突然の訪問だったとはいえ、家康は長曾我部を快く受け入れてくれた。
 顔をあわせた途端、心配そうな顔をされた。己はそれほどまでに顔色が悪いらしいと長曾我部は悟る。
 ここへくる前に官兵衛の話を聞いた。官兵衛は、優しい大谷についてなんて話せない。と言っていた。確かに、優しい大谷を話しはしなかった。ただ、それ以上に哀れな大谷について聞かされた。
 だが、彼がしたことは何一つ揺らがない。例えどのような理由があろうとも、長曾我部は彼のしたことを許さない。
 大谷がどのような人物であろうと、それに代わりはない。そのことを再認識してもなお、長曾我部は大谷吉継という人物について知りたかった。知れば知るほど、その人物に感情移入をしてしまい、辛い思いをすることはわかっていた。けれど、友を忘れてしまった三成の代わりに知ってやりたいという気持ちも揺るがない。
「家康は大谷のこと知ってるんだろ」
「三成や官兵衛ほどじゃないと思うぞ」
 そう言って家康は苦笑する。
 豊臣の傘下にいたころから、大谷は家康のことを嫌っていた。誰にでも好かれ、明るい性格が疎ましかったのだろう。何度か言葉を交わしたこともあるが、親しいというには遠く及ばない回数だろう。
「それでもいい。何か聞かしちゃくれねぇか」
「勿論さ。元親、お前は気を悪くするかもしれないが、ワシは刑部にも生きてワシの天下を見て欲しかった。
 あいつは周りが言うほど悪い奴でないことくらいはわかっているつもりだ」
 誰にでも優しい男は、かつての敵のことを話すときにも笑みを浮かべる。長曾我部は膝の上で拳を握り、家康の話を待つ。


狸と蝶の話し


 刑部は自分が悪く見られるようにしてる部分があったみたいだし、悪く言う癖があったな。三成は刑部の悪い噂を聞いては怒っていたが、あの噂の半分は刑部に責があると言ってもいいと思う。もう少しくらい、自分を良いように見せたって罰は当たらなかっただろうにな。
 三成が噂や刑部の言い回しに惑わされなかったのは、あいつが一番、いや……唯一だな。唯一大切にされていたからだろう。二人とも気づいてなかったみたいだけどな。見ていればすぐわかったよ。
 やれ三成が騒ぎを起こしたと聞けば、あの体に無理を言って三成を宥めに行く。やれ三成が飯を食わぬと言えば懇々と諭しに行く。馬鹿だ愚かだと蔑むことなく、だぞ? ワシが同じことをすれば、脳が足りなくなったか。くらいは言われそうなものなのにな!
 周りは刑部が三成を駒とするためにそんなことをするんだって言っていたが、刑部ほどの口があれば面倒ばかり起こす三成よりも、ずっと良い駒が手に入れることができるさ。ワシが持っているどの絆とも違う形をしていたが、あれも確かに絆だった。あいつらは不器用なだけなんだ。
 ある日な、三成が病にかかったことがあったんだ。驚いた顔をしているが、喰わず、眠らずな三成だぞ? 普通なら病が喜んでやってきそうなものだ。だが、驚くのもわからなくはない。だって、三成が床に臥していると聞いたとき、ワシは目玉が飛び出るかと思ったからな!
 豊臣のためならば病だって燼滅しそうな男が、まさか倒れるなんて思わなかった。
 ワシが見舞いに行くとな、当然だが三成は布団を被っていたんだ。いやー。あれは驚いた。なにせワシは三成が眠るといえば、柱によりかかって座ったまま眠っているか、刑部の膝に頭を乗せて眠っているところしか見たことがなかったからな。三成の部屋にも布団があったのかと思ったよ。
「大丈夫か?」
「見てわからんのか。大丈夫なわけがない」
 声こそ枯れていたが、口にした言葉はいつもの三成で安心したよ。熱が高く、動くのも喋るのも億劫だと言って、それ以降はワシが何をしていても無視された。何をしたのかって? ちょっと三成の部屋を探索しただけさ。見事に何も無かったぞ。
 しばらくそうして、あまり病人を疲れさせるのも悪いだろうと思って部屋を出たんだ。そのままふらふらと歩いていたら、豊臣の兵達の声が聞こえた。
 曰く、
「三成様が倒れたとか」
「大谷様の病を得られたのではないか」
「そうに違いない」
「お可哀想に。あのような者が近づくのを許すから」
「やはり奴は豊臣には必要のない者だ」
 あれは良くないな。当時のワシは豊臣の者に強く言える立場ではなかったため、素通りしてしまった。今なら……何を言うだろうな。
 ワシが見た三成はただの風邪だったよ。どこも爛れていなかったし、病の痣もなかった。目も見えていたし意識もはっきりしていた。苛立たしそうに舌打ちまでされた。刑部の病とはまったく違うことくらい、一目見たらすぐにわかるはずなんだ。
 きっと、何があっても刑部のせいにしたかったんだろうなあの者達は。
 途端に何か悲しくなってな、ワシはそのまま刑部の部屋に向かったんだ。きっと、刑部は三成の見舞いに行くことを許されていないだろうと思った。友の見舞いに行けないなんて、悲しいことだろ? せめてどのような容体だったかくらいは伝えてやりたかったんだ。
 刑部の部屋はいつも静かでな、本人が騒がしいのを好まないというのもあったんだろうが、近づく者が少なかったんだ。障子を挟んでいながらも、内側にいる刑部が書をめくる音が聞こえた。
「刑部」
 一声かけて障子を開けた。返事を待つのは忘れていた。三成はいつもそうしていたから、隣にいたワシにもうつったんだ。いくらワシでもそこまで礼儀知らずじゃないぞ? まあ、刑部はこれでもかというほどのしかめっ面をしてくれたけどな。
「……徳川、せめて我が応えるまで待ちやれ」
「すまん……」
「まあ良いわ。で、何用よ」
 ワシは三成の容体を伝えた。そしたら、珍しいくらいはっきりと、刑部の感情がわかった。安堵の息が漏れたんだ。あ、と思った次の瞬間にはいつもの刑部に戻っていたがな。
「さようか。用が済んだら出ていきやれ」
 冷たい言い方だったなー。まあ、ワシの目的は果たされてたわけで、一言だけ残して帰るつもりだったんだ。
「障子越しにでも声をかけてやってくれ」
 三成はきっと喜ぶと思ったんだ。だけど、刑部がワシを見る目は冷たかった。ついでに鼻で笑われた。
「主は愚かよな。今はただの風邪でも、我が近づけば弱った体に業が迫りやる。
 ああ、それよりも我に風邪が感染って死ぬのが先やもしれんな」
 と、言われたよ。
 そんな顔をするな元親。ワシがよく考えていなかったのが悪いんだ。刑部は季節の変わり目ごとに風邪をひき、寝込んでいた。その度に生死の境目に身を投じているのを知らぬわけではなかったのにな。
「すまん……」
「良い。それよりも、ここから出たら手を清め、うがいをしやれ」
 ため息を一つつかれたが、とりあえずは許してもらえたことがわかった。だが、手を清める理由がわからず、首を傾げた。
「主を経由して三成に病が感染ったらどうするつもりよ。我の部屋に来やる前にもかかさぬようにな」
 と、刑部が手にしていた書をワシに渡した。あの不思議な術でふわふわーっとな。思わず受け取ると、書がひとりでに先ほどまで刑部が見ていた場所を開いた。あれも刑部の術だったんだろうな。
 そこにはな、病を感染されぬようにする方法が書いてあった。栄養や睡眠をとること、手を清めることなんかもそこに書かれていた。それがどの程度の効果をもたらすかワシにはわからなかったが、刑部はワシよりもずっと病に詳しいからな。きっと効果があるんだろうと思った。
「どうせ主のこと、明日も三成のもとへ行くのであろ?
 ついでよ。それも渡しておきやれ」
 結局、刑部は三成が心配だったんだろうな。
 ワシは一つ頷いてその場を去った。勿論、次の日に書を三成に渡したぞ。まだ書に目を通せるほど元気になっていなかったから、ワシが簡単に説明してな。三成の部屋の次は刑部の部屋に行って、三成の容体を伝えた。
 それは三成が元気になるまで続けた。三成は元気になった途端、刑部の部屋に行ってしまったからなぁ。手を清めてな、うがいをしてから刑部の部屋に向かったのを見た。元気な三成を見たら、あの刑部だって笑うだろうと思って、ワシはこっそり後をつけたんだ。
 いつもの三成なら気づかれただろうけど、あいつも刑部に会うのが久々で気が昂っていたんだろうな。全然気づかれなかったよ!
「刑部、私だ。手を清め、うがいもしたぞ」
 珍しく三成は障子越しに声をかけていた。
 きっと、それは良い。早に入りやれ。という言葉を期待してたんだろうな。ワシもそうくると思っていた。
「三成。主の体にはまだ病が潜んでいやるかも知れぬ。あと二、三日は我のもとへ来やるな」
 その時の三成の表情!
 刑部のように感情を隠すのでなく、感情がない三成の表情が悲しみに彩られていたんだ。拳を握り、唇を噛み、目を伏せていた。
「……配慮が足らなかった。すまん」
 それだけ言って三成は足早に去って行った。あまりにも悲しげな背中に、ワシは刑部に一言申さずにはいられなかった。三成の姿が消えたのを確認してから、声もかけず障子を開けた。当然、前と同じように刑部はしかめっ面をしていたがな。
 刑部が口を開けば、ワシなんて簡単に丸め込まれてしまうだろう。だから、向こうが口を開く前に言葉を投げたんだ。
「何故あのようなことを言ったんだ! 三成は床に臥せている間も、ずっと刑部のことを想っていたんだぞ?
 お前もそれは同じはずだ。三成のことを心配してのこととはいえ、三成を傷つけては本末転倒だろう!」
 元親、お前もそう思うか。ワシだってこの思いは未だ変わっていない。だけど、刑部の言葉も間違っていないんだ。刑部はワシにこう返した。
「我は己が身が可愛いだけよ。
 しかしな徳川。三成を傷つけることを恐れていたら、あやつは死んでしまうぞ。
 喰わぬ、眠らぬ、待たぬ。あれを止めさせるには傷をつけるしかないのよ。主にはできぬであろうなぁ。だからこそ我がいるのよ」
 全ては義のため、三成のため。西軍で軍師をしているとき、刑部はよく言っていたそうじゃないか。それは嘘じゃないだろう。刑部は三成が傷つくとわかっていても、三成を生かすためなら何でもする。そういう奴だ。
 元親、刑部はお前を謀った。それは事実だ。だけど、刑部は三成を裏切らない。ワシはそう信じているよ。

鬼と狐の話