってくるな」
こんな会話もいつものことだ。
高校生になったからといって、すぐに何かが変わるわけでもない光景に笑みを浮かべつつ、家康は三成の背中を見つめる。昨日までとは違う面持ちに、彼が気づくことはない。
「剣道部とかボクシング部って朝練あるんでしょ?
こうして皆で登校できるのも、後少しかもしれないね」
佐助の言葉に眉を下げたのは幸村だ。
彼は敬愛すべき信玄の道場に通っているため、部活に入る予定はない。当然、朝練の予定もない。
「早く登校して困ることもないだろ」
悲しげな顔を横目に、三成が呟く。
不器用ではあるが、彼なりの慰め方だということに、周りはすぐに気づく。伊達に四百年前から知っている仲ではない。
「そうだな! んじゃ、オレも家康や石田に合わせて登校するかな」
「え。オレ様嫌だよー」
心底嫌そうに声を上げた佐助だが、幸村は瞳を輝かせてそうするべきだと主張する。
今も昔も、何だかんだと幸村に甘い佐助がその瞳に勝てるはずもない。最終的にはため息をつきながら、朝練に合わせて登校することを了承するのだろう。
「なあ三成」
「何だ」
「昨日会った……大谷のこと、覚えてるか?」
家康の口から出た名に、三成以外の者の体が固くなる。
「……大谷?」
三成は首を傾げた。
元々、他人に興味のない男だ。よほど印象深い人物でもなければ、一瞬で脳内から排除してしまう。
今の三成にとって、大谷はその程度の人物でしかない。家康は悲痛に眉を寄せたが、それも一瞬のことだった。悲しみに暮れるだけの時間は必要ない。必要なのは、前へと進んでいく力だ。
「ほら、車椅子に乗って、ニット帽を被ってた」
「ああ、貴様らの知りあいだと言っていた男か」
気を取り直して大谷の特徴を述べると、三成はすぐに記憶の中から彼の姿を呼び起こす。
それに驚いたのは周りの面々だ。
「覚えてるのか?」
「貴様、私を何だと思っている」
「政宗殿のことは一向に覚えてくださらぬというのに」
度々顔を合わせていたとしても、興味のない人間の名や姿を三成は覚えない。彼に友人が少ない理由の一つでもある。
そんな男が、特徴を述べれば姿が浮かぶ程度には大谷のことを覚えていた。確かに彼の風貌というのは印象深いものではあるが、良くも悪くも他人の容姿や障害を気にしない三成のことだ、それだけで記憶に残っていたわけではないだろう。
「そうか……。覚えていたか」
「だから何だと言うのだ」
些細なことではあったが、二人の間には確かに絆がある。今にも切れそうな細い絆であったとしても、その存在が嬉しくてたまらない。思わず家康は微笑を浮かべる。
家康達がわけのわからないことを言うのはいつものことだが、今日はことさら意味がわからない。三成は気味悪げに彼らから距離を取る。怪しい者に近づいてはならぬと、昔から半兵衛に言われているのだ。
「ワシは刑部と呼んでいるんだがな、あいつは頭も良いし、ちょっとばかし口は悪いが根は優しい奴なんだ」
「それがどうした」
「だから、三成も刑部と仲良くしてほしい」
目を細め、穏やかに言った。
家康の目には、戦装束を身にまとい歩んでいる二人の姿が映っている。
「奴とはクラスも学年も違うだろ」
学年が違えば、当然顔を合わせる機会も少ない。同じ部活に入っているならばともかく、大谷の姿からして見ても体育会系の部活に入っているとは思えない。仲良くする以前の問題であると三成は告げる。
そう言われてしまうと、何とも返しようのないのが現実だ。
何の記憶もない三成をわざわざ上級生のクラスへとけしかける理由を作り出すことなどできない。いっそのこと、三成に前世のことを全てぶちまけてしまおうかとも思うが、それはいくら何でも堪え性がなさすぎる。かつて、息を潜め続けた中国の主を思い出し、家康は心の内で苦笑する。
ここで三成からの不審を買い、距離をとられてしまうことは避けておきたい。
「まあ、見かけることがあったらってことだよ。
大谷さんは足が悪いから、階段とかで困ってたら助けてあげてよ」
返す言葉を探しあぐねていた家康に、佐助が助け船を出した。
「いつでも他の奴がいるってわけでもねぇだろうしな」
「……覚えていたらそうしよう」
少し考えてから三成は頷いた。
ほんの些細なことだが、こうして少しでも大谷のことを話し、少しでも彼らの間にある絆を強くしたかった。
「大谷、か」
三成は小さく零し、頭を抑えた。
「大丈夫でござるか?」
「ああ。少し頭痛がしただけだ」
「無理はするなよ」
眠ることも食べることも、おろそかにしがちな三成だが、こうして体調不良を訴えることは珍しい。それゆえに、些細な不良が大きな病へと発展していくのではないかと不安になる。
「酷いようなら、学校についてから保健室に行ったら?」
「何なら家に帰るか?」
「いや、もう収まった」
頭を抑えていた手を離した三成の顔色は平素と変わらない。
何度か体調について言葉を投げたが、もう平気だと切り捨てられてしまう。
本人が平気だと言っている以上、どうしようもない。気持ちを切り替えた家康達は、見えてきた学校に誰が一番始めにつくか競争をしようと言い出した。そして次の瞬間には、返事をしていない三成を放って走りだした。
「卑怯だぞ!」
「このくらいハンデだろー」
一拍遅れて三成が走りだす。バタバタとした足音が校門を潜り抜けた。
結果、一番についたのは三成だった。次点で佐助。後の三人は似たり寄ったりといったところだ。
「相変わらず速いなぁ」
「ふん。私が卑怯な手に負けるはずがない」
どこか得意気に三成は言う。
おそらく、足の速さは秀吉にも褒められたことがあるのだろう。
「じゃあ次は体育の時間にでも、正々堂々と勝負するか」
「近いうちに体力測定があるだろうし、そこで決着つけたら?」
「お、それいいな!」
「某、みなぎってまいりまする!」
家康達の息が整ってきたころ、彼らは靴を履き替えて教室へと向かう。二度目の顔合わせではあるが、すでに友人ができている彼らを迎え入れる空気は暖かい。
朝の挨拶を交わし、近いうちに始まる授業について言葉を交わす。何度か三成が、昨日も会ったばかりの人間に名を尋ねるという、ある意味では想定の範囲ないのできごとがあったが、おおむね平和な朝の風景だ。
「あ、担任がきたぞ」
誰かの声に、周りの者達が一斉に席につく。
「お前達、今日は集会があるから、体育館に出席番号順で並べー」
担任の声に、教室は再び騒がしくなる。
机や椅子の音と共に、集会が面倒だという声や、まだ体育館は寒いなどという声が聞こえてくる。
「校長の話って長いんだよなぁ」
「それはどこの学校へ行っても同じさ」
クラスの友人と話ながら、のんびりと廊下を歩く。教師が静かに速やかに行動しろと声を上げているが、会話は小さな声で続けられている。
不意に、人の流れが緩やかになった。同時に人の声が聞こえなくなる。
「どうしたんだ?」
「さあ?」
不審に思いながらも足を進めていくと、原因と思わしき人影が階段前に見えた。
「あ、アレ、大谷じゃね?」
家康の隣にいた男が囁く。
思えば、昨日大谷の噂を口にしていたのはこの男だった。
「蝶々。大丈夫?」
「あい。平気よ。ただ、ちとばかり手を貸してもらわねばならんがなぁ」
そこには四人の人間がいた。
大谷と、彼を囲む三人の女性だ。
「車椅子は階段の下に持っていくぞ」
「大谷様。まつにお掴まりくださいな」
色気たっぷりの同級生二人に、大人の美しさを兼ね備えた女性が一人。彼女らに囲まれている大谷は、全国の男子高校生が羨む状態だ。
不自由な足を懸命に動かしている大谷の手助けをしようかと、家康が考え始めた頃だ。
「何であんなグロ野郎に美人が集まるんだ」
誰かが吐き出すように言った。
家康は背筋が冷えるのを感じた。
「呪いだろ」
「根暗野郎が」
「あいつならマジ呪いとか使えそう」
「真夜中に五寸釘持ってさ」
「やだ。キモーイ」
悪意は伝染する。
囁くような悪意は大きなざわめきへと変化していく。そのことに気づかぬ大谷ではないはずだ。その証拠とばかりに、彼の目がわずかに細くなる。笑っているのだろう。心を騙し、愉快なことだと嘯くのだ。
今生でもそのような顔をして欲しくなどない。
「ぎょ――」
「やめろって。お前の知りあいかもしれないけど、この状態で行ったらお前まで悪口言われるぞ」
少しでも助けになればと思い、足を踏み出した家康の腕を友人が掴む。
彼に悪意がないことはわかっている。純粋に家康を心配しているのだろう。悪意の渦中に飛びこむなど、普通に考えれば恐ろしいことだ。特に、家康達はまだ入学したばかりだ。上級生に目をつけられるようなことはしたくない。
「大谷殿は何も悪くないではござらんか」
「そうだぜ。あいつはそりゃちょっと不気味かもしんねぇけどよぉ」
掴まれた腕を振り払うこともできずにいた家康に、幸村達が加勢する。男の優しさは大谷にとっての痛みだ。
しかし、どのような言葉を並べてみたところで、人の心に巣食った悪意や疑心が簡単に晴れるわけではない。そう知っていても言葉を紡がずにはいられなかった。
「女二人がかりでなければ支えられぬというなら、私が手を貸そう」
ざわめく空間に、凛とした声が響く。
「闇色さん……?」
家康達が友人と言葉を交わしているうちに、三成は大谷のもとへと進んでいたのだ。
白く細い手が大谷に差し出されている。
「あなた様は――」
「前田の小鳥よ」
三成の存在を目にしたまつは驚きに目を見開いている。
ただ一人学生ではない彼女は、三成のことを聞いていなかったのだろう。三成の名を呼ぼうとした彼女の声に、大谷が言葉を重ねる。
「そやつと我は他人よ。他人」
細かいことは何も言わなかったが、三成に前世の記憶がないということは察したらしく、まつは悲しげに目を伏せる。彼女もまた、三成と大谷の友誼を知っている人間の一人であるからこその表情だ。
「ごちゃごちゃと五月蝿い。さっさと手を貸せ」
三成の中では、大谷に手を貸すということは決定事項のようだ。苛立った声を出しながらも、差し出した手を引こうとはしない。
「いらぬ」
出された手を叩き落とす。
大谷が三成の手を取らぬなど考えもしなかったまつは、驚きの感情を浮かべて大谷を見る。横目に彼らを見ていた生徒達もざわめきを増す。人の好意を何だと思っているのだという、怒りにも似た悪意の言葉が家康達の耳に入る。
人混みの中で、彼らを家康達はじっと見ていた。
「余計な世話だったか」
「まったくもって余計なお世話よ」
忌々しげな色を持って言葉が紡がれる。
かつてを知っている家康達からすれば、それが演技であることはすぐにわかる。だが、大谷のことを深く知らぬ者ならば、その色は本心からであると疑わぬだろう。
「そうか。すまない」
だが、三成は気を悪くした風もなく謝罪の言葉を口にする。
他人の感情を気にしない三成らしいことだ。彼の様子に大谷は不満気に目を細めた。
「主が我に声をかけたことで、他の者達が好奇の目で我らを見やる。我は不愉快よ。フユカイ。
その程度のことに気づかぬとは、主も中々に思考が鈍いようよな。それとも、親の教育が悪かったのか」
挑発するような物言いに、家康は思わず一歩踏み出す。だが、何故かそれ以上足が動かない。かろうじて肩から上が動くので、周りを見てみると、幸村や元親も同じような状況に陥っているらしいことがわかった。
このようなことができる人間を、彼らは一人しか知らない。見たところ、辺りに数珠はないが、そういうことなのだろう。
「貴様。秀吉様と半兵衛様を侮辱するのか!」
あっさりと挑発に乗った三成の怒声に、大谷は満足げに笑い声を上げた。
これが大谷の狙いだったのだ。何故そのようなことをしようとしているのか、家康達にはわからない。だが、目的のためならば家康達の足を止めるくらい、容易におこなってしまえるのだ。おそらくは、昔数珠を操っていた力と同じ力で。
「そうやって大声を上げるのも、秀吉様や半兵衛様とやらの力不足の結果であろうなぁ」
「私のことはいい。だが、御二方を侮辱することは許さん!」
怒りに任せ、大谷の肩を掴もうと手を伸ばす。
「ダメ。蝶々を、虐めちゃ、ダメ」
白魚の手が三成の手を握っていた。
暗い瞳が三成の怒りの炎をじわりと飲み込んでいく。
「第五天。離してやるがよかろ」
「うん」
大谷の言葉に市は三成から手を離し、大谷の手を取る。慌ててまつも大谷の体を支えるように隣に並ぶ。
手の行き場を失くした三成はその光景を呆然と眺めている。
「我にはもう関わりやるな。
それとも、こう言っている相手に付きまとえと愚かな御二方は言っていやったか?」
「貴様、まだ御二方のことを!」
「三成!」
再度手を伸ばそうとした三成を家康達が止める。
大谷としてもこれ以上の騒ぎは望んでいないのか、家康達にかけていた足止めを解いていた。
「離せ!」
「こんなところで暴れるな!」
「危ないでござるよ」
騒がしい五人の声を背中で聞きながら、大谷はこっそりとほくそ笑む。
三成ほどではないが、敬愛していた二人へ毒を吐いたことは大谷にとっても楽しいことではなかった。けれど、三成の怒りと嫌悪を目に宿すことができた。その事実があるのならば、自分が受ける痛みなどどうでもいいのだ。
「大谷様。よろしいのですか?」
「良い。あれは我に近づかぬ方が良い」
小さな声で言葉を交わし、車椅子に腰かける。
久々に長時間立っていたためか、大谷の膝は震えていた。包帯の下では、苦痛からか脂汗が滲み出ていた。
「カラスめ。さっさと降りてこぬからだ」
「そう言うてくれるな。必要なことよ」
引きつれた笑い声を上げる。同時に、市が車椅子を押して体育館へと向かって行く。その後を付いていくのは、孫市とまつだ。
彼女達は使い道がある。だが、あまりにも目立ちすぎる。悪評も陰口も慣れきっている大谷ではあるが、目立つことは好きではない。誰にも気づかれぬようにため息をついた。
そんな大谷の気持ちなど知るはずもない三成は、己を拘束している男達をなぎ払い声を荒げる。
「何をする!」
「落ち着いてよ。入学早々騒ぎを起こしたら、それこそ御二方に申し訳がたたないんじゃないの?」
佐助の言葉に三成は言葉を詰まらせる。
「しかし……。
奴は秀吉様と半兵衛様を侮辱したのだ!」
「きっと本心からじゃないさ」
「当然だ! だからこそ、奴が何故あのようなことを言ったのか問いたださねばらない!」
怒声に誰もが沈黙した。
我に返った三成は、自分の言葉に疑問を抱いた。
「……何故、私は奴があのようなことを言うはずがないと、思ったのだ」
頭を抑える。考えがまとまりかけては霧散する。次第にそれは痛みへと変化していった。
今朝の頭痛が再発したようだ。
「石田?」
元親の声が遠くに聞こえる。
頭蓋の内側から痛みが襲いくる。視界が暗くなっていく。体から力が抜けていく。それでも三成は頭を働かせようとした。痛む頭を抑え、歯を食いしばる。だが、考えがまとまることはなく、唐突に視界が閉ざされた。同時に体中から力が抜けたる。
「おっと」
崩れ落ちた三成を家康が受け止めた。身長こそ周りと比べると高い三成だが、体重は平均よりも軽い。支えるのは簡単だ。
「石田の旦那どうしちゃったんだ?」
「わからない。ただ、今朝から体調がよくなさそうだったし……」
「とにかく保健室へ連れて行くでござる」
「そうだな」
かといって、全員で保健室へ行くというのも奇妙な話だ。
結局、家康が三成を運び、他の三人は大人しく集会へと向かうことに決まった。
長身の三成を背負い、一階にある保健室の扉を叩く。保険医まで集会に出ていたらどうしようかと考えていたのだが、それは杞憂に終わった。
「どうぞ」
女性の高い声に促され、家康は扉を開けた。
「失礼します」
保健室の独特の匂いが鼻をくすぐる。
椅子に座ってこちらを見ている保険医に三成の状態を伝えるべく、口を開く。
「友人が意識を失ってしまったんです」
「あら。とりあえず、そこのベッドに寝かしてあげて」
「はい」
硬いベッドに三成の体を横たわらせる。
保険医が三成の額に手を当ててみるなどしてみるが、特に変わったところは見られないようだ。
「一先ずここに寝かせておくわ。
学校が終わっても目を覚まさなかったらこの子の家に連絡するから、あなたは体育館に戻りなさい」
「……はい」
できることならば三成の傍にいたかった。
このまま死ぬなどということはないだろうけれど、友人が倒れたのならば、傍にいるのが絆だろう。
「さあさあ。早く行かないと」
保険医に背中を押され、保健室を出る。
後ろ髪を引かれるような思いではあったが、こうなってしまった以上、集会にでないわけにはいかない。ゆったりとした足取りで体育館へと向かって歩きだす。正直なところ、退屈な校長の話など聞きたくない。
通り道である廊下で、ふと外へと目線を向けた。そこからは校門が見える。
「官兵衛?」
校門の影に、見覚えのある姿を見つけた。靴を履き変えることなど考えもつかず、上履きのまま外へ駆け出す。
「官兵衛! 官兵衛だろ!」
「げっ。権現か」
人影へ近づくと、そこには予想通りの人物がいた。相変わらず目を前髪で隠しているが、官兵衛は体全体で家康と会いたくなかったと表現している。
あからさまな拒絶に苦笑いが浮かびながらも、彼は官兵衛にさらに近づいた。
「久しぶりだな。こんなところで会うとは」
「小生は刑部を迎えにきたんだ」
「刑部を?」
言ってから、しまったと思ったのだろう。軍師のわりに嘘や誤魔化しが上手くないのも相変わらずのようだ。
「……一緒に住んでるんだよ」
苦虫を噛み潰したような声だ。これは、家康に説明するのが嫌というよりは、バレたと知った大谷による罰が嫌なのだろう。力関係も相変わらずのようだと家康は笑う。対して、笑いごとじゃないと官兵衛が吼えたので、家康の予想は当たっているのだろう。
「三成のことは」
「聞いたよ」
頭を掻きながら言葉を返す。
官兵衛は横目でちらりと家康を見た。穴倉育ちの身からすれば、家康の光は眩しすぎる。それは、闇の中で生きてきた大谷にとっても同じなのだろう。
「ならば頼みがある」
「嫌だね」
内容を口にする前に、官兵衛は拒絶の意を吐き出す。
妥協も譲歩もないキッパリとした言い様に、家康は目を丸くした。だが、すぐにいつも通りの笑みを浮かべる。
「そうか。いや、予想はしていたよ」
「……何故じゃ」
残念そうな口ぶりではあるが、家康の表情は曇りなき笑みだ。己の回答が予測されたこともそうだが、拒否を述べられてヘラヘラとしていられることも理解できない。
「刑部も官兵衛も軍師だからな。ワシがまだ豊臣にいたころは、よく一緒に策を練っていただろ?
ワシみたいな猪突猛進にはわからぬ考えがあるのだろう」
家康達はどちらかと言えば、策を練って動くタイプの武将達ではない。それに比べれば、戦場ではもっぱら腕力でごり押ししていたとはいえ、軍師として働いたことも多い官兵衛の方が幾分か知性的だ。
ただ、何だかんだといいつつも、仲良しだったしな。と、続けられた言葉は、官兵衛としては賛同できないことだったが。
「だがな、ワシはやはり刑部と三成には一緒に生きて欲しい」
「それが奴らの幸福とは限らんよ」
「不幸だと決めつけるのもどうかと思うぞ」
結局のところ、答えなどわからない。そのことは誰もが知っている。
「だが、少しでも不幸になる可能性があるなら、その手は悪手だ」
「そうかもしれない。それでも、ワシらは諦めることができない。
押し付けがましいと思うか?」
「思うね」
「お前は相変わらず正直者だな」
「そりゃ三成の専売特許だろうよ」
「なるほど。それもそうだ」
少し笑ってから、家康は校舎を見た。まだ集会は続いているようだ。流石にそろそろ戻らなければ、入学早々大目玉を喰らうことになるだろう。
「ワシは戻るよ」
「あーそうしてくれ」
「集会が終わるまでまだ時間があるだろうが、頑張ってくれ」
「はいはい」
近くの店で待っているという発想はどちらにもなかった。
仮にその考えが浮かんだとしても、官兵衛には実行できなかっただろう。大谷の機嫌を損ねるのは面倒くさいことこの上ない。
家康が体育館に入ると、すでに校長の話は終わり、生徒指導の教師がこれからの学校生活について語っているところだった。列の一番後ろに入り込み、その退屈な話を聞き流す。近くに誰かいれば、すぐにでも官兵衛のことを話したかったのだが、あいにく前世の記憶を持っている仲間達は、全員前の方に集まっている。
この集会が終わってからでしか、彼のことを話すことはできないようだ。
「――ということで、これからの一年間、しっかりと勉学に励むように!」
ようやくのことで話が終わると、一年生から順に教室へ戻らされる。体育館を出るころには、すっかり列を崩し、誰もが友人達と会話を楽しんでいる。家康もその流れに入り、元親達を探す。
「いたいた」
「おー。石田の様子はどうだ?」
「一先ず保健室に寝かせてある。帰る前に保健室に寄ろうと思っているよ」
「某もご一緒いたす」
三成の体調を気づかう面々の問いに一通り答えると、家康は校門前に官兵衛がいたことを口にした。丁度、彼らがいた場所から校門が見えたので、こっそりと外を見る。
「あ、本当だ」
春下がり、ずいぶんと暖かくはなってきたものの、外にずっと立っているとなればまだ肌寒い。ご苦労なことだと元親は肩をすくめた。
「三成と刑部のことで協力してもらおうと思ったんだが、断られたよ」
「あー。あの人はどっちかっていうと大谷さんよりの人だしね」
大谷と比べれば単純で、さっぱりした性格ではあるが、その奥にはギラギラとした野望と知略が巡っていることを佐助は知っている。伊達に戦国時代に諜報をおこなっていたわけではない。
「むこうは大谷に、暗の官兵衛。毛利の野郎は……ちとわからねぇか。
へっ。まあ、知将ぞろい、黒幕ぞろいってやつか」
元親としてはあまり揃って見たくない面々ではある。前世のことはもうすでに決着はつけたつもりではあるが、いざ目の前にしてしまうと戸惑いが生まれるものだ。
「そうでござるな……。こちらはあまりにも知将が不足しているように感じられまする」
その言葉に反論できる者はいない。佐助に至っては、幸村が知将の存在を重んじるような発言をしたことに感涙を流している。
「考えたんだがな」
教室まで後少しというところで、家康が悪戯っ子のような笑みを浮かべて言った。
「半兵衛殿に力を貸して頂くというのはどうだろうか」
誰もが目を丸くして家康を見た。
「……それだ」
ポツリと零れた言葉を始めに、面々は笑みを浮かべた。
大谷の上司であり、官兵衛と共に二兵衛と呼ばれた半兵衛に力を借りることができたのならば、どれほど心強いことだろうか。半兵衛は三成を養子として迎え入れた際に、大谷のことを尋ねたり、近くにいるのではないかと手をつくしていたような人間だ。協力してくれる可能性は高いだろう。
ただ一つ、気がかりなのは、半兵衛が社会人であるという点だ。学生である大谷や家康達と比べると、どうしても行動に制限が出てしまう。
「とりあえず、凶王さんが起きたら、半兵衛さんがいつ家にいるか聞いてみたら?」
「そうだな。できるだけ早くお会いしたいものだが」
教室に入り、席についた彼らは担任の話を聞き流し、終わりの号令がかかると同時に廊下へと飛びだした。友人達が驚きの声を上げたが、三成が心配なのだと返せばあっさりと納得してくれた。
「みつなびっ!」
未だに起きていなかったらどうしよう。と、いう家康の不安をあざ笑うかのように、ベッドに腰かけていた三成が彼に枕を投げつけた。
「バタバタと五月蝿い」
「すまん、すまん。もう大丈夫なのか?」
「大事ない」
保険医への挨拶もそこそこに、三成はしっかりとした足取りで靴を履き替えに向かう。その様子を見る限りでは、唐突に意識を失った者と同一人物とは思えないほどだ。
気づかいの声をかける幸村の言葉もばっさりと切り捨てることができる程度には回復している。
「だが倒れたのは事実なんだ。今日はしっかり眠るんだぞ」
「貴様に心配される謂われなどない」
心配からかけた言葉の代償は、顰められた顔だ。これ以上言っても意固地になるだけだろうと、面々は口を噤むことにした。そもそも、彼が素直になるのは敬愛すべき秀吉や半兵衛の言葉のみなのは今に始まったことではない。
五人が校門を出る。そこに官兵衛の姿はもうなかった。三成に見つかるのが嫌で、さっさと帰ってしまったのかもしれない。
「三成」
「何だ!」
また意味のない小言や不安の言葉を吐かれるのかと、三成は苛立ちを隠すことなく吼える。
「……半兵衛殿に、お会いしたいのだが」
目を他所にそらしながら言った。
「貴様が?」
訝しげに目を細められてもしかたがない。
家康は今まで一度たりとも三成の家を訪れたことがない。さらに言うのであれば、半兵衛が来ると聞けばすぐに帰ってしまうのが常であった。その度に三成は半兵衛様を避けるなど何事か。と、顔を修羅のようにしていた。
今の三成は知るはずもないのだが、家康は前世で秀吉を討っている。当の秀吉は再会の折にかつてのことを許してくれた。時代の流れでもあり、日ノ本が今にいたるまで存続しているのならば良いと言ってくれたあの時の笑顔を家康は忘れない。
同時に、傍らに立っていた半兵衛の笑みも忘れることができない。あれは人を殺すことができる笑みだ。
三成と同じく秀吉を敬愛し、秀吉こそが世界を統べるに相応しいと豪語していた半兵衛だ。その秀吉を討った家康に怒りを燃やしていたとしても、何ら不思議ではない。前世での三成のように。
「うん……。ちょっと、お話したい、ことがな」
他の面々に半兵衛に協力してもらうと告げたときのような朗らかさはない。
思いついた当初は、素晴らしい策のように思えたが、今は早まったのではないかという気持ちが沸き出ている。
三成からそらされている目には、これも絆のためだ。己という犠牲など厭うている暇はないのだと浮かんでいた。
「半兵衛様は普段、秀吉様と共に夜遅くに帰られる」
だよな。と、誰かがため息をついた。
秀吉は新設した会社のため、日夜働きづめだ。半兵衛がそれに倣っていないわけがない。
「だが、本日は休暇ということで家におられるはずだ」
「本当か!」
タイミングがいいと目を輝かせる。その輝きも、会わねばならぬのだという現実に、すぐさまくすんだ。
「ならば、某もお邪魔してもよろしいでしょうか」
「オレもオレも」
次々に名乗りを上げたのは、家康の気持ちがわからないでもないからだ。
「ぞろぞろと……。家の前で待っていろ。半兵衛様にお伺いをたててみる」
「んじゃ、さっさと行きますかー」
いつものような遅々とした歩みではなく、早足になりながら三成の住む家へと向かう。常ならば別れる道を共に進んでいくと、社長が住んでいるとは思えないほど平々凡々とした一軒家が見える。表札には豊臣、竹中、石田。と、三つの苗字が下げられている。
待っていろ。と、告げた三成の背中を見送り、各々の思いを胸に時を待つ。特に家康は胃に穴が開きそうな勢いだ。最悪の場合、言葉を交わすことなく門前払いということもありえる。
数分が長い。いっそのこと帰ってしまおうかと、家康が気弱なことを思い始めたころ、ようやく三成が顔を出した。
「入ってこい」
簡潔な言葉ではあったが、半兵衛からの許しが出たのだということを伝えるには十分だった。
四人は普段の騒がしさを潜め、静かに家に入っていく。気持ちは戦国時代に敵将と会わねばならぬときのものだ。
「やあ。お久しぶり」
案内された部屋は、家の外観とは異なり純和風なものだった。畳の部屋に小さな文机。前世の記憶を保持している四人は、いよいよかつての時代に引き戻された気分になる。
「入っておいで。三成君、彼らにお茶をお出しして」
「はい」
不満も何も言わずに引き、三成は台所へと向かう。残された四人は口を閉ざしたまま部屋に上がる。礼儀をかくことなく半兵衛の前に並ぶ。絶えぬ笑みが恐ろしいと思ったのは始めてだった。
「どうぞ」
しばらくして沈黙を破ったのは茶と茶菓子を携えた三成だった。
優美な仕草で全員にそれらを配り終えた彼に、半兵衛は下がるように言いつけた。
「……わかりました」
仲間はずれにされることに、一抹の不満はあったようだが、他ならぬ半兵衛の言葉だ。三成が断るはずもなく、大人しく引き下がる。
三成が遠ざかる足音を聞き、半兵衛は淹れられたばかりのお茶を一口飲む。
「それで。キミ達はボクに力を貸して欲しくてきたんだろ? 用件を話たまえ」
「よくわかったな」
驚きに隻眼を見開いた元親に、半兵衛は簡単なことだよと笑みを深くする。
「キミ達と今生ではそれほど深い関わりはないからね。ボクを尋ねてくる理由なんて、家康君が許しを請うか、ボクの助けが欲しいかでしょ。今さらボクの許しが欲しいとは思えないし、後者の理由できたことは明白。
もっと言うなら、三成君はキミ達がここへきた理由をよく理解していないみたいだったから、前世絡みの相談かな。ボクを頼ったってことは、吉継君に関することだろうね。
正解かい?」
あっさりと家康達の用件を見抜いてしまった半兵衛に、彼らは舌を巻いた。同時に、彼がいればこの不利な戦もどうにかなるのではないかという期待に繋がる。
「その通りです」
家康が切り出す。
「ワシらが通うことになった高校に、刑部がいました」
「本当かい?」
流石にそこまで予測できていなかったのか、半兵衛が身を乗り出す。探していた大谷がまさかこんな近くにいるなど、思いもしなかったのだろう。
「はい。刑部と話してわかったことなのですが、三成に前世の記憶がないのは、刑部の呪いだそうです」
半兵衛は黙って家康の言葉に耳を傾ける。
今まで、三成に前世の記憶がないことには、何の疑問も抱いていなかった。本来ならばそれが正しい姿であり、半兵衛もかつての知りあいで前世の記憶を持たぬ者を何人か知っている。だからこそ、今まで三成の前で過去のことを口にしたことはなかった。
「前世の記憶など無いほうが幸せなのだと言っていました。確かに、今の三成は穏やかで幸せそうです。だが、ワシは三成には刑部が必要だと、刑部と三成。二人の幸せのためにも、その呪いを解いて欲しいと思っているのです。
故に、ワシは刑部に三成の記憶を取り戻してみせると宣戦布告したのですが……」
言葉を濁す家康に、半兵衛が口を挟む。
「首尾は良くない。と、言うことだね」
「はい」
「吉継君の他には誰が彼についているの?」
「お市殿と官兵衛が。後、孫市やまつ、毛利もいたのですが、刑部の味方なのかどうかまでは判別がつきかねる」
並べられた名前に半兵衛は麗しい顔をわずかに顰める。
「官兵衛君はともかく、毛利君が吉継君についていたら面倒だね」
呟き、家康達を見る。
知将ではない彼らにも、半兵衛が何を考えているのか察しがつく。
「なるほど。ボクに助けを求めたくなるわけだ」
「竹中殿! どうかご助力をお願いできませぬでしょうか」
幸村の真っ直ぐな瞳が半兵衛を映す。
しばしの沈黙の後、半兵衛は一つ頷いた。
「ボクも二人には一緒にいて欲しいからね。できれば、三成君と一緒に秀吉の力になって欲しいし」
言葉を紡ぎながら、半兵衛は懐から携帯電話を出した。
「キミ達と会うのは難しいからね。これからはメールで情報を交換しよう」
「全員とってなると手間がかかるし、徳川の旦那がまとめて情報の受渡をするってのでどうよ」
「ワシはいいぞ」
佐助の提案に反対する者はおらず、家康は半兵衛とメールアドレスを交換する。
「吉継君についているか判別しかねる人には、一度話を聞いてみておいて。上手くこちらに引き込めればなお良し」
「はい。では、確認が取れしだいメールいたします」
「そうして。ボクの方は吉継君自身についてと、呪いについても調べてみるよ」
同じ軍師とはいえ、半兵衛と大谷は違った性質のものだ。もっといえば、官兵衛や毛利も各々の色を持っている。
大谷の上司として、彼に謀を教えてきた半兵衛ではあるが、呪術に関することだけでいえば、大谷を上回ることはできない。
「解呪といえば、王子様のキスや術者の死がお決まりだろうけど」
残念ながら、大谷は前世も今生も男だ。王子様が現れるはずもない。
「大谷が死んだら元も子もないぜ」
「そうでござる!」
「だから調べるんだよ。知識はあるに越したことないからね」
そう言った彼の目は、既に軍師のそれだった。
続